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第0章 プロローグ
『プロローグ』
深林の中に、一本だけ天使が置き忘れていったような白樺立っていた。老人はその美しさと不気味さに目を奪われ、息をのむ。
そこで老人は気がついてしまった。
その白樺が一人の女であることに。
その女はゆらゆらと身を頼りなく揺らし、深い森の中ぼつりと立ちすくんでいる。その女の表情は魂を何処かに忘れてきたように虚ろだ。老人はその異様さから、まさかと思い、女の腹部に目をやった。
老人は、その女の膨らんだその腹をみとめ、やはりと唇を噛む。
(見ないふりをするべきか…)
老人の中にそのような考えが浮かんだものの、根がいい彼にはそのようなことは出来なかった。老人は重い足を引きずるように、その女のもとに駆け寄る。
「嬢ちゃん、大丈夫かいな?」
細い肩に手をおいて、老人が話しかける。
女はぼんやりとした表情のまま、顔を上げた。
その女は端正な顔つきをした美女であった。ドロリと濁った瞳で、老人を見つめる。老人がその妖艶さにつばを飲む、その時であった。
女は急に驚いた顔をして、微かな悲鳴を上げながら尻もちをついた。
老人も老人でまた驚き、一歩後退る。
「わっ…私…」
鯉のように口を開閉したその女は、自身の身の重さに初めて気がついたように、下を向いて自身に腹部を認めた。女の瞳に膨らんだその腹が映る。その瞬間、女は小さく息を飲んだ。
老人はその痛々しい女の様子に、顔をしかめながら、女の肩を支え口を開く。
「あんたぁ、魔物と契ったな」
老人が、そう静かに言い切れば、女は動転し切った顔で震えるように首を横に振る。
「そんな、嘘……私が、魔物の子供を身ごもったって言うの?」
女は自身の体を見ながら、信じられないといった面持ちで荒い呼吸を繰り返した。
無理もない。
知らぬ間に子を孕んでいたのだ、それも、魔物というけがれた獣の血を引いた子を。その衝撃は計り知れないだろう。
「あんたぁ、何処の村のもんだ?」
老人の問いに女は頭をかぶり振る。
「こんな、姿で、村に帰るなんてできません。そんなことすれば」
女は顔面蒼白になりながら、頭を抱える。
老人にその女の気持ちは痛いほど分かった。老人は湿った草の上に膝をつける。
「そんなこと言っとって、村に帰らんと産婆が居らん。今日は家に置いとってやるが、明日にゃ村に戻りんさい」
宥めるように背をさすりながら、女が立てるように老人は手を貸した。
女はフラフラとしながらどうにか立ち上がり、老人の肩につかまりながら、自分が来た方向を一度振り返る。
波たつ深緑の森は、ただ風に煽られ音をたてるばかりで、女の身に起こった何かを語ることはなかった。
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