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終章「ブルーブラックホライゾン」
「完全復活!」
ぐぐっと両手を握りながら、シオラがそう宣言していた。
ミュゼとの戦闘から四日後の朝のこと、忌方家に戻ってきた彼女は真っ先に朝食を取っている全員に向かってそう言い放っていたのだった。
「早いねえ、流石シオちゃん」
返すに困った遊星は、なんとなくそう言っていたのだが。
それをシオラは不敵に笑って受け止めたのを見るに、それで正解だったらしい。
肋骨を折って瀕死の状態から回復するには確かに早すぎるのだが、根本が人間とは違う彼女にはそんなロジックは通用しないのだ。
「まあ、素樹くんと晴ちゃんの延命措置がなかったら、こうしてはいなかったけどね」
「まあ、そうだろうな。とりあえず傷も治れば万事オーケーってことだろ?」
そういうことと素樹の言葉に納得したように頷いたシオラは、唐突に「おなかすいた」などと言い出した。
「今から用意しますから、待っていてくださいね」
「わたしも手伝うよー」
朋里と晴が立ち上がって居間を出ていく。それを見ながら。素樹は食事をすでに終えていて、自分の食器をまとめていた。
「遊星、俺は少し外に出てくるから。色々と処理が終わってないんだ」
「それってどれくらいかかるものなんだ?」
「さあな。玄間が言うには市内での出来事を収拾するだけだから、そこまで時間は要らないらしいが、それより」
字限に対する批判が集まり始めているらしいという。
「おや、最悪はリコールかな?」
「どうだろうな、まあ、今の時代に人間至上主義なんてものも流行りはしないし、鋼羽鴉と、イラート=ミュゼ、そして蒼霊神槌と連続して異変を起こせば、在り方に疑問を持つ人も増えるだろうさ」
まあ、これからの俺らには関係ないがね、そう言って素樹は部屋から出ていく。
とたた、とシオラは遊星の方に近寄ってきた。何か嫌な風ににやついているのが不思議ではある。
遊星の隣の座布団に座ると、遊星の匂いを嗅いでいる。
「やっぱり、朋里ちゃんと何かあったみたいね」
「……何かって?」
「問い返してどうするのよ。知っているのは君の方よ?」
「そうだけど。それを言ってボクがどう反応すると思っているんだい?」
「まあ、狼狽えはしないかなあ、とは思うわね。いっくんは精神がフラットすぎるから」
自覚はあったけれど、改めて言われてしまうと、なんとなく。
「揺るがなくとも傷はつくみたいね。変に人間らしいから人に好かれるの、気付いてないの?」
知らないわけではないし、今までにも何度も言われてきたことでもある。今更驚きはしない。
「うふふ。でもいいんじゃないかしら? あたしはそろそろ、潮時かなって思うもの」
「どういう意味?」
「そうねえ。ユニットレコードを集めている段階で、いっくんを人間に戻すことができるんじゃないかなって思い始めているのよ。今のいっくんは戦闘能力は優れているけれど、人間味に欠けるでしょう?」
それを、戻したいから。
その考え方は、朋里に言われていたこととよく似ていた。
ユニットレコードは人間の遺伝子を記録したメモリだ。そこから再現できる人間の身体を、遊星が乗っ取るという話でもなく。
大瀧市郎のユニットレコードから作り出した体躯に、遊星の魂を定着させるという話のようで、つまりそれは、朋里が虚神の魂を取り込むのと同じロジックなのだ。
遊星の体躯。
霊力体である彼の身体は、実体としてはかなり曖昧な存在なのだ。人や物に触れたり触れられたりすることはできるが、外界の霊気の影響を非常に強く受けやすい。
結局、器がないことは彼自身の個性を持てないという、そういうことなのだと全員が理解していた。
「だから、ね。この世界に戻ってきたのも何かの縁なのよ。いっくんにとってはね」
「…………。ボクは、この世界の終わりまで生きるのかなって思ってたけど」
「そんなのはあたしが許さないし、朋里ちゃんだって許せないんじゃないかしら」
「シオちゃん、そこで朋里ちゃんが出てくるのはなんでなんだ?」
特にあの会話を聞いていたわけでもないだろうに、彼女に対して異様に踏み込んでいるのは不思議だった。
「え? ……だってそうでしょ? 朋里ちゃんがいっくんに対して恋うような目を向けているのに、気付いてないわけないよね?」
気付くも何も、本人から直接告白されている。
知ってはいるけれど、それをもっと前の段階から見抜いていたのは、シオラの観察眼が上手だったということだろう。
「それがわからないから、いっくんは駄目なの。解っているくせに」
「…………。そうかもね」
まあいいわ、とシオラは話を戻してくる。
「これからは、リアクターユニットを揃えるだけじゃないの。この旅の目的は、いっくんを人間に戻すこと。そのための終わりの物語なのよ?」
「なんだかメタい発言が多いんだよねえ、シオちゃんは」
遊星はつくづくそう思っていても、シオラにはそういう実感は無いらしいけれど。
「そうかもねえ。まあそういう風に物語を俯瞰するのも重要じゃないかしら?」
「何目線なんだ、君は」
「あたしの目線よ、何をわかりきったことを」
馬鹿を見るような眼だった。身内でそんな視線を向けてくるのはシオラくらいなのだが。
「わかったよ。そういうことだってのは理解してる。でも、そのユニットレコードがどこにあるのかはわからないんだよね?」
「そうね。日本のどこかにあるはずだけれど、それがどこなのかまではデータを確かめてみないと判らないわ。そもそも日本のレコードはオモイカネが一括管理していたのに、関東で起こった虹色砂嵐がそれを解らなくしてしまっているもの」
やはり日本全国を回る必要がある、とそういうことらしかった。
「まあ、もとよりそのつもりだったけどね。関東はともかく、彩黒まで足を延ばす気でも居たから、気にはしてないさ」
シオラはわかっていた、という風に頷いた。
シオラが食事をしている間、遊星は中庭に出て刀の手入れをしていた。
何故かその後ろで枢が珍しそうに見ているのだけれど。
「どうかしたかな」
「ん、いや。数万年使っていて刃毀れしないというのが不思議に思えてな。白羽家の陽炎もそうなのだが、どういう作りなんだ、それ」
「それは作った人に訊かないと判らないよ。陽炎は確か桜沢君の鍛えた刀だったね。それはまだあるんだね?」
「ああ。今も正統の稀人に受け継がれている。特に、当代の「恒泉」とは相性が良いらしい」
だろうね、と遊星は納得するまでもなく、想像できていたことだ。
「そもそもが、陽炎はオリジナルの恒泉、白羽仁のために作られた刀だもの。同系統の人間と相性悪いわけがないさ」
「ふむ、確かに理屈ではそうなるが。今の白羽信が剣術を扱っていた話は聞いていないんだがな。その辺り、どう思う」
白羽、信。それが名前なのだろうけど。
なるほどね、と遊星はどこかで納得していた。
おそらく、信という名前は五常から取られた名前だろう。「仁義礼智信」からなる精神の教え。何かの縁であることは確かだった。
「仁君と同じように光牙流を扱えれば、それでいいんだと思うけど、あれを教えられる人が今、どこかに居るのかな」
「光牙流はかなり細分化されてしまって、今は源流がどれなのかわからないんだ。皆が皆源流を名乗り始めている状態で、抗争にならないこと自体が奇跡的だぜ」
「…………そうなの。行村君が受け継いでいたあれもそもそも源流とは言いがたいけれどね。というか彼らの流派みたいになってたし、オリジナルはないも同然な気がするがね」
そんなもんか、と二人は同時に思っていた。その対象は少しだけ違っていたけれど。
で、それが話したかったことなのかい?
そう問えば、勿論違うと返ってくる。
「いや、まあなんだ。おまえの行く先についていきたいんだが、それは駄目か?」
「……。駄目とは言わないけれど。君がそれでいいっていうんなら、止めないよ」
「そうか、それならばいいんだ。私も、そろそろ日本を見て回りたいを思っていたところでな。少しでも力になれればいいんだが」
「そう気負うことないよ。まあ、龍種やら虚神と向き合うなら、覚悟は必要だけどさ」
大丈夫だ、と枢は即答する。
「私は、そういう覚悟は持っていたから。昔から、人外として人外と向き合っていたからな、今更そこは気にすることじゃあないさ」
まあ、と続ける枢は薄く笑っていた。
「おまえが人間に戻ろうとするなら、それを見ておきたいとも思っていたから。都合がいいんだ」
「そういえばさっき聞いてたんだったね」
下手に気を使わない辺り、枢の精神性のその部分だけがかつての知り合いと似ていないと感じる。個々人の違いを感じ取れるのなら、それはいいことだが。
「朋里がおまえに惚れているとシオラは言うが、事実なのか?」
「どうだろうね?」
無意味に韜晦する癖は抜けないままだった。だが無意味に吹聴することでもないと判断して誤魔化していた。
それが形だけとは言っても、朋里に対する最低限の礼儀だろう。
「ゆーくん、ゆーくん。シロくんから伝言だよー」
晴はなんでかメモ帳を持って突撃してくる。背中からタックルを喰らってしまうと同時に足を滑らせて思いきり転んでしまった。
別にそんなことで遊星は痛がることもないし、その所為で彼の背中に晴が落ち着いてしまうのにはびっくりするけれど、もういい加減にしてほしいとも言わない遊星はどこか諦めの感覚に陥っている。
「どうしたんだい、晴ちゃん。子供みたいな真似してさ」
「シロくんが街の修復作業してるんだけどー、ゆーくんも手伝ってほしいってさ」
「それはいいけど。修復って何の」
「道路」
「…………………………」
あの場所とかこの場所とか、と示してくる晴の言葉には覚えしかなかった。
「わかったよ、すぐに行くから。……それにしても、素樹の式神があれば、普通の人間にも出来ることなんじゃないのかな?」
「そこまでは力の回転率は高くないよ、シロくんは。呪術師として言えば、だけど」
「ふうん」
「それに、シロくんと話しておいた方が良いんじゃないの? これからの方針について」
「ああ。分かっているさ。まあ、作業中なら気も紛れるし」
「わたしも、ともりんと話しておきたいことあるしー」
妙なあだ名をつけるものだ、と思うが。そこまで変でもないことは遊星の感性でも感じることだった。
「つまり、そのためにボクが邪魔になるってこと?」
「あれ、これって言ってよかったんだっけ」
「知らないよ、そっちのことは。まあ、深くは問わないけど」
その方が助かるよー、と晴は遊星の上から降りた。
「晴ちゃんは、これからどうするの?」
「ん? ゆーくんについていくよ。楽しいもの、こういうの。最後はちょっと嫌だったけど、そればかりでもないんでしょ?」
ノータイムで楽しそうな回答をされると、遊星としては微妙に不安になるのだけど。それでも希望的な返答は、決して嫌いではなかった。
「了解だ」
「直すのは専門じゃあないんだよね……」
「いいから手を動かしてくれ。今日中にこの穴を埋めたいんだからさ」
素樹は大きく抉れた道路の穴を一日で直す気らしかった。特に修復術など修めているわけでもなく、式神を使いながら土やらコンクリートを運び続ける自動車の管理を続ける彼には、指揮者の能力もあるようだった。
器用だなあと心底思う。
まあ、そんな隣でオペレーションに徹している素樹とは違い、遊星は大型トラックを運転するしかないのだけど。
見た目こそ十六歳の少年であっても、中身は数万年を生きる人ではない人であった何かなのだから、車の運転くらいは普通にできるものだった。
第五世界で刑事を辞めた後に、することもなく生きていた時に取得した免許がここで活きるとは思いもしないのは誰でも同じである。
「自動運転の車はどこに行ったんだろう」
「今はノウハウが失われたから、過去の記録をサルベージしている最中らしいぜ。特に千年戦争と虹色砂嵐の影響はでかいようだな」
その割には素樹の手にしているタブレット端末は普通に動作しているのが不思議だ。
色々なものがアンバランスに組み合わされてギリギリのバランスで成り立っているのが第十世界の日本なのだろう。
最終的には柳廉に向かわなければならないけれど、あそこは変わらない学園都市のままなのだろうか。それも壊れていたなら、結構進退窮まる状況になりかねない。
「ここで勘案していても仕方ないことだけどね」
荷台を押し上げて、土をクレーターに流し込む。
この穴の所為でいくつかの電気設備が復旧していないのだというけれど、そんなリスクは織り込んでおけと言っていたのは素樹だった。
「ねえ、素樹。君ならこういう技術で普通に稼げると思うんだけど、そういうことは考えないの?」
「ここ二百年で五百億くらいは稼いでるよ。まあ、言うても実務中心だから効率が悪くてね、不労所得が欲しいところさ」
なるほどね。と驚くでもない、普通に生きていた結果のようだった。
素樹には遊星の知らない二百年間がある。それだけで。
「素樹は、これからどうしたいの?」
「お前次第だよ、遊星。これからどうするかなんて、お前が決めることだ」
それは、人任せにしているということではなく。
遊星のやりたいことをサポートするという意味の発言であることは読めていた。
「取り敢えず、日本の龍種を排除するかな」
「そうか。まあ手伝うけどよ。今回のように死にかけるのは避けてほしいがな」
「今回は相性が悪かっただけだよ。ウィンガードを喰らって死なない方が珍しいんだってより、忌方にしか耐性が無いんだからさ」
「じゃあ、なんだ。朋里がお前についてくるのはその辺りの理由か?」
シオラとは真逆の予測だった。
あくまで事実と理論を基にした利益優先の思考は、シオラのやや感情的な言い方とはあまりにも違いすぎる。
この真逆ぶりで衝突しないのが不可思議だ。
「そういうことでもないんだけどね。ほら、朋里ちゃんって結構世間知らずだろ、色々見ておきたいって本人は言っていたじゃないか」
「どちらにせよ、口実かなって思うよ。朋里ちゃんは家を出たかったのかねえ」
「…………」
鋭いんだか鈍いんだかよく分からないな、と呆れてしまいそうだった。
最終的に同じ結論に至るのならば、ルートは問わないけれど。
結局、誰一人として。
遊星に対して、直接「これからどうするのか」とは訊くことはなかった。
何というか、どうするかなど透けて見えているのだろうと遊星自身は自分のわかりやすさに辟易するのだけど。
つまるところそれは、昔から変えようのない門大路遊星としての性質というより、大瀧市郎としての根本なのかもしれなかった。
「霊堂市に向かいましょう」
そんな朋里の台詞で、次の行き先は決まっていくけれど。
何があるのかを問うまでもなく、晴が知っているねと言い出した。
「瑠璃堂高校がある場所だねー。呪術師の養成校だけど、今は存在しているのかどうかも怪しいよー?」
「瑠璃堂……あの人が居る場所ね」
シオラも何かを知っているらしい。
遊星は呪術には詳しくないので、何のことかはわからないけれど。
「そこ、俺の母校だよ。五百年前の話だけど」
素樹が欠伸を噛みながら打ち明ける。
「式神術も教えていたからな。担任はもういないだろうが、まあいいだろ」
助手席でナビゲートする素樹は、浮かない顔でそう言うのだった。
運転席の遊星がそれを不思議に思っていると、不意に道の向こうの空が青黒く変化しているのに気が付いた。
夜通し運転していると、普通の人間ならばとうに集中力は切れているだろうが、それが途切れないのが遊星の特質でもあった。
そろそろ夜明けが近づいてくる。
砂に塗れた、くぐもった朝は、あまり気分のいいものではないけれど。
それでもそれを祓うために遊星たちは生きていく。
それぞれのために、進んでいく。
地球を覆う砂は、虹色であり続ける。
「砂の惑星、か」
呟いた声に、素樹が反応する。
「なんか違う気もするけどな」
そうして、緩やかに激しく終わっていく世界で彼らは生きていく。
その終わりの奥にあるものを見つけるために進んでいく。
その隣に誰かが居ると、笑っていた。
時計の針が動き始めていることには、この世の誰も、気付かない。
終わり。
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