エピローグ

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私の日常は、いつも仲間の死から訪れる。 仲間と記述した理由は、それが私の兄弟なのか、母であるのか、ましてや友であるかの判断がつかないからだ。 その話をするといつもお前はどこかおかしいのじゃないかと一蹴されてしまうわけなのだが。 そんなことはどうでもいい。ともかく、今日はどこに行こうか。そう思いながら私は海底で周囲に視線をやる。 周囲に視線をやった所で、さして東京や大阪等の様な華やかさは見られない訳だが。つまるところ、目移ろしてしまうものは何もない。 今日はどこに行こうかと思考を過ぎるも、きっと毎日同じように同じところで同じ飯をくらい、飽きればもとの巣穴に戻り、外敵から身を隠しながら眠りにつくのだろう。 人はこれをルーティンと呼ぶそうだ。ルーティンワークとも呼ぶらしいが、その行いは人々にとって効率的でより良い仕事に実を結ぶ行いだと聞くが、私からしたら馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。何故なら、ルーティンを行ったところで藻の味が濃厚になることはないからだ。 考えるのを一旦やめ、私はいつもの、いわゆるお馴染みの所につき、同じ様に藻を食す予定だった。そう。所謂ルーティンというものだ。 しかし、今日に限ってはそうはいかないようだ。どうやら私は気づけば叔父になっていたようだ。私の甥っ子達が、藻を無我夢中に食らいついていた。 そんなことを無視して私も同じ様に食べても良かったのだが、そうなれば明日にはここに藻がはえることがなくなってしまう。私は賢い生きものだ。だから、今日だけは彼らにそこを譲ることにした。 それが、私にとっての過ちとなるとは思いもよらなかった。
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