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神は何故、人間を不出来の生物と仰るのだろう。
その日は嵐の夜だった。
「くそったれ!」
私はゆりかごを抱えて走っている。
なんのために?
生かすために。
見返りはあるか?
当然ない、赤子に求めるのが筋違いだ。
自問自答に悪態とこれを拾ったことに後悔をする。
だが放って置けなかった。
ここは異界と人間界の間の街。
人間も怪異も生あるものは全て生きる力がないものは死んでしまう。
俺は半人半龍の半端者だ。
人間の血も流れている分、同情してしまう。
今はそれだけでよかった。
*
アレから数十年。
「お師匠様ー!」
甲高い若い女の声が響く。
「ピルキッタ、廊下は走らない。」
勢いよく開かれた書斎の扉。
嵐の夜に拾った赤子は立派なブロンドの娘に育ち、私の助手となった。
「はぁい、シーツの洗濯と朝ご飯の支度完了いたしました!」
「報告ご苦労。
さて、朝ごはんにしようか。」
ベッドから降りてガウンを羽織る。
今日は少し冷えるなと思いつつ足を進める。
「今日の診療は何人だったかな?」
カルテの把握をさせるためにピルキッタに質問する。
「えーっと、スライムのマリコさんが午前中、獣人のレオさんも午前中、穴ネズミのシィシィさんは正午の三人でしたっけ?」
ひぃ、ふぅ、みぃと指を折りながら言う彼女にちょっと頭痛を覚える。
午後のガーゴイルのシュタイン君を忘れているぞ。
人間の記憶力は龍人の半分だと聞くがこの子は少々そそっかしい。
人間の寿命や疾患の罹りやすさも私の悩みの種だ。
「お師匠様、どうかいたしました?怖い顔をして…。」
「嗚呼、君がそそっかしいからどうしたものかねと考えていただけさ。」
酷いです!と私の胸を叩くが生憎、鱗で覆われたこの体にはびくともしない。
「すまない。ただ、君はもう私の立派な助手としての自覚をもう少しだな…。」
「お小言はもうお腹いっぱいです。
さ、冷めないうちに朝食をどうぞ。」
はぐらかして配膳を勝手に進める彼女。
やれやれ、淑女としての教育も施さねば。
頭を抱えつつ芋貝のスープをすする。
今日はどうやら毒抜きがしっかりできているようだ。
舌がピリピリ痛むこともない。
美味しいと私が呟くと胸を張って誇らしげに答える。
「えっへん、そうでしょう?ユニコーンの女将さんから毒抜きを教わったんですよ!
それとこれも食べてください。
こんにゃく芋のパンです。」
こんにゃく芋というと竜族の薬だと煎じて胃薬に使うかハーブティーとして飲むものである。
一見、普通のパンのようだ。
だが、彼女の料理は侮れない。
医術を暇な時に教えてはいるが私はしがない街医者でもあるので付きっきりと言うわけにも行かない。
そういう時はこのアパートメントの大谷でもあり、薬学に詳しい女将に彼女の師事を頼んである。
そのお陰か彼女は毒草に詳しくなり龍種が好む毒草の調合を任せるまでに成長した。
(今度は手術を実際に見学させるか。)
彼女は幼い頃から私の後追いをし、医師を志している。
それは大変誇らしい事ではあるがこの世界の医師は人間種は少なく異形種でも相当勉学を積まなければならない。
学院に通わせるまでの知識を家で学ばなければ試験にも合格できないレベルだ。
もう直ぐ、彼女も学院に通わせる年齢だ。
できるだけの知識を詰め込み、後は天明に任せる。
「お口にあいませんでした?」
私が彼女のことについて憂いていると顔を覗き込んでくる。
「嗚呼、とても美味しいよ。
いや、ね。今年の学院試験を君に受けさせるべきか考えていたのさ。」
苦笑いを溢し、パンを口に運ぶと彼女は自信がなさそうに口を開いた。
「私が他の子に比べて劣っている事は理解しています。
ですがお師匠様にこの命を救われた御恩を一つでも返したいんです。」
彼女の努力はわかっている。
自分の娘のように可愛がってきた少女だ。
何としてでも彼女の夢を叶えてやりたい。
そういうつもりで今日も業務の傍、彼女の勉学を見てやる。
*
「それは動脈だと何度言ったらわかるのかね。」
テキストを片手に講義を始めたはいい。
テキストを朗読させ、過去問をやらせていざ実技と意気込んだが…。
彼女は被験体に見立てたスライムの動脈を静脈と間違って切ってしまった。
「きゃーごめんなさい!」
勢いよくスライムの体液が飛び散り、辺りを汚す。
これは後始末が大変だなとため息をついて切り替える。
「まず落ち着いて。
掃除用具と乾燥剤を持ってきなさい。」
「は、はい!」
全く、人間とはそそっかしい生き物だ。
バタバタと足音をさせて洗面所へ走っていく彼女を見送る。
危なっかしいが素質はあるが落ち着きがない。
人間種でもこの世界には何人も医師は存在する。
そのわずかな望みに賭ける。
種族は違えど娘の未来を楽しみにしているのだ。
そろそろお昼かと器具を洗いながら娘の帰りを待つのであった。
「お昼ご飯ですよー!」
授業を終え、ピルキッタが炊事をし、私が食卓を片す。
昼ごはんはベニテングダケのパスタだった。
談笑を交えつつ、食事をしていたらドアベルが鳴った。
「客人かな。食べていなさい。」
フォークを置いて立ち上がろうとする彼女を制して、私が対応する。
「はい、どちら様でしょうか?」
「…ペンドラコさんのお宅でしょうか?
我々、こういうものでして。」
二人組の人面犬が手帳を見せる。
そこには異界警察と書かれており、仰々しい紋章が光っていた。
「この度はどう言ったご用件で?」
やましい事は何一つしていないつもりだ。
重々しく1匹が口を開く。
「近頃、この近くで異界から異種族…特に純血の人間種の子供が拐われるという事件が多発してましてね。」
まるで私を疑う様に見る二人。
実に不愉快だ。
だが彼らも仕事なのだから仕方のない事なのだろう。
「わかりました。私も操作にはなるべく協力しますよ。」
「それはありがとうございます。
では我々はこれで。」
警官が去ろうとしたその時だった。
「お師匠ー!
パスタ、冷めちゃいますよー。」
ピルキッタが私の背後から呼びかけてくる。
その顔を見た警官二人は顔を見合わせ何かを察する。
「ペンドラコさん、署までご同行願いますか?」
抵抗すればピルキッタの立場が危うくなるだろう。
素直に従うと彼女は訳がわからないという顔で私を見ていた。
「な、何でお師匠様を連れて行くのです?
やめてください!」
泣き喚く彼女に振り向いて私は穏やかな顔で言った。
「大丈夫、事情を聞くだけだよ。」
お師匠、お師匠様!と悲痛な叫びを聞きながら私は警官二人の後を項垂れて付いていく。
*
取調室にて。
「彼女とはどう言った語関係で?」
灰色の壁に囲まれた重苦しい部屋で取調べが始まった。
「…義理の娘です。」
息を吸って吐くのも億劫なくらいに気持ちが沈む。
だが、人面の犬警官は渋い顔を崩さない。
「質問を変えましょう、ペンドラコさん。
貴方はあの少女と何年前にどこで出会いましたか?」
「十年前、異世界の歪み前で嵐の夜でした。」
事細かに話せば警官は何かを確信した顔でいう。
「それは昼間に太陽が二つでていた日でしたかな?」
誘導尋問だ。
彼らは同じ人間の血が入った半分位種族だというのに疑って食ってかかるのだと。
私は失望した。
「はっきり言ったらどうなのです?
私を誘拐犯だと疑いたいのでしょう?」
強気に出れば困った顔で警官は宥める姿勢に入る。
「ま、待ってください。
我々は疑うことが仕事ですから…。
この街の腕利きの貴方様を失うわけにはいかない。」
ですがと長々しく続ける警官に切り返す。
「だったらこれ以上平行線な議論を止めるべきだ。
私は今非常に不愉快な思いを抱いている。」
「そ、それは申し訳ありません。」
聴取の後、丁重に送り出された。
やれやれ、この一件で終わるはずもないが取り敢えずはピルキッタと離れずに済む。
彼女には私という支えが必要なのだから。
*
時折、夢を見る。
私と同じ人間種の男女が赤子に呼びかける夢。
「グレース、お花だよ。」
「グレース、可愛いわ。」
二人とも愛おしそうに顔を覗き込んでは笑っている。
私、グレースって名前じゃないよ。
ピルキッタだよ。
「グレース、嗚呼、私のグレース。」
私の呼び声も無視され、どんどん三人は遠くに行ってしまう。
「…まって、置いていかないで!」
飛び起きるとお師匠様の悲しそうな顔が飛び込んでくる。
「ピルキッタ、うなされていたよ。
何か悪い夢でもみたのかい?」
「いいえ、お師匠様。
何でもありません。
お布団が少し暑かっただけです。
お水を飲んできます。」
何故かその夜はお師匠に嘘をついてしまった。
何故か夢の内容をこの人に話してはいけないと脳が警鐘を鳴らしている。
台所で水を飲む。
それにしても汗の滲んだネグリジェが気持ち悪い。
着替えるべきか。
タンスから着替えを取り出して洗面所へ向かう。
後ろからねっとりとした視線に振り向く。
「どうしたのかな?」
穏やかな顔のお師匠様が立っている。
だがその瞳に光はなく、何処か不気味さを感じ後退る。
「な、何でもありません。
着替えてきます。」
薄暗い廊下を歩き、肌寒い肩を抱く。
お師匠様が怖いだなんて思ってしまうなんて…。
喉がカラカラと乾いてくる。
嫌な予感が頭を支配し、落ち着かない。
早々に着替えを済ましてベッドに入る。
ガタガタと震えが止まらない夜。
*
「嗚呼、失敗だ。」
龍の頭を持つ男は己の体を掻き毟る。
「嗚呼、これでは彼女が思い出してしまう。
これでは私の計画が崩れてしまう!」
そう彼は書斎の戸棚に頭を打ち付ける。
鱗の間から血が流れることを気にせず彼は焦りを口にする。
彼の計画はこうだ。
人間の赤子をさらい、子育ての真似事をする実験をしていたのだ。
だが、ピルキッタことグレースは生まれて間もない記憶を有していたのだ。
彼は見くびっていたのだ人間の記憶力を。
その記憶がどんなことを引き金に思い出すかはその人次第。
その可能性を加味して部屋の至る所に野草の香を炊いていたというのに。
「いや、まだだ。
前の人間の赤子のように殺すわけにはいかない。」
何度も何度も赤子を拐い、養育しているというのに必ず十を過ぎる頃には皆、記憶を取り戻したり反抗的な態度を取るのだ。
その度に丁重に殺し、丁重に食べ弔う。
彼女は歴代の子供達よりかは小柄で能力的にも劣るが愛嬌はある。
できれば殺したくない。
苦しまずに殺したい。
衝動に駆られながら彼は思考を巡らせる。
彼女の洗脳が解ける前に何とかせねば。
私はある瓶に目をつけ、思わず笑みをこぼした。
*
翌日。
なかなか寝付けず、鈍い思考の中で台所に足を運ぶ。
気まずい関係でも朝ご飯は作らなければならない。
仮にも私を育ててくれた養父だ。
お師匠様が私に危害を加えるはずがない。
そう言い聞かせながらリビングへの扉を開く。
「おはよう、ピルキッタ。」
よかった、彼はいつも通り穏やかな笑みを浮かべている。
昨日見た夢も夜の態度もきっと気のせいだ。
視線の先に温かな食事が並んでいる。
「これ、お師匠様が全て用意したのですか?」
私が目を輝かせて言うと彼はそうだと答えた。
その言葉を信じ、席について食事をする。
「いただきます!」
なんてことないいつも通りの日常へと戻っていく。
そう疑いもしなかった私はスープに手をつけた瞬間、違和感を覚えて吐き出した。
「げほっ、げほっ、ごほ…うっ。」
体の不調を覚え、椅子から崩れ落ちる私を冷たく見下ろすお師匠様。
どうしてという私の言葉は彼に届かず意識がやがて薄れていく。
*
彼女がもしももう少しだけほんの少しだけ利口だったのなら。
スープに手をつけずサラダから手をつけていればなどと後悔を口にすべきでない。
結果として彼女は、私を疑いもせず私の作った毒入りのスープを飲んで死んでしまった。
もしも、サラダから手をつけていれば毒を中和するハーブが胃に入り、死ななかったのかもしれない。
「君は実に愚かな子。」
愛おしげにブロンドの髪を撫で、死後硬直で硬くなった頬に口付ける。
普段なら皮を剥ぎ、肉はパイ、脂肪は石鹸に変えるがこの子はどうしても思い入れがありすぎた。
さて、どうするべきか。
考えあぐねているとふと一つの文献が目につく。
それは気まぐれに人間界で購入した『ミイラの作り方』というものだ。
ミイラというのは聴き慣れないがどうやら文献を読む限り、死体を半永久的に保存するものらしい。
呪術めいた儀式は医学者として透かないのだがこの際どうでもいい。
ピルキッタの綺麗な体にメスを入れ、内臓を取り出す。
脳はフック状の器具で引っ張り出すらしいがそれでは彼女の顔が傷ついてしまう。
そこでこの異界の毒笹子が役に立つ。
この笹子は脳だけを溶かす毒性を持っているのだ。
それを煎じて鼻から飲ませ、脳を口から吐き出させる。
全て吐き終えた後、ナトロンという乾燥剤で身体中を覆う。
およそ彼女の体くらいなら一週間そこらで乾燥するだろう。
私は一週間後を楽しみに施術部屋を出た。
*
五日後、私は医院を閉めて引きこもりの様な生活を送っていた。
可愛いあの子を一人にさせるのも心許ないし、死体を持ち出されても困る。
急患も特に来ず。
このまま、一週間過ぎ去るのではと心待ちにしていたが彼にとっての天敵が現れることとなる。
ドアを叩く音に珍しく体が強張る。
「はい、どなたですかな?」
平然を装い、ドアを開けるがそこに立っていたのは黒服の髑髏がいた。
「時空警察です。
異世界誘拐犯として逮捕状が出ています。
大人しくご同行願いませんか?」
私はついにこの時が来てしまったかと項垂た。
時空警察は通常の警官より権限が高く、抵抗しようものなら死よりも恐ろしい極刑にされてしまう。
一矢報いれば十分。
そう思って手錠をかけられる前に毒瓶を仰いだ。
警官共の制止も聞かず、龍種にとっての毒。
それは人間の脳みそ。
特殊な製法で毒と化合物にした彼女の脳みそを飲み込む。
半分、人間の血が流れているから効果は正気を失う適度。
私の母方の種族は人間を食べる種族だったが母はそれでも人間を愛し、私を身篭った。
そのせいで殺されてしまったが。
私は愛情をただ知りたかった。
人間を不出来だと神は嘲笑うが私はそれ以下の生物だったのだろうか。
【END】
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