背中合わせ⑴

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背中合わせ⑴

その時。 「お嬢様!」と呼ぶ声が響いた。 ハッとして、しがみついた体を離す。 彼女は俺が貸した、カボカボのジャンバーの袖で、涙を拭った。 そこには、さっきまで泣きじゃくっていた彼女はもう居ない。 上気した顔は、そのままだが。 これがさっきまで、泣いていた少女だろうか? 彼女は一声、静かに呼んだ。 「セルシオ、ここよ」 *** カチャッと彼女の中で、鍵を閉ざす音が聞こえた気がした。 「お嬢様…!」 駆け込む執事を見つめる目は、あたかも氷の眼差し。 彼女の中で、何かがリセットされた気がした。 …心を開いてくれたんじゃないのか? 「こんな、お寒い所で…」 駆け寄る執事の手には、分厚いゴブラン織りのショール。 カシミアだろうか? 「それほど寒くは無くてよ、この男が上着を貸して下さったの」 暁じゃなく、この男・・。リセットされたのは、俺だ。 彼女の声に怪訝(けげん)そうに(まゆ)が上がる。 それも一瞬で「ご親切にありがとうございます」 と頭を下げると、俺の上着と彼女のショールを交換させた。 品のいいバラの花がゴブラン織りの中で咲いている。 いかにも彼女に似合う柄と色は、一目で彼女の為の特注を伺わせた。 量販店の俺の上着が、急にちんけに見える。 距離が離れていく。 いや、初めから距離など縮んではいない。 手の中で泣いた少女は、もう居ない。 ***  「あ・あの・・」 言葉が出ない。咽がカラカラに乾く。 何だ、これは? 恋しちゃいけない、住む世界が違う。 ・・分かってたのに。 「何か?」 凍った眼が俺を見る。 リセットだ、単に彼女の吐け口になっただけ。 誰でも良かったんじゃないか?・・俺じゃなくても? 距離を置け。また俺の中で警鐘が鳴る。 うるさいぐらいに鳴る音を張り払い、俺は叫んだ。
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