七章「砂煙の帳の奥底で」

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 3  真夜中の忌方家。  以前と同じように朋里が屋根の上で座り込んでいるのを、遊星は予想通りだと思いながら、声を掛けた。 「大丈夫かな。具合悪そうだけど」 「………平気ですよ。いつもの通りに、眠れないだけですから」 「そっか。……隣、いいかな」  どうぞ、と返したから、遠慮はせずに隣に座る。 「やっぱり、嫌だったかな」  何のことを言っているのかは、伝わっているだろう。その問いに、朋里は首を振った。 「仕方ないことですし。今更どうこういう気はありませんよ」  放っておいたら、ここだけの被害じゃあ済まなかったんでしょう?  そうだねと返しても、どうにも不快なわだかまりは消えることはない。あの時、ミュゼを遊星が処理したことは、正しいことだとも、間違っているとも言いがたい。  それでも、イラート=ミュゼという異形が抱えていた狂気は、生きているうちに昇華できるような類のものでないことは明らかだった。 「殺されたがっていた、っていうのは。どうしてなんでしょう」 「わからないよ。それはあいつが持っていた問題でしかなくてさ。……ドライなようだけど、深くかかわることはボクらにはできなかったと思う」 「…………………」 「哀しい?」 「どちらかと言うと、可哀想、というか。私が憐れんでも意味は無いんでしょうけれど」  この星で、そんな風にしか生きられなかったその事実が、何より哀しいのだと。朋里はそういうのだ。 「……すみません。私、あなたに一度助けられたのに、同じ轍を踏むなんて」 「別にいいよ。ボクを思っての行動だろう? それを咎めたりはしない」  結果として、ミュゼを殺したことに繋がろうとも、それは彼女の自業自得ともいえることなのだから。 「……。それでも、情けないんです。家を率いるはずの私が、あんな簡単に敗けることになって。……あの人には勝ち逃げされた形になっちゃいましたし」 「でも、ともちゃんは今、生きている。それでいいと思うよ」  別に忌方の当主だからって、常勝無敗ってことじゃないからね。  遊星だって勝ち続きで生きてきたわけでもない。彼の人生の中でも、生涯無敗の人物なんて二人しか知らない。 「二人しかいないんですか?」 「むしろ二人も、って感じかな。それくらい難しいんだよ、敗けないことって」  だから、気負わなくたっていいんだよ。  はあ、と朋里は気の無い返事をする。 「あの、シオラさんはどうしてます?」 「折れた肋骨が肺に刺さってたから、手術。でもその時にはもう治りはじめてたって」 「とんでもない生命力ですね……」 「まあ、シオちゃんも真種異形だからね。特に彼女は真正の超越種だから、人間の尺度では計りにくいよ」  遊星もそれを言ったら大概だ、とは思ったが。朋里はそれを言うことはなかった。 「…………」  朋里が横目で遊星を見ている。その視線には意識を向けず、彼は眼下の夜景を眺めているだけだった。 「んー、うー」 「気にしなくていいってのに」 「じゃあ、その。あの、ゆーくんって生きていてつらくないの?」 「何だその質問」 「だから、この世界について、どう思ってるのかなって」 「わからないよ。ボクは今までずっと脇役だからね。そんなことで思い悩むのは主役の在り方だろう? 考えたことがないんだよ、ほとんど」  でも、 「生きていてつらいなんて思わないよ。そんな感覚は邪魔になるだけだし、多分、今は麻痺しているから」 「なんか、羨ましいな。そんな風に開き直れるのも、才能ですから」 「考え方次第だよ。こんなことで思考リソース割くのも面倒だから」  朋里は深く息を吐く。溜息とは少し違っていた。 「どうかした?」  問いかけにはすぐには応えない。ただ、何も言わないままに遊星の方にもたれかかってきた。 「…………いい刺激になるよ、ゆーくんの生き方。それに」 「それに?」 「こうしてると、ちょっと落ち着く。何でなのかはわからないけどね」  ころーん、と遊星の脚の上に寝そべってきた。そんな甘え方をされた経験はないんだけどな、と困惑していると。 「ゆーくん。……私のこと、どう思ってるの?」 「え。えーと……可愛いと思うけど」 「そうなんだ。ふうん……」 「なんか不満だった?」 「うん。だって、私はゆーくんのこと、好きなのに。まだ、好きとは言ってくれないんだなーって」 「……………………」  まだ、出会って数日だからな。そう言おうかとも思ったけれど。  しかしこういうことに関して時間や期間が関係ないことくらいは知っている。  それに。 「ボクは、その感情がよくわからない。生きていくうえで大事なのはわかっているつもりだけれど、そもそも必要なのかどうかすらも―――」 「わかりました」  と、朋里が声に違う色を混ぜた。それはどこか、鋼めいた強い色合いで。 「じゃあ、ゆーくんがそれを理解できるようになればいいんだよね」 「ん?」  彼女の蒼い眼が緩く光る。 「ゆーくんが、人間に戻ればいいんだよね?」 「…………理屈の上では、そうなるだろうけど」 「理論上でも、可能だと思うよ……そのためには、ゆーくんのユニットレコードを探し出す必要があるだろうけれど」 「ボクの、ユニットレコード?」  その意味は、つまり。 「そうだよ。大瀧市郎のユニットレコードはどこかに存在してるから、それを探してみるの」  何の意味があるのか、と思いかける。  遊星は現時点の在り方で満足してしまっているのが、そこで自覚できた。  でも、それを朋里が嫌がっているのも理解できてしまうのだ。 「ゆーくんは元々異能者なんでしょう? そうであればどこかには存在しているはずですし、そうでなければ話が合いませんよ」  そうして、どうしようというのだろう。  そんな疑問が透けて見えたのか、朋里はじとりと見上げる。 「馬鹿ですか貴方。……って言っていいのかな」 「言ったじゃないか、今。まあ、やりたいことは大体わかるけどね」  困ったように笑って、遊星は朋里の頬に触れる。触覚の無い彼には、その柔らかさはわからない。目で見てやっとわかるくらいだ。 「んー。くすぐったいよ?」 「ああ、ごめんね」 「いいよ、そのままで。温かいし、心地いいから」  その表情には、今まで見せていたどこか寂しげな色は見えない。それは、やはり。 「子供だねえ、色々抑え込んでいたんだな」 「そうかも。ゆーくんの所為だね、こういうことしたくなるのは」 「ふふ、それでもいいけど。で、ボクが人間に戻ったなら、それでどうする気なんだい」 「…………死ぬまで一緒に居てほしい、かな。ゆーくんの傍で、生きていきたいし」  それに、その前に。 「惚れた相手を、惚れさせたい。そんな願望があるんだよね」  その相手にしては、遊星は無機質すぎて、人間の心を失いすぎている。  それは色々な意味で、麻痺しているということで。 「今まで、ボクは色々なものを失ってきたから。もう何が大事かもわからないんだよね」 「それを、あるべき姿に戻したいんですよ。人間として、傍にいてほしいって思うのは、わがままかな?」 「…………。別に、そうは思わないし。ともちゃんがそう思うなら、そうすればいい」  遊星だって、彼女のその意志を尊重しないわけではないのだから。  可能かどうかはともかく、支援はするつもりだ。  何よりも、自分自身に関わる話にそっぽを向くのもおかしいことでしかない。  そしてそれ以上に。  それほどに好意を向ける朋里を無碍に扱うことなどできはしない。  それがどういう心境なのかは、未だによくわからないけれど。  今はどうとでも説明がついてしまうのだ、ならばそれはそれでいい。 「…………良い子だねえ」 「それは本当に子ども扱いじゃないの。違うって、そういうのじゃないの、わからないのかなあ」 「わかっていてずらしただけだよ。別に君を意識していないわけでもないし」 「そうなの? 怪しいものだね」 「ここまで来て何で疑われなきゃならないんだろう……」  もうそんなことには慣れてしまっているけれど。 「でも、大丈夫かな。これからはずっとバトル続きだと思うけれど、耐えられる?」 「人間相手じゃなきゃ、多少は。でも、精神的には鍛えないと駄目だよね」 「今のままでも可愛らしいとは思うけどね。まあ、覚悟は決めておいてほしいかな」 「うん、わかってる」  そこで朋里は起き上がって、遊星と向かい合う。どうしたのかなと思っている遊星に対して、彼女は両腕を緩く広げる。 「…………」  遊星にはその意図は判る。それは遊星に対してシオラが同じことをねだってくるのを何度も見てきていたから。  朋里がそれを求めるのは、どういう意味があるのかは。  多分同じだ。  どちらも孤独感を紛らわすための行為で、その点で二人には共通するものが根底に流れている。  孤独感。  人は一人で生きて一人で死んでいくなんて言うけれど。  その生きている間くらいは、一人でなくてもいい、そう思う。  遊星もシオラも一人で生きている最中のようなもので、その中で馴れ合っているだけだった。  そもそもが家族のような存在だったらしいと、シオラは言っていたけれど、その記憶は遊星の中にはほぼ存在しない。  慣性で、連れ合っているだけ。  だからこそ、どこかで寂しいと感じてしまうのは仕方のないことだった。  遊星は、何も永遠を生きたいとは思っていないから。  第五世界で知り合ったあの男のように、永遠を捨てて普通の人間として生きていったその生き様を、羨ましいと思うから。  賭けてみてもいいと、感じたのだ。  右手を伸ばして、朋里を引き寄せる。 「ん―――」  銀色の髪が、街の光を反射して淡い虹色に光っていた。 「これでいいのかな」 「うん。でも、もうちょっとだけ」  朋里は遊星の顔に間近で向き合う。  少しだけ息を吸ってから、ぐっと体重をかけてくる。別に重くもないけれど、遊星は特に抵抗もせず、押し倒される流れで唇を合わせられる。 「――――――――」  遊星にはまだ、その感覚はわからない。  知りたいと思った。  多分、それが。  彼の初めての欲望なのだろう、と他人事のように感じるのだ。  
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