めでたし めでたしのその後で

1/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
「嘘だろ?」視線が捉えた物に思わず目を疑った。あり得ない、あり得ない。あれは森に住む妖精らが見せている幻。何度その手の幻を見せられ落胆させられたか。 だが、磁石に引きつけられるかのように、私はそれへと続く細道へと足を踏み入れた。 踏み固められた土の道、森の中を駆け抜ける風、高く低い音程を繰り返して鳴く山鳩の声。そんな音を聞きながら、私は回想する。 事の始まりは、電車待ちしていると、背中を押されその勢いのままホームから転落し、這い上がろうとして…… 気がつきた時には、粗末な木の板の上に寝かされていた。 今、私がいるこの場所が、俗に異世界と呼ばれる所である。と理解するまで、そう時間はかからなかったと記憶している。 その日を境に、私はただ一日を無事に過ごすために必死にならざるをえなかった。 異世界で主に使われている言葉を覚え、古びた生活環境に慣れ、様々な種族と肩を並べて細々した依頼をこなしていった。 そうして何時しか、私は異世界の命運に関わる事柄に巻き込まれた。 仲間や競争相手達、時には依頼主とも手を手を取り合い、危機から多くの人を助け出すことが出来、英雄と呼ばれるようになった。 仲間や競争相手達は、その功績で新たな生活を始めた。 だが、私は異なる世界から来、戻ることが叶わぬ者。仲間が英雄と呼ばれるようになってから程なく、一所に留まれない風のように異世界を彷徨い続けていた。 そんな私の前に、鬱蒼と生い茂る森の木々の奥に、故郷にかつてあったであろう茅葺き屋根を見つけてしまったのだ。 好奇心より、何故の心が勝ち、幻であろうと思いつつ、茅葺き屋根に近づいていく。建物に近づくにつれて、森の木々が脇に避けていき、踏み固められた土はやがて石畳に変わった。 「あら、珍しい」 茅葺き屋根の前で水を撒いていた和服姿の女性が手を止め、にこりと微笑んだ。 「異世界からのお客様なんて、あたし、初めてだわ」 和服姿ではあるが、顔立ちといい、話す言葉といい、その若い女性は、もう戻れないと諦めた故郷の住人そのもの。 「ここはどこだ?」 私の問いに、故郷に近い地名が返って、思わず自分の頬をつねった。……痛かった。 「どうやら、この和菓子屋月猫の主が、あなたを招いたみたいね。どうぞ中へ」 私を招いた? どういうことだ? 頭の中で疑問が次々と膨らんでいく。若い女性に続いて、茅葺き屋根の玄関の暖簾をくぐろうとして、そこから一歩も動けなくなってしまった。 「あらあら、そっちの人だったのね。お客様お手数ですが、この生け垣に沿って庭の方から、飾り窓の前でお待ちください」 若い女性に言われるがまま、私は玄関横の生け垣に沿って庭へと足を踏み入れた。庭は日本庭園そのもので、庭の中央に池があり、錦鯉が何匹も泳いでいて、その池の端に石塔が一つそびえ立っていた。 若い女性が私に待つように言った飾り窓は、すぐに見つかった。飾り窓には、中央に猫を模した黒い窓枠、その周りに切り子細工のようなガラスがはめられており、ステンドグラスのようだ。 しげしげと見ていると、飾り窓の向こうから、先程の女性の姿が現れ、カツン、カツンとリズミカルな音がした後、飾り窓が引き戸のように動いた。 「どうぞ、お入りになってください」 声に誘われるがままに、茅葺き屋根の中に入っていった。右手に玄関、そう、先程そのから入ろうとして入れなかった玄関だ。 「何故だ、何故そのようなものが」 私は確かに森を抜けてここに来た。なのに、開け放たれた玄関の先に見えるのは、間違えもなくビル、ビル、ビル。それも私が上京し、初めて見たビル群そのもの。 「待たれよ、客人殿。今、玄関から飛び出ると、そなたが命を落とした場所から、二度と動くこと叶わなくなるぞ」 その声に私は振り返った。 渋い赤色の階段簞笥の前に立つ大猫。幼い頃何度も読んだ絵本そのものの猫が、腕組みをして立っていた。 「名を名乗るのが遅くなった。おれは山猫。この和菓子屋月猫の主だ。人間社会では山根光太郎と名乗っている。この娘は唯。客人殿、名は?」 「啓介。ケイと名乗っている」 山根と名乗ったその大猫は、和菓子が並ぶカウンターの一部の板を跳ね上げ、私の側に近寄ると、後をついて来るように促した。 店頭を抜けると、そこには長い廊下。それも外から茅葺き屋根を見たときにはなかった廊下だ。その長い廊下の格子越しから見える庭は、何時しか西洋風の庭に変わり、鳥籠を模した東屋が見えた。 「客人殿、あそこで話すことにしよう」 廊下の壁が途切れ、そこから煉瓦道が東屋に続いていた。鳥籠を模した東屋の真ん中にはテーブルと椅子があった。 大猫は呼び鈴をチリリと鳴らし、椅子に腰掛けた。しばらくすると、先程の若い女性がやって来て、異世界に行ってしまってから、何度も食べたいと思った物をテーブルに置いていった。 「食事をしながら話そう。遠慮などいらん。ケイ殿は俺の客人だからな」 大猫はにっと笑い、いなり寿司をつまみ、食べた。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!