序章

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 二十代前半くらいだろうか――いや、もしかしたら二十代にも届いていないかもしれない。それくらい、その人は若く見えた。 「きみ、怪我は?」  その人は顔と同じように性別が判別つきにくい声で話しかけてきた。  信武は未だに地面に転がったままであることに羞恥を感じ、慌てて立ち上がる。  半分以上が雲に隠れ、弱々しくなった月の光で格好を確認するが、目立った怪我はない。信武が痛みを感じているのは、擦り傷が出来てしまった手のひらだけだ。 「えっと……大丈夫、です」  正直に答えたのに、緋色の髪の人は眉をひそめていた。 「大丈夫、だって? それは怪我をしているけど平気って意味?」 「あ、いいえ!」 「まあ、元気ならいいんだけど」  突き放すような冷たい声色で言われてしまった。少し心が痛み、信武は眉を下げる。 「なんでそんなに悲しそうな顔をするの? なにか失礼なことでも言ったかな?」 「い、いいえ」 「違うんだ? じゃあ……灯りがないから、家に帰れないとか?」 「そんなことはないです、けど」 「そう。でも、きみの提灯は壊れているね。これあげるよ。遠慮されても困るから、もらって」  緋色の髪の人は、自分が持っていた提灯を信武に突き出した。信武は躊躇ったが、ややあって煌々と輝くそれを受け取った。 「あ、ありがとうございます。えっと……」 「ごめんね、今は急いでいるんだ。また今度会えたら、名前を教えるから」  相手はそれだけ言うと、すたすたと歩き出した。信武は相手に目が離せず、背中を見つめる。  ふと、相手は足を止めた。信武の方を振り返り、緋色の瞳を細める。 「月が隠れて暗いときは、灯りをきちんと持っていたほうがいいよ」  緋色の髪の人は口の端を上げて笑った。 「妖怪がヒトを闇に引きずり込んでしまうから、ね」  ――そして相手は闇の中へと消えた。  
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