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薔薇の香りと、スローな音楽。背の低いベッドに寝そべる男。
ここにあるのは、それだけだ。
「力加減いかがですか?」
「いい感じだよ、最高だ。美人の男の子のマッサージほど気持ち良いものはない」
アロマオイルを塗り込んだ男の背中を優しく、時に強くマッサージをする。
メンズエステ「ローズ・ロワイヤル」──これが俺の職場だ。来る日も来る日も男の体をマッサージするだけ。毎日腕が痛くなるが、時給ではなく完全歩合制だからどんなに疲れていても客を迎えない訳にはいかない。
「はい、60分スタンダードコース終了です。お疲れ様でした」
「えっ、もう終わりか?」
大抵の客は、マッサージの他のサービスがあると期待してウチに来る。当然だ。わざわざ好みのボーイを指名できるシステムで、サイトに載せているボーイのプロフィールだって、顔を隠した裸の写真が多いのだから。
残念ながら、ウチの店はいわゆる「売り専」ではない。男を買いたいならそっち系の店に行くか、根気よくボーイと交渉するかの二択しかない。
「少しくらい頼むよミナト君、そのつもりで来たんだからさ」
「申し訳ありません。エッチな行為は店から禁止されていますので」
迫られたら毅然とした態度で断る。大人しく引き下がるか文句を垂れるかは客次第だが、本番行為がバレて罰金を払うのはボーイの方なのだ。好きでもない男のためにリスクを払う奴など、この店にはいない。
だけど。
「料金の倍払うよ。手だけでいいからさ」
「三倍なら考えます」
「ああ、三倍でもいいぞ」
本番行為をしなくて済むからエステの仕事を選んだが、結局はこういうサービスをすることになる。手だけならバレてもギリギリ咎められることはないからだ。それなら余計に稼げる方を選ぶ。俺はそういう男だ。
「それではお客様、仰向けになってタオルをお取り下さい」
「ああ、わくわくするなぁ」
もちろん、客は見る。触りたくもない男なら当然どんなに金を積まれても断るが、今日の客はなかなかに男前だった。それも俺が「裏サービス」を受け入れた理由の一つでもある。
「お、……お……」
「痛くないですか、お客様?」
「ん、っあ、……最高だ、何だこの手付き、絡み付いてくる……!」
「俺、結構評判いいんですよ。もう60分過ぎてますから、ソッコーでイかしてあげますね」
「なあ頼むミナト。五倍払うから、口でしてくれ」
「嫌です」
「そんなっ」
「お客様が定期的に俺を指名してくれるなら、考えますけど。取り敢えず今日は無理ですね。明日以降、あと十回俺を指名してくれたらその時にしてあげますよ」
「はぁ、やべえ、イく……!」
男の精が吐き出されたのを見て、俺はそこから手を離した。
「後始末は自分でなさって下さいね。無理を言ったのはそちらなんですから」
「うーん……美人に相応しい、その素っ気なさが逆にいいね」
変な奴。平日の真っ昼間にメンズエステなんて来るのにまともな男なんかいないけれど、高そうなスーツを着ていたから少しは期待してたのに。
「実はこの店、俺のお気に入りで前から通っててさ。それでも金を上乗せして咥えてくれなかったのは、あんたが初めてだよ」
「あっそ。幾ら貰ったって好きでもない男のモノ咥えるなんて御免だね」
「ははは、仕事が終わった途端に冷たくなるのもあんたが初めてだ」
面倒臭い。早くシャワー浴びて出てってくれないと、次の客が来るまでの待機時間が短くなるじゃないか。
「なあ、ミナト君の美貌と頑張りに免じて、もっと稼げる仕事紹介してやろうか?」
男が裸のままベッドにあぐらをかき、短い黒髪をかいて言った。
「こんないつ潰れるか分からない店で大勢の男を相手にするんじゃなく、もっと安全に、かつ確実に稼げる仕事だ」
「そんな手に乗る奴、今までいたか? 早く帰れよ、金置いて」
「まあ聞けって、マジで犯罪とかじゃねえから。俺の知ってる金持ちの家で、住み込みでの仕事なんだけどさ。あんたの腕前ならそこの坊ちゃんのマッサージ係にでも抜擢されるかもしれない。それに──」
「………」
「あんたのその美しさと気の強さが、坊ちゃんの役に立ちそうだ」
男が立ち上がり、タオルを首に引っかける。
「……お客さん、名前は?」
「景虎。あんたの名前は? 『ミナト』っていうのは源氏名だろ」
俺は男が首にかけたタオルに両手を伸ばし、体液で汚れた手を拭きながら薄く笑った。
「陽太」
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