エンデサイズの夜

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 リベック・スーデルは緊張の面持ちで市庁舎の廊下を歩いていた。  少々低めな身長ながらも整った顔立ちからか、よく女の子と勘違いされるのにも、随分と慣れた。コンプレックスであるのは変わらないが、人間見かけでは無いと思って生きていこうと決めている。だが先程も先輩らしき社員から昼食のお誘いを受けたところだ。自分が男である事を伝えればあっけなく引いてくれたが、世の女性は大変だなと親身に想うリベックだった。  リベックの勤めるこの市庁舎で働くのは、この特別行政特区シーデン市の中でもエリートの進む道なのだ。その中でも将来有望な第二十一都市開発部署に配属が決まり三日目、リベックはこれから華々しい己の未来に期待を膨らませずにはいられなかった。  部署へ移動して新しく割り当てられた自分の机に着くと妙にやる気が漲る、そんな気がした。そして成功しエリートへの階段を昇る自分を思い描いてしまうのだった。  だが、妄想は唐突に終わりを迎えた。 「おい、スーデル」  上司に名を呼ばれ急ぎ駆けつければ、一枚の紙を渡された。  そこには、 『リベック・スーデルは本日付で第二十一部署から第三十五部署へ移動を命じる』 と書かれていた。 「え、ちょっ!?これなんですか!?」 「何って、移動命令だが?」 「僕何かしました!?入社三日目で移動になるなんて聞いてませんよ!!」 「こっちも何も聞いてないな、さて、行くならさっさと行ってくれるか?此方も忙しいんでな」 「そ……んな……」  険しい表情をする上司にそう言われ、トボトボとデスクへと戻った。殆ど何も無い机から私物を片付け鞄に入れると、仲間と呼べる程のたいした話もしていない、自分と同じ新人達がリベックを見ていて、彼らに軽く会釈をして、第二十一部署を後にした。 「えーと、三十五部署ってそもそも何処だ?」 と無作為に建て増しが繰り返された結果、迷路の様に広くなってしまったらしい市庁舎内でぼんやりと立ち尽くすリベック。部署の案内表示を見ても第三十五部署の名は見当たらない。ここは入口受け付けに聞いた方が良いかと思い、一階の受付へと下階行きのエレベーターに乗り込んで行き着いた。  受付へやって来て、 「すみません、第三十五部署って何処になりますか?」 と受付の女性に訪ねると、ええと?という顔をされた。何故だろうかと考えるのも束の間、隣の女性に小声で「三十五部署って何処でしたっけ?」と尋ねるのが聞こえた。そんなに寂れたところなのだろうかと不安になりながら、女性は大きな紙の地図を取り出して、 「えー、二十七階の全体地図なんですが、こちら?ですね…すみませんあまり聞かない部署だったもので」 「そう…ですか…」 と地図を受けとりながら部署の位置を確かめるが、迷路の奥の奥にあって地図無しでは到底たどり着けそうにない場所だった。 「あの、これコピー出来ますか?」 と地図の一部をコピーして貰うと、先程のエレベーターに乗り込んで二十七階を目指す。 「えーと、こっち…だよな?」  コピーして貰った地図を見ながら迷路のような市庁舎内を歩くリベック。そして突き当たった所にあった扉、重厚というより古ぼけたという印象の扉の上には第三十五部署と書かれていた。その扉をノックすると中から、 「……どうぞ」 と返事が返ってきた。  恐る恐るその扉を開くと、第二十一部署とは違い狭く少々薄暗い部屋の中、そそくさと扉を閉じて中へ入る。奥の部署長の座るべきデスクに居たのは十二歳頃の少年だった。綺麗な金髪の下に右目に黒い眼帯をしてブカブカの大人用であろう白衣を無理矢理着込んでいる様だった。黄色いネクタイをしているもののアンバランスな感じかして止まなかった。 「君がリベック・スーゲル君か?」 「は、はい」 「済まないな、希望部署からの移動は正直嫌っだったろう」 「え、いや…その………」  リベックは思わず言葉が詰まってしまう。 「あの…これは、所謂ところの左遷……ですか?」 「……は?」  子供相手だとはいえ部署長であるらしいので一応敬語で言ってみるのだった。相手はそんな事など気にせず、 「あえて言うならば、逆だ」 「………逆?」 「どうしても人手が欲しかったので上に掛け合った、筆記試験トップ二十位以内で少々特殊な目や耳を持った者を、と」 「それって…え?あれ、ですか?あの…見えちゃいけないモノが見えるっていう…あの試験」 「ああ、見えたのはどうやら君だけらしい、ここはそんな目や耳、鼻を持った者しか入れない部署だ」  リベックは机をバンと叩くと、 「…ずっと隠してきたのに何で解ったんですか!」 「同族には同族が解るものさ」  そして不安げな声音で、 「………僕はここで何をするんです…?」 「あの連中とやりあう、それだけだ」  そう言って部署長席の前のデスクを指差した。 「そこが君の机だ、パソコンは先程買ったばかりで起動やらその他は諸々は任せる、好きに使ってくれ」 「あ、はい……あの、お名前は?」 「ああ、申し遅れた、ゾーロ・シュバルツという。宜しく頼む」  そうしてデスクに着くと、箱から開けられてもいない最新式のノートパソコンが置かれていた。そして向かい合う机の上はぐちゃぐちゃにいろんな物が積み上げられていた。  リベックが恐る恐る指さしながら、 「あの、こちらの席の方は……?」 「直に帰ってくる」 との声と共に部屋の扉が勢いよく開いた。 「たっだいまー!!」 「………お帰り」 「ゾーロさんこれ、ドーナッツ!」 「ん、休憩するか」 「しようしよう~、ってあれ?君ダレ?」  呆気に取られていたリベックに気付いたのか顔を近づけてくる。  身長は百八十センチはあるだろう長身に印象的なオレンジの髪、スクエア型のメガネを掛けた青年だった。おそらくリベックより年上だろう。 「昨日言っただろう、新入りだ」 「そーなの?ヨロシクね!オレはキアナ、キアナ・アベースト」  ニコニコとまるで子供の様に笑うキアナにどう反応して良いか解らず、苦笑いをすると両手を握られブンブンと振られた。  これからリベックの穏やかでない日々が始まるのだった。 *  結局、部署移動初日は与えられたパソコンのセットアップ作業だけで終わってしまった。  部署長だというゾーロという少年と、先輩らしきキアナという人は、デスク横のソファスペースでのんびりドーナッツを食べた後、何処かに出掛けて行き、昼に戻ってきてそしてそのまま「直帰だ」と言い残して帰ってしまった。  その時にリベックにも「今日はもう帰って良い」と言われてしまったので、それに従ってトボトボと帰り道を歩いている。家に帰りつくのには少々早い時間なので本屋に立ち寄り時間を潰してから家に帰った。  団地の階段を駆け上がり五階へ着くと、丁度夕飯の買い物から帰ったばかりの母親と出くわした。 「あら、あんた早いじゃない?遅くなるんじゃなかったの?」 「い、色々あって…」  家に入って着替えを済ませると、台所に立つ母に向かって、 「あのさ、ちょっと…」 「リベック、手空いてるなら手伝ってよ」 「……はいはい」 と慣れた手つきで包丁を手にすると野菜の皮を剥いていく。 「で、話って?」 「………部署、移動になった」 「あんた何かやったの?」 「入社三日目でする訳無いだろ、その…上の都合で、僕じゃないと駄目なやつらしいんだけど、もう訳が解らなくてさ」 「あらーいいじゃない、あんたじゃなきゃ駄目なんて~評価されてるって思えば良いのよ、はいはい皮剥きの手止まってるわよ」  あっけらかんと言ってくる母に、少し当たる様に、 「そうかもしれないけどさ、折角入りたい処に入れたのにいきなり移動になってさ、これでも落ち込んでるんだよ」 「だったらさっさとご飯食べて寝ちゃいなさい、嫌な事が有ったら寝ちゃって忘れるのが一番よ」 「昔っからそればっかり」  昔から言われ続けた言葉を聞いて、大きくため息を吐くリベック。 「そーよ、お母さんはなーんにも変わらないんだから」 「…………はいはい」  そうして母と一緒に作った料理を食べ、風呂に入ると、言われた通りにさっさと自室へは入りベッドに潜り込むのだった。けれども頭の中は今日出会った二人に対する疑問ばかり浮かんでくるのだった。  一夜明けると、テレビでは何やら殺人事件の報道をしていた。若い女性が体に切れ目も無く内臓を抜き取らればら蒔かれていたという、おどろおどろしい内容だった。  若い記者がブルシートの張られた向こう側を指差して報道を続けている。 「ちょっとなにこれー、怖いわねぇ」 「母さん、目玉焼き焦がさないでよ」  自分と母の分のコーヒーをドリップしていると、食パンに目玉焼きを乗せた簡単朝食が出来上がる。彩りにトマトのスライスを添えて。 「あら?今日のコーヒー美味しいわね」 「新しく買った豆だからじゃない?」 「そーかしら?」  トロリとした半熟の黄身をパンと一緒に齧り付くとコーヒーを口にした。 「あ、ホントだ。僕ってば腕上げた?」 「そういうの自画自賛って言うのよ」 「いーだろ、別に」  そうして食事を取ると、新しい部署で必要なものが解らずほぼ空っぽのままの鞄を持って出掛ける事にした。  市庁舎へ着くと、昨日の地図を片手に第三十五部署へ向かえば、例の二人は既に机に着いていた。ゾーロは書類作業をしているようだが、キアナはぐちゃぐちゃになっている机に上を片付けているようだった。 「……あの、おはようごさいます」 とリベックがおずおずと挨拶をすれば、 「やっほーおはよー」 「おはよう」 と各々の返事が返ってきた。 リベックは席に着くと、昨日思ったあれこれを質問しようとゾーロの方を向く。 「あの、質問したいことがあるんですが、いい…ですか?」 「あるだろうな、こんな妙な二人相手には」 「なに?質問って?え?え?」  ゾーロは当たり前のように、キアナは首をかしげてなんでと繰り返す。受け答えのちぐはぐさに頭を抱えつつ、 「ゾーロさん?は年齢は幾つなんですか?」 「………教えない。けれどこれでも成人している。他には?」 「それじゃキアナさんは?」 「オレ二十二!」  教えないという言葉に不安を覚えつつも、 「ここでの主な仕事ってなんですか?」 「………その時が来れば解るとだけ」  含みのある言い方に顔を顰めながらリベックは続ける。 「その時ってなんですか?何時ですか?」 「来ない方が良い仕事だ」 「凄く嫌な予感しかしないんですけど……」 「それは概ね合っているだろう」  そんな調子のゾーロに、はぁーと大きく息を吐いて、 「えーと僕のこの目が必要になるんですよね?そんな事が起こるんですか?」 「起こるからこの部署があるんだが?」  明らかに何かが有ると言っているゾーロにリベックは不安しか感じなかった。 「うう……嫌だなぁ…この目僕嫌いなんですけど…」  幼い頃から良い思い出の無いこの目について、必要になるからと言われても不安しかないのだった。 「こちらとしてはそれが無いと話にならないんでな」 「そう………ですか………」 「他に質問は?」  ゾーロがそう促すと、ぽつぽつとリベックは話し始めた。 「それでですね、僕はお二人をどう呼べばいいんでしょうか?」 「………ゾーロさん。キアナは先輩でもキアナでもどっちでもいいだろう?」 「うん、どっちでもいいよ!」  そう返されて、リベックはこの二人と上手くやっていけるのだろうかと不安になってしまう。 「ゾーロさんとキアナ先輩ですね、解りました。それで今日は何をするんでしょうか?」 「その目を使う仕事は今は無い、キアナと二人で他部署の手伝いに行って貰いたい、予定表だ」  渡された予定表を受けとると、各時間毎に部署名と内容が記されていた。 「ちょ!?これほぼ雑用じゃないですか!?これがここの仕事なんですか!?」 「仕事が無い時にこうやって雑用を受けて回っている。本業の方は来ない方が有り難いからな」 「………それは解りましたから、こんなのが仕事なんて…僕にはやってられません」 「まぁ、キアナと一緒に行って来て貰えるか?その間にこの、たんまりと有る書類作業をこなさなければいけないのでな」  ゾーロの机に山の様に積み重なった書類を見てリベックは一言、 「ご、ご苦労様です」 「なので行ってこい、キアナ頼むぞ」 「わかったー」  そうして二人第三十五部署を出た。  最初は庶務の荷物運びだった。  紙束の入った段ボール箱を二十数個倉庫へと運ぶ作業だった。段ボール一つ一つが大きく重く一度に運べる量は限られていたので何度も往復を繰り返した。  リベックは腕っぷしの良い法では無いのでゼェゼェと行きを吐いていたが、キアナはケロリとした様子で、鼻唄を歌い笑顔を見せながら作業していた。それを信じられないという目で見るリベックだった。  その日はその運搬作業だけで終わってしまい、鞄を取りに第三十五部署へ戻ると、ヘトヘトに疲れて帰宅した。  次の日は第十二部署の、次のプレゼンテーションを兼ねたフォーラムで使用する資料を十種類各百四十部のコピー作業だった。  部署関係なく使える印刷室で延々とコピー作業を続けるリベックとキアナ。原稿を置いて部数を指定してスタートボタンを押す。コピー用紙が無くなれば新しいコピー紙をコピー機に入れてスタートボタンを押す。それの繰り返しだ。  リベックは『今、自分は何をしているのだろう』と自問自答を繰り返し、キアナはというと昨日と同じ調子で菓子を頬張りつつ一人で謎の躍りを踊ったりしながら作業していた。  結局今日もそれだけで一日は終わってしまい、鞄を取りに第三十五部署へ戻ると、ヘトヘトに疲れて帰宅した。  その次の日は急病で人が足りない清掃の手伝いだった。モップや掃除機を手に市庁舎内を隈無く磨きあげていく。解っていた事だが、この広い市庁舎の清掃を請け負っている方々に、これから感謝の念を抱こうと心にとめる程、ハードなスケジュールだからなのだった。  結局今日もそれだけで一日は終わってしまい、鞄を取りに第三十五部署へ戻ると、ヘトヘトに疲れて帰宅した。  そうして、その次の日もそのまた次の日も、他の部署の雑用を押し付けられて、それだけで一日が終わってしまう、そんな日が何日も続いた。  いい加減雑用の様な仕事ばかりで、仕事の意味とはなんだろうと自問自答しながら朝食を取っている時、テレビからニュースの声が聞こえてきた。  また殺人事件が起きた。  この前と同じ内臓抜き取り事件だ。二件目ともなると流石に軍警も忙しく色々と調査に乗り出したらしい事をテレビの報道で聞いたのだった。  それを横目に、中身の大して入ってない鞄を手に玄関を出るリベックなのだった。  第三十五部署に向かえば今日も雑用だった。  本当に仕事とは一体何なのかと考える日々が続き、自宅で机に向かい、あるものを書いた。封筒に目立つ様に『転部願』と書くと、中に定型文を書いた便箋を入れると、鞄にねじ込んでベットへ寝転がるのだった。  リベックは昨日書いた転部願を持って第三十五部署の扉を潜った。  ゾーロは相変わらずデスクでパソコン作業をしていて。キアナはソファスペースで菓子を食べている様子だった。 「ゾーロさん、その…これを……」  そう鞄から取り出した転部願を見てゾーロはため息を吐いた。 「………やはり雑用ばかりは嫌か?」 「ええ、ここの仕事がこればかりではやる気に繋がりませんので」 「…………そうか」  そう呟いてゾーロがその転部願を受け取ろうとした時だ、扉が開いてそこには美女が立っていた。ツカツカとゾーロの前に来るとバサリと書類の束を置く。 「ゾーロ、仕事だ」 「………例の事件か?」 「解っているなら話が早い、早急に頼む」  突然の美女の登場に驚いているリベックにゾーロは淡々と、 「こちら、我が市長だ」 「し、市長!?え!?ええ!!??」  確かに式典等でテレビで目にする事はあっても、こんな近くでお目にかかれるとは思っていなかっただけに、驚きやら何やらが入り交じって変な声を上げるしかないリベック。  市長は薄く笑みを浮かべて、 「例の新入りか?どれだけ出来るか、見させて貰うぞ」  それだけ言うと市長はさっさと第三十五部署から出ていってしまった。 「リベック、出来れば来ないで欲しかったが、これからこの部署の本来の仕事が来た。それを請け負うが、命の危険を伴う可能性もある。それでもやって貰えるか?」 「い、命の危険!?」  いきなり飛び出た言葉にリベックは驚きを隠せない。 「例の内臓抜き取り事件、知っているな?」 「はい、テレビで報道されているアレですよね?」 「それの事件解決及び犯人逮捕の命令が下った」 「そ、れをやるのが、本来のここの仕事なんですか…?」  リベックは恐る恐るゾーロに尋ねると、 「ああ、この部署の正式名称は『魔術解析捜査部』だ、この意味は分かるな?シーデンに住むものなら」 「河向こうの連中…ですか」 「いま、手に持っている転部願を受理しても構わない。何人もそうして辞めていったからな」  じっと手に持った転部願を見つめた後、カバンにねじ込んだ。 「…………や、やります!やらせてください!」  命の危険を伴う事件に関わろうとするリベックにゾーロは驚きを隠せなかった。  先程、市長から受け取った資料を眺めながらゾーロは、 「リベック、出来れば来ないで欲しかったが、上からの命令で例の『内臓抜き取り事件』の捜査をする。覚悟は出来ているな?本当にやるんだな?」 「ここのちゃんとした仕事が来たんですね!ならそれをやります!むしろやりたいです!」  その言葉を聞いてゾーロは徐に机の引き出しからあるものを取り出した。  机の上にゴトリと置かれたのは小さなリボルバー式の拳銃だった。 「これを使う必要の有る仕事だ、それでもやるか?」 「……本当に危険な……仕事、なんですよね?」 「事と次第によっては、な?だから今、それを受理しても構わないぞ」  リベック先ほどかばんにねじ込んだ転部届のことを思い出して、 「こ、この仕事が終わった時、どうするかを考えます……ここで何もしないまま辞めるのは、なんだか嫌なので」 「覚悟は、出来ているんだな?」 「…………………はい」 「…………解った。それと銃の経験は?」  それに首を振って否定すると、 「なら、射撃訓練をしてきてくれ、まず扱い方が解らないと困るからな」 「は、はい、解りました」 「キアナ、射撃訓練だ、リベックに銃の扱い方を教えろ、手入れや掃除もな、それと五百発は撃て、いいな?」 「はーい」  五百と聞いてこれから何が起こるのだろうと不安に思いながらゾーロの机の上から拳銃を恐る恐る手に取った。ずっしりと重いそれ両手で持ち、鞄をデスクに置くとキアナの傍へと近づいた。 「キアナ先輩、宜しくお願いします」 「うん、それじゃ行こっか」 とキアナの後を付いていくと、何時もリベックが使っているエレベーターホールとは違う方向へと向かって歩きだした。隠れるようにあった小さなエレベーターに乗り込むとキアナは地下十四階の階へのボタンを押した。 「こっちにもエレベーターってあったんですね」 「うん、そうなんだー」  リベックはキアナに対してふと思った疑問を投げかけた。 「もしかしてこのエレベーターって、特定の人しか乗れないんですか?」 「そうだよ、間違えて入ったら怒られるよー」  もしや最初の頃に怒られたのか、何かを思い出すようにキアナは言うのだった。 「地下……三十階!?そんなに有るんですかここって!?」 「うん、えーとなんだっけ?地下のしぇーとか言う」 「地下シェルターですか?」 「そうそれ!そうなんだって前にゾーロさんが言ってた」 「シェルターなんてあるんですね………」  キアナがリベックの肩をポンポンと叩くと、 「そだそだ、リベック君って長くて呼びにくいからリベ君って呼んでいい?」 「あ、はい……構いませんけど」 「じゃーリベ君でヨロシクー」 という会話を続けていると目的の階へと到着した。ポーンという音と共に扉が開くと、先ほどの事務的とはいえ装飾のされていた内装とは違い、無機質なコンクリートの壁が広がる空間に出た。 「こっちだよー」 「あ、はい」  エレベーターから出て廊下を進みとある分厚い扉を開くと、そこには映画で見るような風景があった。  射撃場だ。  キアナは慣れたように射撃場内のロッカーや引き出しを開けて何か探しているようだった。 「リベ君銃貸して」  ずっと両手で握りしめていた銃を言われた通り渡せば、 「んー二十二口径かな?ホルスターはーっと……ねーリベ君て右利き?左利き?」 「右利きです」 「んじゃーはいこれ、ホルスター。左肩に着けてね」  上着を脱いで、渡されたホルスターを教えて貰いながら左肩に着け銃を仕舞うと、ズシリとした重さにまず違和感を覚えた。 「で、毎日着けてね?体の一部みたいにならなとダメだから」 「は、はい!」 「それじゃー構え方ね」 と言ってキアナは上着を着たまま左肩からリボルバーの拳銃を取り出した。リベックが持っている物よりも大きく銃身の長いものだった。 「右手でこう持って左手はここに、右手の人差し指はピンと伸ばす。撃つ時だけ引き金に掛ける、これ絶対ね」  そう両手で持ち方を見せるとリベックもそれに習って銃を構える。 「んじゃー撃ってみようか、弾はこれ使って」 と大量の銃弾の入った紙箱を机の上に置くとそう言うのだった。弾を込めようと思いシリンダーを開こうと試みるも、解らないリベックに、 「激鉄を上げて横のラッチを押して横に滑らせるみたいにー」 「こ、こうですか?」 「そうそう、で弾を入れて、さっきの逆でシリンダーを戻す」  凄くゆっくりともたつくリベックをぼんやり見ながら、昔は自分もこうだったな等と思い出すキアナなのだった。 「で、できた」 「出来たなら早速撃ってみよう!狙いの付け方はここのリアサイトとここのフロントサイトとが重なる場所、構えてみて?」 「こう…あ、ここですね!」 「それじゃ撃とう!あ、そだそだ忘れてた、これ着けてね」 「なんですこれ?ヘッドホンですか?」 「イヤーマフ、耳栓みたいな物だよー」  キアナもイヤーマフを装着すると銃を構えてズドンと一発撃った。  それに習ってリベックも目の前の人の形をした目標に向かって一発撃った。 「ぐぁっ!!」  恐ろしい程の反動が右肩に掛かり、腕が後ろに反り返る。その拍子に尻餅をつくリベック。ビリビリと腕が痺れる。 「こんな……僕に出来るんですか?」 「何発も撃てば大丈夫だよー」  のほほんとした口調のキアナを見て不安に思いながらももう一度銃を構えると撃った。また腕が反り返る。それを押さえつける様に次弾を、更に次弾をと繰り返していくリベック。  六発を撃った処でキアナが、 「はいストップーシリンダー開いて空薬莢出して次の弾入れてー」 「はい」 そうしてそれを何度も何度も繰り返す。ゾーロのいう五百発を本気で撃たせるつもりなのだろう。射撃場にはまだまだ覚束無い射撃音が響き渡るのだった。 *  リベック達が射撃訓練をしている頃、ゾーロは第四十三区画へとやって来ていた。  大通りから一歩路地に入ると迷わずとある家の扉を五回ノックする。すると扉が開いた。  そこに居たのは女性の様に整った顔立ちの美男子だった。黒い艶やかな長い髪を後ろで束ねて、白と青のストライプのシャツに紺のジャケットを着た姿は映画俳優さながらだった。 「お久しぶりですねぇ、ゾーロさん、何かご用件でも?」 「ディード、何をしに来たかは解っているだろう?例の物を用意できるか?」  ディードと呼ばれた男はゾーロを部屋の中に招き入れると、ゾーロの言葉に、 「それに見合ったものをそちらがご用意っできるのであれば」  と返した。ゾーロは上着のポケットから古ぼけた手帳を取り出した。 「とある魔術師が残した研究書…の様な物だ、これでどれだけ貰えるか?」 「おや?それは珍しい物ですねぇ……河向こうでも、こういったものは誰かが独占してしまうので。暇潰しには丁度良いです」 「それで、どれだけ貰える?」 「ゾーロさんはせっかちですねぇ、お茶でも飲みながらゆっくり話しましょう」  そう言うとディードは台所へと消えてしまった。勝手にソファに座り込んで相手が戻ってくるのをため息交じりに待つゾーロ。 「今日は良い紅茶が手に入りましたのでそれを、如何です?」 「悪いがコーヒー党でな、紅茶は解らん」 「もてなし甲斐の無い方ですね」 「で、どこまで話せる?」 「河向こうが絡んでいるのは確実ですね、けれど連中ではない。連中なら死体をあんな風に粗末に扱いはしませんからね」 「と言うことは、此方側の人間の犯行か?」 「ええ、そうでしょうね。河向こうに行った時に『馬鹿な事をする奴が居るな』と話題になっていましたから。私からは以上ですね、今回は」  そう言いながらディードはスッとメモ用紙を折り畳んだものをテーブルの上に滑らせるように差し出した。それを受け取り上着のポケットにそれを捩じ込みながら、 「思ったより情報量が少なくないか?………まぁ一度、河向こうへ出向いた方が良さそうだな」  と返すゾーロ。 「例の新入りさんも鍛えなければいけませんし?次は辞めないでくれると嬉しいですねぇ」 「全く、お前はどこからどうやって聞いたのか知りたいものだな」 「それは秘密ですよ。ああ、これをキアナ君に」 と差し出された紙袋の中を見れば色とりどりのクッキーがたっぷりと詰められていた」 「……気に入っているのか?」 「私の作る物を何の躊躇も無く食べる処が、見ていて面白いので」 「お前の普段の行いが招いた結果だろう?薬を仕込んだ食べ物をしれっと出す奴相手には慎重にならざるを得ないだろう」 「まぁ、そうかもしれませんね」  クスクスと笑う相手にまたため息を吐くと、ゾーロは席から立ち上がり紙袋を持って足早に玄関扉へと向かい始めた。 「もうお帰りで?」 「次は確信に迫れそうな物を用意するとしよう」 「おや?それは楽しみですね、ふふっ」  そうしてディードの家を後にすると市庁舎のある第一区画へと歩き始め得た。 *  射撃訓練を終わらせ第三十五部署に戻ってきた二人は丁度戻ってきたゾーロと同じソファに座っていた。 「とりあえず五百撃ってきたよ」 「う、腕が痺れて…ビリビリします」  ぐったりとした様子のリベックに「少し休め」とゾーロが告げれば「ありがとうございます」と返ってきた。 「手入れ方法はやったか?」 「モチロン!一緒に掃除したよ、毎日一緒にする事にした」 「………そうか、リベック無理はするなよ」 「は、はい」  キアナは一切疲れ等無い様子でソファの上で軽く跳ねながら、 「それでさーお腹すいたー」 「ああ、ならこれをやろう、アイツの作ったクッキーだ」 「死神さんのクッキー!やったー!」 「死神さん!?」  不穏な呼び名にリベックが反応を示した。 「知り合いの名だ、アダ名だと思え」 「アダ名だとしても物騒すぎませんか?」 「本人もそれでいいと言っているからいいんだろう、ひとまず休憩にするか……コーヒーコーヒー」 「それなら僕が…」 と給湯室へと向かうゾーロの後を追いかけて、給湯室内へと入ると、目に入ったのはインスタントの瓶を持ったゾーロと、その奥の棚にあるドリップ用のコーヒーセット一式だった。 「あれ?」  そう声を上げると、 「ドリップ用の道具が有りますけど、インスタントなんですか?」 「ああ、前に買って淹れてみたんだが上手くいかなくてな、そのまま放置している」 「だったら僕淹れますよ、家でもやってるので」 「…………なら………頼んでいいか?」  ゾーロは首を傾げながら、 「勿論です、でも豆が無いから買いに行かなきゃですね」 「キアナ、リベックと一緒に買い物に行ってドーナッツ買って来い」 「いいの!わかった行く行く!」  そうして賑やかな二人が出ていくと、ゾーロは給湯室に踏み台を置いて棚からドリップ用のコーヒーセットを取り出すと、埃を被ったそれを水道水で綺麗に洗うのだった。  一方、気晴らしの散歩がてらの買い物に出るとまず気に入りのドーナツ屋でドーナツを購入し、コーヒー専門店へ向かうと、ゾーロのコーヒーの好みは解らなかったのでリベックの好みのブレンドにしてもらった焙煎豆を買って市庁舎へと戻るのだった。  割と早く戻ってきた二人は、ドーナツとコーヒーの良い匂いを漂わせていた。リベックが慣れた手付きでドリップコーヒーを淹れるとソファに座るゾーロの前へカップに注いだそれを差し出した。自分用にもコーヒーをカップに注ぎ、コーヒーが苦手らしいキアナにはココアを用意した。 「ゾーロさんどうぞ」 「………ふむ、旨いな」  ゾーロの言葉に思わず顔が緩むリベック。 「ありがとうございます」 「これからコーヒー担当にしてもいいか?」 「時間が有る時なら、何時でも」  そう言ってその役目を引き受けるリベックなのだった。リベックもソファに腰掛けてコーヒーと一緒にドーナツを頬張る。その甘さが射撃訓練の疲れを癒してくれるようでリベックは堪らない気持ちになるのだった。そうしてずいぶんとのんびりした時間を過ごした。 「…………さて、休憩も終わるか」 と言ってゾーロが立ち上がると、 「そのまま聞いてくれ。ここ数日騒ぎになっている内臓抜き取り事件、それの犯人逮捕及び解決が上からの命令だ」 「は、はい!」 「はーい」  リベックとキアナそれぞれの反応を返す。 「キアナとリベックはツーマンセルで行動する事、いいな」 「つー…なんとかって何?」  キアナが疑問の声を上げると、ゾーロは、 「絶対に二人で行動しろという意味だ」 「そっかー、わかった!」 それを聞いてうんうんと頷くキアナ。 「それとこれを渡しておく、『特別越境許可証』だ、これがあれば他の部署長も軍警も指揮下に入らなければならないという物だ、時と場所を考えて使え」 「は、はい!」 「はーい、わかったー……あ!前使ってた失くさないようにする奴どこだっけ!?」 と言いながら慌てて自分の机を探すキアナに、 「……これだろう?」 とゾーロが首から下げるタイプの名札入れを手にしていた。 「それそれーなんでゾーロさんが持ってるの?」 「前に『失くすから預かって』くれと言ったのはお前だろう?」 「そうだっけ?」  首を傾げつつ許可証を名札入れに入れるキアナ。リベックもゾーロが用意してくれていた名札入れに入れると、 「まぁいい、二人はまず軍警に詳しい話を聞いてきてくれ」 「えーと、ゾーロさんは?」 「個人的に情報を集めてくるが、まずこの書類を片付けてからだな…」  部署長の机に山の様に積み上げられた書類を眺めながらしみじみと言うのだった。 「そっかー頑張ってねー」  そうしてゾーロを一人部屋に残して、リベックとキアナは一緒に部屋を出ると軍警の詰め所に行く為下階行きのエレベータに乗り込んだのだった。 *  それから暫くした後、ゾーロは最上階の市長室に来ていた。 「新人を試すような依頼だな」  開口一番、そう呟くように言ったのはゾーロだった。 「お前の方も色々と苦心している様だから手助けしてやっただけだが?転部願を出されかけていただろう?」 「要らぬ世話だと言いたいが?」 「それは済まんな、だが良い案件だろう?使う手は無い」  お互い同じ立場であるという風な砕けた物言いをし合う二人は会話を続ける。 「やれやれ、困った市長だ」 「お前が市長にしたんだろうが」 「……………まだ寝に持っているのか」  スッと何かを思い出す様に目を細めるゾーロに、市長はというと 「さてな?まぁお前に部下を育てる才能が無いのだけは確かだがな」  図星であるらしい事を口にした。 「それを言われると困るのだがな」 「まぁいい、目星は付いているのだろう?」 「………ああ」 「ならば可愛い部下の奮闘ぶりを眺めようではないか」  形の良い唇で笑みを浮かべると、窓から午後の日差しを受けるシーデン市内をゆっくり仰ぎ見るのだった。  リベックは渡された特別越境許可証を見つめながら、 「軍警が本当にこれで情報くれるんですか?」 「くれるよーこれが有ったら優しいんだよ、皆」 「そういうものですか?」 「そういうものだと思ってるよ、オレは」  キアナの物の考え方は楽観的すぎてあまり信用できないとリベックはここ数日のキアナの行動を見て思うのだった。けれど時折誰も気付かない事に気が付いたりと、普通とは違う感覚の持ち主だという事にリベックは気付いたのだった。 「あーニコさーん!こーんにーちわー!!」 と四十四区画の軍警詰め所に立ち寄ると、知った顔が居たのか両手を振ってその人物へと駆け寄るキアナ。リベックはその後を慌てて着いて行きながら、 「ちょっと、急に走らないでください」 「あーごめんごめん」  その人物の前で立ち止まる。引き締められたがっしりとした体格の中年男性で、キアナは楽し気に話しかける。 「なんだなんだ!?オレンジ頭がまた来やがったのか?それもお供を連れて」 「うん、そうだよーオレ、後輩が出来たんだー」 「そりゃ良かったなぁ~そんで、まーた面倒臭い事やらせる気だろう?」 「うん、おねがいしまーす」 と言って上着の内ポケットに入れていた特別越境許可証を見せるキアナ。それに苦い顔をして、大きくため息を吐くと、諦めたようにパイプ椅子にどっかりと座った。 「面倒臭いな本当に………解った、今は色々と込み入っててな同行は出来ない。が、情報は渡す、それでいいな?」 「うん、ありがとーニコさん」 「あ、あのっ、先日配属になりましたリベック・スーデルです。宜しくお願いします」 「可愛い子じゃないか、お前さん大変な先輩を持ったな。俺はニコラス・スミスだ、気さくにニコさんって呼んでくれて構わないぜ、お嬢ちゃん」 「えと…あの…」  女性と呼ばれた事に戸惑いを見せるリベックに、あっけらかんとキアナが、 「ニコさーん、リベ君男の子だよ」 「………お前さん男……なのか?」  信じられないという表情で顔をまじまじと見られるが、リベックは恐る恐る答える。 「は、そうです…よく間違えられるんで…その…慣れてます、から」 「いや悪い、てっきりお嬢ちゃんかと思ってな、声よく聞いたら男だな、スマン」  頭を下げて詫びるニコラスに、リベックは慌てて、 「いえ、そう言って頂けるだけで十分ですから……」 と申し訳無さそうに答えるのだった。 「………オレンジ頭、お前ちゃんと守れよ、可愛い後輩なんだからよ!」 「モチロンやるよ!」 「本当か怪しいんだよ、お前の場合は」  バンバンとキアナを叩きながらワハハと笑うニコラスに段々と親近感が湧いてくるリベックだった。けれどもこれは仕事、切り替えなければと思いリベックは、 「あの、それで軍警からの話を聞きたいのですが」 「そうだったな、例の内蔵の事件か?こっちで集めた資料を纏めたのがあるから取ってくる、待っててくれ。ただし持ち出し厳禁、コピーも禁止だ」 「はい、解りました」  そうしていると他の軍警も集まってきて、 「あら、新入りさんなの?同じ女同士仲良くしましょうね」 とても妖艶な雰囲気を醸し出す女性警官にドキリとしながら、否定の言葉を出そうとするが上手く出てこず、 「ジュリアさん、リベ君男の子だよ」 というキアナのその一言で全て解決した。 「え!?そうなの!?ごめんなさいね」 「あの、なれているので大丈夫です……」  それを見ていた男性二人は、にこやかな表情で、 「俺はマイケルでこっちがギルベルト、宜しく頼むな新入りさん」  そうやって自己紹介をし合っていると、ニコラスがギルベルトに、 「おいギル、例の内蔵事件の書類持ってきてくれないか」 「何かあるんですか?」 「いやな、こいつらが必要だと言ってきててな」 とリベック達の方を指差すニコラス。それで理解はしたが、 「持ち出し厳禁では?」 「ここで見る分には構わないだろう?悪いが頼む」 「はぁ、解りました」 そう言ってやや早めな足取りで資料室へと向かうギルベルト。 「ねぇオレンジ君、今オススメのスイーツって何?」  先ほどジュリアと呼ばれていた女性がキアナに擦り寄ってそんな話をしてくる。きっとキアナを狙っているんだろうなとリベックは思ったが、キアナは恐ろしい程鈍感なので全く通じていないのが目に見えて解ってしまうのだった。 「んーと、ふわふわパンケーキか大盛りパフェかな?」 「あら、パンケーキいいじゃない、お店どこ?今度行きたいわ~」 「お店ね、はーえーっと……」  等と話し込んでいる内にギルベルトが一連の事件の書類を持って戻ってきた。どさりと机に乗せると、 「これが軍警で集めた情報です、他言無用でお願いします」 「これに河向こうの地図ってある?有るなら欲しいんだけどー」 資料を眺めながらキアナはそう呟く。今回の事件に関係のありそうな物は出来るだけ入手しておきたい処だ。 「有りますよ、今は地形が変わっているでしょうけれど」 「やっぱりある方がいいからさー、ありがとねー。それじゃー見よう………難しい言葉がいっぱい…」  パラリと資料を捲れば、専門用語と難しい言い回しの羅列で、キアナは眼鏡を外して目頭を押さえた。 「僕がやりますよ、覚えたりとかするのは割りと得意なので」 「リベ君凄いね、俺とは全然違うやー」  何冊もある関連資料をパラパラと捲りながら、一語一句を頭の中に入れていくリベック。これでも市庁舎への入社試験では、トップクラスの成績を残している。そして一通り資料を見終えるのには三十分も掛からなかった。そして資料の内容を全て頭に詰め込むと、資料をギルベルトに返した。 「ありがとうございます、一通りの事は解りました。これから現場に行ってみます」 「そうか、何かあったら呼び出してくれ、出来ることなら力になるからな」  ニコラスのその言葉に笑みを浮かべながらリベックは、 「はい、ありがとうございます」 と笑顔で返したのだった。 *  まず二人は第一の犯行現場となった場所へと向かった。  そこはすっかり片付けられていて花束が幾つか献花されていた。  キアナは鼻をスンスンとさせながら現場の様子を見ている。そして上着から取り出した懐中電灯で現場を照らした。 「何ですか、それ?」 「魔術の痕跡が解るライトだよ、ここは結構時間がたってるから残り香は少ないみたいだけど」 「そんな便利なものがあるんですか!?」  なんとまぁ便利な世の中になったものだと感心したリベック。けれどキアナは、 「オレはあんまり使わないけどねー………リベ君は見えるんでしょこういうの、だから必要ないんじゃない?」 「確かにそうですね、うっすらと痕跡は見えますけれどほぼ消えかけという感じですね」 「………うーん、ここは時間が経ちすぎてて解らないや、次の所に行こう」 と言って足早に立ち去るキアナとそれを追いかけるリベック。  第二の現場も時間が経ち過ぎたせいで情報が乏しく、二人は第三の現場へと向かった。 「あ、ここ、残ってる!」  キアナはそう言ったかと思うと、ライトをリベックに渡して現場をウロウロとしだした。リベックはライトを消して紫の靄の様な魔術の残り香を目で捉える。確かに今までより濃い色をしているのが解った。 「やはり犯行はここででしょうか?」 「ちがうよ、ここの魔力は残り香だから多分別の場所で術を使った後ここに置いたんだと思う」 「どうしてそれがわかるんです?」 「んー、こっちからその匂いがしてくるから……こっちかな?」  そういうと現場を離れふらふらと細い路地を通ってどこか別の場所へと導かれるように進むキアナ。その後を付いていくと、紫の霧が別の道へ続いているのがリベックに見えた。 「ここだ!」 と、たどり着いたのは使用されていない廃ビルの一階っだった。 「す、すごい、さっきとは比べ物にならない程の魔術反応」 「んー、ここだね、ここで作業した後あっちに持っていったんだろうね」 「…………どうしてここに放置しなかったんでしょうね」  そんな疑問を口にすれば、キアナは考え込む。けれど、 「何でだろうね?」 と首をかしげるだけだった。 「取り合えず軍警にこの場所の事知らせておきましょう。他の現場でも同じような事をしたかもしれませんし」 「そうだね、そうしよっかー」  そうして振り返って現場へと戻りかけた瞬間、リベックは通行人とぶつかって尻餅をついてしまう。 「す、すみません、お怪我は……」 「問題ありませんよ、貴方こそ大丈夫ですか?」  そう、よく通る声で呟かれると、リベックに立ち上がれるようにと手を差し出した。 「あー!死神さん、どうしたのこんな所で」  黒く長い髪を一つに束ね、少々河向こうの連中の服に似た衣服を身に纏ったディードがキアナに軽く手を振る。 「何って、散歩ですよ。例の殺人鬼探しをついでにしながら」 「何か解ったんですか?」  立ち上がったリベックがそう尋ねると、ディードははぐらかす様に、 「さて、どうでしょうね?私としては頑張っているつもりなのですけれど…」 「死神さん、なんか解ってるならヒントちょうだい!」 キアナがそう聞くが、 「あげると思いますか?私が貴方達に」 「おねがーい!!」 渾身のお願いポーズをするキアナを横目に、ディードはうーんと考える様なポーズをとって暫く考えた後、にこやかな顔で、 「お断りします」 と言い切った。それにガックリと項垂れるキアナと、そんなディードをじっと見つめるリベック。 「あの、もしかして貴方は犯人が誰か解っているのですか?」 「……………その質問には答えません」 「……………そうですか」  その言葉に頷いたリベックは、キアナに向き直って、 「先輩、取り合えずここの事を軍警に知らせに行きましょう、その後向こうで何か有力情報が得られないかどうか聞いて回りましょう」 「うん、わかった、そうしようか」 ここの場所を地図に書き込むと、 「それでは僕達はこれで、失礼します」 「死神さんまたねー」 キアナはディードに向かって手を振ると、リベックの後を追いそそくさとその場を後にした。  発見した場所時はすぐさま軍警に伝え、慌ただしくその場から先程の所へと向かうチームが作られた。  そして先程の事件現場の状況や軍警からの資料を見る限り、犯人は河向こうの連中との接触が有ったことはやはり明白だった。  それから軍警から新しい情報として、最近河向こうによく訪れているものをリストアップしたものを見せて貰えた。勿論これも持ち出し厳禁のため、リベックが名前や顔を覚える事となった。  そして、その人物に話を聞こうということになったのだが、 「よし!それじゃ直接行ってみよう!」  それを探りに行く為、キアナは河向こうへ出向くことを提案した。リベックは狼狽えながら、 「い、行くんですか!?僕はあんまり行きたく無いんですけど…その前にリストアップされてる人に話を聞くのが先かと…」 グイグイと進むキアナに、ズリズリ引きずられているリベックの姿があった。そんなやり取りが何故か軍警の詰め所で行われていた。 「でもあっちに行かないと何があったのか解らないよ?多分向こうのヒト達が関わってるだろうからさ、それを調べないといけないと思うんだ」 「…………わ、解りました。行きます、行けばいいんでしょ!!」 「リベ君落ち着いてーこの怪しい人物リストに載ってる人を見つけて、何やってるのか確認するだけだからさ?」 「わかってますよ、わかってますよ!」  半ば自棄になり出したリベック。それからリベックは一度体勢を整える為立ち上がり深呼吸をすると、二人揃って河向こうの四十六区画へと向かうのだった。  軍警の詰め所を出た時には、傾いた太陽が橙の光で世界を染め始めた頃だった。  河向こう、正式名称『第四十五区画』の唯一の入り口である区画の手前の橋、その橋を渡る直前にリベックはキアナにしがみついて、 「キアナ先輩、ほ、本当に行くんですか?」 「だって行かないと解らないことが多すぎるんだよ?」 「でももう夕方ですし……」  夜になると恐ろしいものが出るのではと想像してブルリと震えるリベック。それに「心配しすぎだよ」と言いながら、 「向こうのヒトは夕方にならないと出てこないヒトとかも居るからさー」 「し、死神さんが出るかもって、小さい頃夜が随分怖かったんですよ」 「死神さんって?」  どの死神さんだろうとキアナが首を傾げていると、リベックが心底怖いと言わんばかりに、 「死神さんの唄ですよ、小さい頃大人達から聞いて怖かったんですってば」 「どんな?」 そう聞けば、リベックが童謡の様に懐かしいメロディーの歌を謡いだした。 「夜になったら~お家にかえろ~でないと~死神さんに~首を~バッサリ切られてしまうよ~………ってやつです」 「……もしかしてリベ君西側の人?」 「え!?なんで解ったんです!?僕三区画の育ちで…」 キアナの言葉に驚きを隠せないリベックに、キアナはのほほんと微笑むと、 「その唄ねー、西と東で歌詞が違うんだよ」 「そ、そうなんですか!?知らなかった……」 キアナは「まぁこの街結構広いからね」と言いながら同じメロディーの歌を謡いだした。 「えっとね、たしか……夜になったら~死神さんが~出てくるよ~悪い奴の~首を狩りに~巻き添えだけは~ごめんだね~……って感じ」 「東の方が物騒ですね……」 「死神さんが住んでるからねー」 「え!?ちょっと怖い事言わないでくださいよ!」  そう言い合いながら、河向こうへ向かう唯一の橋へと歩みを進めるのだった。 *  河向こうへの唯一の入口である軍警の警備する橋を渡り、いざ中へと入っていく。  そこは映画で見るようなスラムだった。夕闇に沈む橙の世界の中で、狭い道に処狭しと露天が開かれ、行き交う人々の中には見たことも無い様な異形の者も居たが、リベックは見なかった事にしてキアナの腕にしがみ着いてその往来を行くしかなかった。  その沈む太陽の光も徐々に弱くなっていき、街頭が点るといよいよ妖しさを醸し出していくのだった。  そんな中、建物と建物との狭い路地から、 「…………助けて」 と、か細い声がリベックの耳に届いた。しがみついていたキアナの腕を離し、そちらをじっと見つめる。あるのは暗闇だけだが、何故かリベックはフラフラとそちらへ足を向けてしまった。  何も見えない暗闇をコツリコツリと歩を進めていくと、声の主の元にたどり着いたのか声が大きく聞こえる。 「………来てくれたの?」 「えっと……どうしたんです?」 「私とっても困ってたの………」 「それはどういう…?」 「………とってもお腹が空いてたの!!!」  カラリと隠れていたランプが地面に転がると、その相手が異形の頭を開いてリベックを丸のみにしようと立ち上がったのだった。 「っ!?」  後ずさろうとしようとするが足が凍りついたかの様に動かず、冷や汗が身体中に流れる。  どうしたらいい?、どうしたらいい?、逃げなきゃ!逃げなきゃ!と頭の中はその事で一杯なのに指一本動かせない。リベックは完全に恐怖に支配されてしまっていた。 「リベ君っ!!」  そのキアナの声にビクリとし、ゆっくり後ろを振り向くリベック。駆けて来たキアナに手を伸ばすと、キアナは恐怖で固まってしまって動けないリベックの体を方に抱えあげて、路地を駆け壁を蹴り上げ反対の壁にジャンプをして更にその反対壁を蹴り上げジャンプしてまた反対の壁を蹴って蹴り続けて建物の屋根まで上りきると、ゆっくりリベックを下ろした。腰が抜けたのかその場に座り込んだ。 「リベ君大丈夫?ていうか、気を付けてって言ったでしょ!」 「す、すみません…何だか呼び寄せられてるような感じがして……」 「そういう術を使う奴が多いんだからね、オレの手を離しちゃダメだよ!」 「は、はい……」  一通り反省した後、リベックの調子が戻るまで暫く屋根の上で休む事にした。 「………どう?」 「…大分マシにはなってきましたけど、少し頭がグルグルして………」 「もうちょっと休もうかー」  そうしてリベックは屋根の上からそっと下を覗く。 「色んなヒトが居るんですね………」 「そりゃ河向こうだからね、普段街で見ない様なヒトも居るからね。二つの大陸からのえー…ふほうなんとかっていう…」 「不法入国ですか…確かにここなら隠れて暮らせますね」  屋根の上から覗き込んでいると、今まで見て来た世界とは全く違うものがそこに広がっていて、リベックは好奇心に駆られるのだった。そうして様々なヒト達を見ていると、ふと気が付いた。  少し考え込んだ後、 「……あ!!」 「なに!?どしたの!?」 「あそこに居るのリストに入っていたメアリーさんじゃないですか?」 指さす先に居た赤毛の少女を見てキアナは、 「……そうなの?」 「背格好がメアリーさんに良く似ています!」 リベックが言うのだからそうに違いないと判断したキアナは、 「よし!追いかけよう!」 「ええ!?どうやってここから降りるんです?」 先ほどは咄嗟の事でやってのけたのだと思っているリベックは、キアナがあっけらかんという言葉にポカンとした。 「さっきの逆で降りてけば良いんだよ」  その言葉を聞いて引きつりながら、 「ぼ、僕には無理なんですけど……」 「しょうがないなー、俺が担いでいくよ」 先ほどの様に運ばれるのかと思うと気分が落ち込んでしまうが、この場合は仕方無いのだと自分に言い聞かせると、リベックはキアナに頭を下げて、 「…………宜しくお願いします」 と答えたのだった。  そうして先程とは逆に壁を蹴って下まで降りると、担がれていたリベックは地面に下ろされた途端に尻もちをついてぐったりとした様子で大きく息を吐いた。けれどもゆっくりと立ち上がれば、先程見かけた地点へと急ぐ。  その地点に辿り着くと、周りを見回しヒトの顔を見ては先程の人物、メアリーを探す。すると曲がり角を曲がるメアリー似た姿の人物を見つけたのだった。  そっと後その後をを尾行するリベックとキアナ。  雑踏の中で更に曲がり角を曲がり暗い裏路地をへと入っていく少女を追いかける。よく見ればその手には古めかしい本が有るのが解った。そしてパラパラと本を捲って、鼠に向かって手をかざすと、パチパチと電撃の様なものを発し高と思おうと、鼠から何かを吸いとったのかぐったりと動かない鼠の姿があった。  それに満足した様に少女は笑むと次の獲物を探すべくキョロキョロとしだした。 「先輩、あれって魔術ですよね?」 「うん、そうだよ、鼠から何か吸いとったのかな?」  初めて見る魔術に興味津々のリベックだったが、キアナは冷静に彼女が何をしたのかをしっかりと見ていた。 「ああいう本って確か所持禁止でしたよね?」 「一応そうだけど、捕まえるには軍警じゃないと無理だよ」 「だったら僕が軍警を呼んできますから先輩は逃げないように見張っててください」 「わかったー」  そうしてリベックはその場を離れ、橋の向こう側に居る軍警へと知らせに行くリベック。  その場で少女の様子を見続けるキアナ。  けれども少女はその場を離れ別の路地へと進んでいく。一瞬この場を離れて良いものかと考え迷ったキアナだったが、少女を追いかける事にした。靴音でだろうか、尾行されているのに気が付いたのか少女の歩くスピードがだんだんと早くなっているのにキアナは気がついた。そうして一気に駆け出した少女をキアナは全速力で追いかけた。 「ちょっと!あんたなんなのよ!!」 「ごめんー!君に用があるんだー!」  走りながら振り向いて少女は叫ぶ。キアナも同じ様に叫んだのだった。 「用って何よ!」 「えーと、難しくてわかんないんだけど、取り合えず君を捕まえなきゃいけないのー!」 「何よそれ!意味解んない!!」  そう叫ぶや否や少女は走るスピードを上げた。迷路のようなスラムの中を追いかけ続けるキアナ。  そうしてやっと追いつき少女の腕を掴むと、じたばたと少女は暴れだした。 「ちょっと!離しなさいよ!」 「お願いだからあんまり騒がないで、俺が怒られちゃうから!」 「あんたがどうなろうと知ったことじゃないわよ!」 「そうだけどおねがい、ね?ね?」  腕を掴む手はそれほど強くはなく、手加減されているのが嫌でも少女にも解った。それで仕方なく頬を膨らませながら、 「わーかったわよ、とんでもない事になったらあんたが責任取りなさいよ!」 「わかった、わかったよー」 ふんっと鼻を鳴らすと、暫く少女はは大人しくキアナの言う事を聞いてくれる事となった。 「それでゴメンなんだけど、橋までってどう行けば良いんだっけ?そこで待ち合わせしてるんだけどどう行けばいのかな?解るなら連れていって欲しいんだけど…ここ来る度に変わる不思議な迷路だから……」 「はぁ?あんたねぇ………もういいわ、連れってってあげる」  呆れを通り越して馬鹿にした様な表情をする少女にキアナは満面の笑みで、 「ありがとー」 と笑うのだった。  そうして少女に道案内を任せキアナは無事、橋の袂へと戻ってこれたのだった。 *  夕暮れが終わり夜が始まろうとしている頃、軍警を連れたリベックが橋を越えてやって来ると、橋の袂にキアナとその隣に先程の少女の姿が見えた。 「先輩、無事確保出来たんですか!?」 「うん、そうだよ、お願いしたらここまで連れて来てもくれたよ」 「………え?あ、あの、どうやったらそうなるんですか」 「さぁー」 とキアナの隣の少女に目を向ければ、 「軍警が来るなんて聞いてないわよ!あんたどう責任とるのよ!!」 「責任って……どうやって取るの?」 「あたしだって解んないわよ!」  随分と気性の激しい少女に、リベックは「落ち着いて下さい」と言いながら少女の持つ本を指さして、 「あの…急にすみませんがその本を見せて貰えないでしょうか?」 「嫌よ!!」 少女は本をぎゅうっと抱き抱えて離そうとはしない。何とか説得出来ないものかとリベックが考えていると、一緒に来ていた軍警の女性が腕を逆手に捻って無理矢理本を奪ったのだった。それを受け取った上官らしき人物が、 「所持禁止の魔導書だな、お嬢さん済まないが一緒に来てもらえるかね?」 「なんでよ!返しなさいよ私の本!」 「行くぞ」  軍警が声を上げる少女を無理矢理に近い状態でつれていく様をリベックとキアナは見ていることしかできなかった。  橋を渡り、第四十四区画の軍警詰め所へとやって来て、 「お嬢さんには例の内蔵抜き取り事件の容疑者の一人だ、色々と話を聞きたいんだが…」 「話すことなんてないわよ!だって私が術を使ったのはカエルとかネズミとかだもの、人を相手にした事なんてないもの!」 「いや、しかしだな…」 そうして本の入手経路やらをを聞こうとした時だった、一人の警官が駆け込んできて、 「また殺人事件が起こった!例の内蔵抜き取りだ!」 軍警の詰め所は一気にざわつき始めたのだった。 もうすぐだから待っていてくれ、愛しい人。 まだ君と逢うには時間がかかりそうなんだ、情けないことだけれど。 申し訳ないと思うよ、けれど急いで君のその瞳に光を取り戻して見せるから。 だから待っていてくれ、愛しい人。  軍警の詰め所は騒がしくなってきた。  新たな事件の発生にガヤガヤとしだした、慌ただしく現場に向かうためのチームが結成され、リベックとキアナもそれに付いて行く事となった。  場所は中央の第二十三区画で起こったらく、第四十四区画に居たリベック達は遅れての到着となった。先に来ていた第二十三区画の軍警達がてきぱきと実況検分しているところだった。遺体は既に片付けられ、白い線で囲われていた場所に遺体が有ったことが一目で解った。  第四十四区画の軍警は魔術反応を探るライトで現場を照らしていたが、いまいち結果が得られているように見えなかった。  キアナはというと、同じようにライトを照らしながらスンスンと何かを嗅いでいる様だった。リベックは魔術反応の煙を見つけると、ふらふらと現場から離れていくキアナと一緒に現場を後にした。 「先輩、この辺りですかね?」 「うん、こっちから匂いがするんだもん」 「今日の見て回った現場と同じって事ですか?」 「うん、そうだね」 「だったら場所を突き止めましょう、まだ何かが残っている筈です」  そうリベックが言うと、キアナはコクリと頷いてまた歩きだした。  そして行き着いた先は行き止まりの狭い通路だった。何かを水で洗い流された跡があり、一見水撒きでもした様な雰囲気だが、リベックの目に見える魔術反応を示す紫の煙はそこに充満しているのだった 「ここ………ですか」 「そうみたいだね」 「先輩はここで待っててください、僕は軍警の人を呼んで来ます」  そうして軍警の何人かを連れてくると、驚いたように魔術用ライトを照らすのだった。 「凄いな、こりゃ驚いた」 「犯行現場はここか……それにしてもオレンジ頭、こういうとこだけは相変わらず優秀だな」  一様にキアナ達を誉めながら実況検分をし始めた軍警の面々。それを横目で見ながらリベックはキラリと光る何かを発見した。よく見れば小さい懐中時計の様だった。カチリと時計の蓋を開くと、美しい女性の一緒に写る男性の姿と持ち主の名前が刻まれていた。リベックはそれを懐に仕舞うと、何事もなかったかの様に、 「ん?何かあったか?」 とニコラスに聞かれたがリベックだが、 「いえ、ただの石でした」 そう言って誤魔化した。 「なんだ、今回もまた手掛かり無しか?……まぁ現場を特定できただけでも今回の成果は大きいな」  そう言うニコラスにリベックはおずおずと尋ねる。 「今までは犯行現場を特定出来なかったんですか?」 「周囲を隈無く探したんだが発見できたのは二度目の犯行の時だな、三度目のはオレンジ頭のお陰で見つけられたし、お前らのお手柄だよ」 「いえ、僕達はただ気になる場所を進んで来ただけですから、褒められても困りますよ」 と控えめな返事をするリベックに、ニコラスは背中をバンバン叩きながら、 「そんな謙遜するなって」 とガハハと笑うのだった。  検分は夜遅くまでかかるだろうとの事で、リベック達は報告も兼ねて一度市庁舎へ戻ることにした。  リベックとキアナの二人が第三十五部署に戻るとゾーロは机に積まれた書類の山と格闘していた。 「たっだいまー」 「ただいま戻りました」 「…………お帰り、成果はあったか?」 「特に何もー」  書類を見ながらそう言ってくるゾーロに、キアナはそれだけ言うとソファにぼすりと横になりそのまま眠り始めてしまった。リベックはズイとゾーロの机の前に立つと、 「その……これを……」  そう呟くとリベックは懐から先程拾った懐中時計を取り出すと、ゾーロに渡したのだった。 「………これは?」 「その、現場で見つけました、そして…勝手な判断ですが持ち帰りました」 「………後で軍警にドやされても知らないぞ」  そうして懐中時計を受け取り蓋を開くと、ため息を吐きながら、 「……やはりか」 「……その、やっぱり心当たりはあったんですね」 「どうしてそう思う?」 「何となくです」 ただただそう思っただけだとリベックは正直に答えれば、 「そうか…………そういう才もあるか」 「え?……何のことです?」 「………何でもない」 そしてゾーロの机に積みあがった書類を見て、 「あの……書類仕事、出来る事があるならやりますよ」 ゾーロの机に山積みの書類をを指してリベックが言う。それをうんざりした目で見ながらゾーロは、 「……………なら、頼んでも良いか?」 「…はい、それとコーヒー淹れましょうか?」 「…………頼む」 「解りました」 そうして給湯室へと向かうと数分後香しい香りと共にコーヒーが運ばれてきた。コーヒーをキアナのをデスクに置くと、ゾーロの机の上の書類の山から一部を取ると、書類内容にについての説明を受けるリベック。 「これがここ数日に起きた魔術の絡む事件の内容だ、これがシーデンの規定されている魔術規範内に含まれるかどうかを調べて、範囲内ならば判押し、規定外ならば赤いペンで何条違反なのかの書き込みをして別に処理するから分けて置いておく、以上だ」 「魔術規範って言われても解らないんですけど……?」 「これを使え」 とゾーロが引き出しから取り出したのは分厚い辞書のような本だった。 「魔術規範……こんな辞書みたいな本があるんですか」 「リベックは西側の出だったな、魔術でのいざこざは中央から東側にかけてが多いからな」 「そう、なんですか」 「取り敢えず、ゆっくりで構わないから頼む。これが判だ」  そう言われるままリベックは自分の机に座って作業に取り掛かった。書類を見て魔術規範を引くと判を押したり、赤いペンで書き込んだりをし始めた。  ゾーロはリベックの淹れたコーヒーをゆっくり飲みながら一時の休息を取りつつ作業をするのだった。  そして書類をある程度終わらせると疲れた足取りで家へと帰る。  長かった一日を振り返った。  初めて触った拳銃の感触と重み、初めて行った河向こうでの出来事、そして犯行現場の生々しさ。  家に辿り着くと、母から、 「あら、今日は遅かったのね」 「うん……これからちょっと遅くなるかも」 そう言いながらこれからの事を母に話すと、 「別にいいけど、気を付けなさいよ」 「は?何にさ?」 「例の事件よ、あんた女の子に間違えられるんだから注意しなさいよ」  突拍子もない言葉に呆れ返りつつ、ため息を吐きながら、 「大丈夫だって、心配しなくても」 そう言って自室へ入ると、先ほどよりも重くため息を吐きつつ、上着を脱ぎながら肩から吊るされた拳銃を見て、またため息を吐いた。ホルスターを少々苦心しながら外して、机の上にゴトリと置くと、またため息を吐いた。  そうしてシャワーを浴びると、疲れていたのかそのままベッドに潜り込んですぐさま眠ってしまったのだった。 *  次の日、第三十五部署へ向かうと、ゾーロに開口一番、 「銃は忘れていないだろうな?」 「はい、ここに」 と左脇を指しながら忘れていないと示すリベック。 「ならキアナと手入れをしてくる事、今日の仕事内容ははそれから伝える」  そう言われ頷くと、リベックはソファで眠そうにしているキアナと共に、銃の手入れ作業に入った。丹念に磨き油をさして不備が無い様する。何度かキアナに状態を確認して貰いながら、手入れ作業をしていく。  それが終わると、再びリベックはゾーロの前に立った。 「仕事だが、暫くは第四十四区画の軍警に張り付いて一緒に犯人探しましょうねという事にしようと思う、構わないか?」 「構わないも何も、ゾーロさんがそう言うならそれに従うまでです」 「わかったー軍警さんとお仕事ねー」 「…そうですよ『上司命令なので』といえば皆納得せざるを得ないですよ」 「……そうだな、そででは頼むぞ」  そうゾーロに見送られ市庁舎を後にすると、第四十四区画へと向かうのだった。 * 「こーんにーちわー!!」  第四十四区画の軍警詰め所へ来るとキアナが元気よく声を上げた。 「おう、オレンジ頭何の用だ?」 とニコラスが顔を出すと、リベックが特別越境許可証を見せつつ、 「失礼します、しばらくこちらで例の犯人逮捕の為に一緒に行動しろとの上司命令でして…」 と申し訳無さそうに言えば、ニコラスは、 「…お前さんらも大変だな」 「いや、まぁ…そう、ですね」  リベックの言葉を聞いたニコラスはため息を吐きつつ労うようにそう言うのだった。そう言うリベックの視線はある一人に向けられているのに気付く者は居なかった。けれど、 「リベ君ちょっといい?」 と声を掛けてきたのはキアナだった。  キアナとの会話を聞かれないようにと、軍警の詰め所を出て少し離れた場所へと来ると、 「リベ君あの人の事見てるけどさ、何かあるの?」 「え!?あ…その………」 「あーいい、言わなくていい!言わなくていい!きっと理由があるんでしょ、オレが聞いたら喋っちゃうから言わないで!!」 慌てたように首と手を横に振るキアナに戸惑いを覚えつつ、 「えと、それで……いいんですか?気になったりしません?」 「オレってかなりうっかりしてるから、ゾーロさんに大事な情報とか言って貰わないようにしてるんだ、だから気にしないで!」 「そ、そうなんですか?」 そんなリベックが疑問を投げかけてみるが、キアナはコクコクと頷いて見せ、何か満足したようにウンウンと頷き返すのだった。  そうして会話を終わらせると二人で軍警詰め所へ戻った。そこは何故か慌ただしい雰囲気になっていた。 「あの、一体どうしたんです!?」  そうニコラスに尋ねれば、 「どうしたもこうしたもあるかっ!また例の事件だ!」 と例の内蔵抜き取り事件がまた起きてしまったのを聞いて、リベックは「しまった!」と思った。先程キアナと話し込んでいる時にやられてしまったのかと思うと悔しくて仕方がない。けれどキアナを責める訳にもいかず、キアナと共に軍警の後を付いて行くしかなかった。  着いたそこでは凄惨な事態になっていた。  今までの現場そこまで血液の量は多くなかった。リベック達が突き止めた犯行現場も何故か綺麗に片付けられていた。  しかし今回は違った。  一面血だらけで、雑多に放り捨てられた臓器がテラテラと赤く光る。鉄の錆びたような匂いが立ち込め、それにリベックは嘔吐感を覚えたが何とか堪えてキアナにもたれ掛かる。 「リベ君大丈夫?」 「平気、です……それより、他に魔術反応有りますか?」  キョロキョロと回りを窺うリベックに、 「ううん、ここからしかその匂いはしないよ」 「…………そうですか」 そこでリベックはあの時のゾーロとの会話を思い出していた。 『犯人はそろそろ焦っていると思われる』 『何故解るんですか?』 『昔、同じ事件があった、この都市が築かれて間もない頃だが…これは死者蘇生術の一つだと思われる、資料が残っていてな、これによると臓器を新しいものに入れ換えなければならないらしい。それまで蘇生したい死体の腐敗が始まるからな、焦りからか段々と事件の頻度が上がってもおかしくはない』 『犯行が大胆になるという事でもありますね』 『……そういうことだ』  やはりとリベックが頷けば、例の人物を探す。確認し終わると、ぐったりとキアナにもたれ掛かる。 「リベ君大丈夫?」 「こういうのには慣れていませんので…ちょっと…」  また込み上げてくる吐き気に、口に手を当てて眉を寄せる。  ニコラスとギルベルトは鑑識を呼んで現場検証へと作業を進めていた。  後は軍警に任せ、その日はそれで終わった。  第三十五部署に戻ると、ゾーロと向かい合って話し合うリベック。 「犯人は焦っているが冷静さを失ってはいない様だ」 「…ですね、この事件は現行犯逮捕でなければいけませんし」  二人が難しい顔をして話し合っていると、キアナがフラフラとやって来て、 「ずーっと見てればいいんじゃないの?」 「…………それしかないな」 「…………そうですけど」 二人して顎に手を当て考えると、ゾーロから、 「…この場合仕方ない」 「です……ね」 どうやら視線による話し合いは纏まったらしく、二人はキアナの方を向くと、 「キアナ、お前はとある人物を一日中、気付かれないよう見張れ」 「うん、分かった」 その理由は明かさず、それだけを告げるゾーロ。それに素直に頷くキアナ。 「明日からだ、いいな?何か行動する様ならば逐一リベックに携帯端末から連絡を入れろ、いいな?リベックはそれで構わないな?」 「構いません、了解しました」 「そういう訳だ、絶対に気づかれるなキアナ」 「うん、分かったー」 「ある人物はーーーー」  その次の日から、キアナはとある人物の尾行を始めた。  リベックは昨日と同じように第四十四区画の軍警詰め所へとやって来ていた。昨日一緒に捜査をするとニコラス達に伝えたのもあるが、キアナから連絡があればすぐにでも駆け付けられるように様にだ。  何をどの様にしているのか等は聞かなかったが、リベックは軍警詰め所の人間に気付かれている様子はなかった。 「今日も捜査か?お前さんも大変だな。ところでオレンジ頭はどうした?」 「いえ、あの……今、上司からお説教を食らってまして……」 「アイツ何したんだ?どうせ馬鹿な事だろ?」 「え、ええ、まあ……」  等とニコラスに聞かれると咄嗟に出てきた嘘で誤魔化した。とはいえ実際にキアナは毎日何をかやらかす事が毎日の様にあるので半ば嘘でも無いと思われる。  リベックはニコラス達と捜査をしながら、キアナは何かあれば逐一携帯端末からリベックに報告を入れていた。『事務所に居る』『トイレに行った』等ほんの些細な事でもだ。その度に「続けて監視を」と携帯端末から返信を送るリベックだった。 「端末をよく見ているが、何かあるのか?」 と言われたが、 「上司からの逐一進捗状況を知らせろとの事なので…」 と誤魔化した。  その日はキアナからは特別変わった報告も無く、特に何事も無く終わったのだった。尾行に気づかれているかもしれないという疑念が浮かぶが、第三十五部署へ戻れば 「続けろ」 とゾーロは言うのだった。  その日の帰り道は何時もより慎重になった、夕暮れ時や夜間に事件が起きている頻度が高いからだ。男だから大丈夫と母には言ったが、リベック自身女顔で苦労した事は山の様にあるので、慎重にならざるを得なかった。幸い無事にいえに辿り着いたのだから。  安堵のため息を吐きながら、母に「ただいま」と声を掛けるのだった。  次の日も同じようにキアナは尾行をし続けた。リベックは第四十四区画の軍警詰め所で逐一リベックに連絡を待つ。  昨日と同じ様な内容の連絡ばかりだった。 けれど、 『一人で裏口から出ていった』 というキアナからが連絡が届くと、急いでリベックは軍警詰め所を飛び出した。  ゾーロに端末から連絡を入れると『すぐに向かう、足止めしておけ』と返事が返ってきた。 * 「もしもし………ああ、貴方でしたか、それでなにか?」 『例の人物、尻尾を出した』 「おや?例の悪い子ですか?なら迎えに行かなければ行けませんねぇ……」 『…………伝えておいたぞ』 「ええ、どうも」 *  外は夕闇に染まり夕日の残りが西の空に少しばかり残る頃だった。走るのは余り得意ではないリベックだったが、途中躓きながら急いで街の中を駆けるとキアナとの合流地点に辿り着いた。  洗い息を吐きながらキアナと合流するとキアナの後を付いて、ある人物の後を追う。  路地を曲がれば、一面血まみれの細い路地とグチャグチャになった臓器と死体、そこに佇む魔術書を手にした人が立っていた。 「やっぱり貴方だったんですね…………ギルベルトさん!」 「え?魔術の変な匂いしなかったけどなんで?」 「………香水か何かで匂いを隠したんでしょう……本当は………信じたくはなっかんですが」  そう伝えていると、ギルベルトは小さな声で、 「………………見られてしまっては…………仕方がない」 途端にギルベルトは持っていた銃を抜くとリベック目掛けて何の迷いも無く撃った。キアナの咄嗟の判断でリベック細い路地へ突き飛ばし、キアナ自身もかろうじて弾を避けた。そのまま撃ち続けてくる相手にキアナは銃を抜いて数発発砲した。ギルベルトは手をかざすと魔術書が光り、見えない障壁を作った。そこにキアナの銃の弾が止まりコトンと地面へと落ちる。  それを見てキアナは撃ち続けながら路地を曲がり、付いてこいと言わんばかりに発砲を続ける。  リベックは暗い路地の奥に転んだままで、ギルベルトには発見されなかった。起き上がって様子を見ればキアナが回し蹴りを繰り出すが、見えない障壁に阻まれギルベルトには届かない。  手を付いて地面をくるりと一回転するとその勢いのままもう一度蹴りを繰り出した。だがそれも見えない障壁に阻まれ届くことはなかった。そうやって何度も体勢をくるりと変えては蹴りを繰り出すが、見えない障壁に阻まれてしまうのだった。  それが効かないと解ると、ぐるりと側転をしてギルベルトの背中に回って銃を撃つのだが、そこにも見えない壁があるらしく銃弾を止めてしまうのだった。キアナは一度シリンダーを開いて空薬莢を放り出す様に取り出すと、懐から目にも止まらぬ速さで新しい弾を込めていく。入れ終わるとシリンダーを戻しギルベルトに向かって容赦なく打ち続ける。  その手を蹴られ銃が飛ばされたが、反対の懐から同じ型の銃を抜くと更に打ち続けた。  キアナが攻撃を続けるのには理由がある。リベックの存在を忘れさせる為だ。運動が得意ではないと言っていたリベックが、この状況下で立ち回れるとは思えなかったからだ。なので自分に意識を集中させる為に発砲を辞めず、隙を見て体術で攻撃を繰り出す。  そんなキアナを見てリベックは慌てて懐から銃を取り出すと、路地から真っ直ぐ見える場所に立つギルベルトに照準を合わせようとするが動き回る二人に狙いは中々つけれない。  キアナは一瞬の隙をつかれ、ギルベルトから腹に蹴りを受けるとそのまま地面にくず折れてしまった。そしてギルベルトはキアナに向かって右手をかざした。魔術書が光るのがリベックにも見えた。  慌てて震える手で目を瞑ってリベックは一発、撃った。  その弾は幸運にもギルベルトの右腕に命中し、一時動きが止まるとキアナが顔を蹴り飛ばしてその勢いで立ち上がり、ギルベルトの持つ魔術書を叩き落とすと、ギルベルトを羽交い締めにした。  すると路地の一角が光だし地面に光と共に魔方陣を描きながら現れ、ぼんやリとした輪郭のゾーロが現れた。それがハッキリ見えるようになると魔方陣の光が薄く消えていった。ゾーロは立ち眩みを起こした様にくらりとその場に倒れ込んだ。  リベックは慌ててゾーロに駆け寄るとその細くて小さな体を抱き上げた。 「だ、大丈夫ですか!?」  ゾーロはゴホゴホと咳き込み、荒く息を吐くと、 「………はぁ、久しぶりの魔術で体が付いてこないらしい」 「…使えたんですね、魔術」 「あまり他の者に話すなよ」  そうしていると、ガラガラ何かを引き摺る音が聞こえてくる。その音に気付いた面々は音のする方へと皆の視線が集まる。  一つの路地の影の中から、闇よにぽっかりと浮かぶ月の光に照らされてディードが現れた。大きな身の丈よりも大きな両刃の鎌を持ち、纏めていた長い髪の毛はほどかれてさらりと風に揺れる。 「今日は悪い子が見つかると聞いたので来たのですが………それ、ですか?」 と言ったかと思うと、瞬間視界から消えた。  そしてドゴンッ!!と音がすると、キアナが羽交い締めにしていたはずのギルベルトは、地面に仰向けになりディードの大鎌が首の横スレスレに石畳を砕いて地面に突き刺さった。その細腕の何処からそんな力が出ているのかと信じがたい程の威力だった。 「おや?惜しい、外しましたか」 「態とだろうが」 というゾーロの言葉など聞こえていないかの様に地面から大鎌を抜くと「っひ!!!」とギルベルトは起き上がり一目散に逃げていった。 「おやおや、困りましたねぇ~」 とにこやかに呟くと、スッと駆け出した。別の路地に逃げ込んだギルベルトを追うと、ドゴッと音がしたかと思うとどんどんその音が聞こえる場所が遠くなったり近づいたりしたりしている。 「キアナ、リベック、彼奴は面白がって遊んでいる様だ、さっさと捕縛して来い」 「わかった、ここでじっとしててよゾーロさん」 「動かないでくださいね」  そうしてディードの後を追いかけるリベックとキアナ。ギルベルトが逃げ込んだ路地を追うと、至る処の石畳が割れ、陥没していた。その跡を追っていくと、ギルベルトが行き止まりに追い詰められ、今にも首を刈られてしまいそうな勢いだった。バタリと蹴られうつ伏せの状態で背中を踏みつけ、その首筋に大鎌をスッと当てがった。 「待ってください!!ストップ!!」 「まってまって!!」  そう言ってディードを止めるキアナとリベック。 「何故です?現行犯ならば私が仕留めて良いという決まりなのですが?」 「どうしても聞き出さないといけない情報があるんです!」 「ほう?どの様な?」  体勢はそのままで二人に向かって振り替えると、サラリと長い髪が揺れた。 「まだどんな魔術書を使っているか、どの向こうの者と取引したのか聞き出せていないんです」 「だから!待って!!」  その言葉にディードは手を止めると「そうですねぇ…」と呟いた後、ギルベルトの胸ぐらを掴んだ。 「ちょっと吐いて貰えます?契約相手は誰です?」 「…うぁ、りょ、緑樹の者……だ」  それを聞くとディードは手を離した。 「だ、そうですよ」 「………は、はい」 「緑樹か……全く、どういうつもりで契約したのやら…」  リベックは聞いてもピンときていないという表情を浮かべ、あの場所に居てと言っておいた筈のゾーロがゆっくりとだが後を着いてきた様だった。ゾーロは面倒臭そうにため息を吐いたのだった。  そしてぐったりとしたギルベルトをそのままに、ギルベルトの握り締めていた魔術書を拾い上げた。パラパラとページを捲ると、 「魔術には対価というものが必要なのですよ、知りませんでしたか?今回貴方の使った魔術の対価は貴方の魂ですよ」 赤黒い何かで描かれた魔方陣の描かれたページを開くとビリッとページを破いた。 「この契約書のページを破棄するとどうなるか……知らない訳では無いでしょう?」 「やめろ、やめろぉぉ!!」  そしてその破いたページを指をパチンと鳴らすと火が灯りそのページをメラメラと燃やしていく。 「因果応報ですよ、諦めなさい」 「うああああぁぁぁ!!ああああああああぁぁぁ!!!」  ギルベルトの体がひび割れ、そこから赤い光が漏れだし、ギルベルトの体はボロボロと土塊の様に崩れ、風に流れて灰の如く消えてしまった。 「これが、魔術に振り回された者の末路ですよ」 ーーーごめんなさい、ごめんなさい、けれどありがとうーーーーー  リベックはゾーロと軍警のニコラスと共にギルベルトの家へと入っていった。  第三十一区画の片隅にそっとあったそこは静まり返っていた。大家から借りた鍵を使って扉を開くと、埃一つ無い、整理整頓の行き届いた部屋があった。 「………アイツ、綺麗好きだったからな…」  そうしみじみと呟くニコラスに、リベックはどんな顔をしていいか解らなかった。  部屋の奥へと進むと、寝室があった。扉が開いたままのそこには長い髪をした美しい女性が眠る様にベッドに横たえられていた。そのベッドの周りには特殊な魔術結界が張られていた。 「死体防腐用の術式だな…………彼女の為だったんだろう」 「そう………ですね」 「病気じゃなくて……もう…………」  ニコラスは何かを堪える様に彼女を見下ろすと、十字を切った。そして意を決した様にゾーロを見ると、 「……やってくれ」 そう言われたゾーロは一つ頷くと、持っていた鞄から何かの魔術書を取り出した。そしてそれをパラパラと捲るととあるページを開きながら小さく何かを呟いた。すると結界が壊れ、中の女性も灰の様に崩れ、砂の様に積もった灰だけがそこに残った。 「…………これで良かったんですよね?」 「そうでなければ、やった意味が無くなってしまうな」  ゾーロに付いて他の部屋を見て回ると、倉庫のような場所に大きなガラス瓶の中に回収されたであろう臓器が詰まっていた。これにも術が掛けられているのか、魔法陣の描かれた札が何枚も瓶に貼られていた。リベックは標本の様なそれを見ながら、 「これは……どうするんです?」 「どうするもこうするも、処分するしか無いだろうな」  ため息を吐く様に言うゾーロに、その言葉を聞いて小さく頷くリベックなのだった。全ての臓器の入った瓶を外に出し、車で市庁舎へ運ぶのにも結構な時間が掛かった。そして処理に関しては、 「全て専門家に任せる、リベックとキアナは今回の事件の報告書を書いておいてくれ」 と言って運転手に指示を出して車を市庁舎前から別の場所へと走らせるのだった。 *  今回の事件の報告書を書き終えたリベックはゾーロに提出すると、ゾーロが、 「その……今回、危険な目に遭っただろう?今ならこの間の転部願を受理し元の部署に戻れるが……」 「………そう、ですね、危ない目に遭いました。けれど、そうですね……あの部署ではこんな経験は出来ませんし、この街を守っているんだという実感が得られました。きっとあの部署ではこんな気持ちにならないでしょう、ですから僕はもう少し此処で頑張ってみようかと思います」 真っ直ぐに見つめてくるリベックの言葉に驚いた表情を浮かべるゾーロ 、その後軽く笑んで、 「お前がそう言うのなら、そういう事にしておくか」 「ええ、そうですね、そういう事にしておいてください」 リベックも微笑むと、ふと思い出した様に、 「あ、キアナ先輩と一緒にこれから街に出る約束してたんでした。何か要る物とかありますか?」 「いや、特にない…気を付けてな、後キアナに早く報告書を出せと言っておいてくれ」 はい、と頷くと三十五部署の扉を開いてリベックは出ていったのだった。閉じられた扉を見つめてゾーロは軽くため息を吐くと、 「さて、上にはどう報告したものかな……」 一人残されたゾーロはそんな風に呟くと、リベックの報告書をパラリと捲り目を通すのだった。 *  その夜、市庁舎の最上階で市長室で市長と話をしているゾーロ。 「今回は少々手こずったらしいな?」 「まぁ、今回は新人研修の一環という事で」 「そうだな、それで構わんが」  そう言うとゾーロの持ってきたリベックとキアナの報告書、それを纏めたゾーロの報告書を受け取る。それと交互に新しい書類の束を渡してくる市長。 「…………新しいなにかか?」 「そうだ、新人教育の為に用意してやったのだから、大いに役立てろ」 「…………受けとるしかないのか」 「それしかないな?」  市長はそうウインクしながら差し出してくるのだった。ゾーロはため息を付きつつ仕方がないとばかりにその書類の束を受け取った。今回もおそらく何日もかかるような任務がここに記されているのだろう事は明確だった。 「期待して待っているぞ?」 「…まぁ、頑張るさ」  そう言ってゾーロは書類の束を振りながら市長室を後にしたのだった。 *  翌日第三十五部署へやってくると、ゾーロは辞書を引きながら書類作業に追われるリベックに、昨夜市長から渡された書類の束、即ち新しい任務内容の書かれたものを渡した。 「えと、もしかして新しい仕事……ですか?」 「そうだ、頼めるか?この前の今日で済まないが」  リベックは迷いつつもその書類を受け取るとパラリと捲る。 「そうですね、今回もキアナ先輩と頑張れるだけ頑張ってみますよ」  そう言うとニッコリと笑顔を浮かべた。そしてソファで寝転がっているキアナに声を掛けると、 「キアナ先輩、起きてください、お仕事ですよ」 「……んー、えー?そうなの?」 「はい、まずは拳銃の練習をしましょう、それが終わってから新しい仕事に取りかかりましょうか」 リベックがそう提案するとキアナは起き上がってコクリと頷き、リベックは書類を机に置いて二人は射撃場へ向かって出ていった。  リベックの表情は第三十五部署に来たばかりの頃とは違い、迷い等無い輝く瞳でこれからを見つめていた。
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