第二章 その男のはらわたに眠る野望

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 テブレヒトのレッスンを終えて自室に戻ると、イーリットが私の顔を見て苦笑し、そうそうに労いの言葉をかけてきた。 「お嬢様お疲れさまです。大変だったんですね。それで、テブレヒト様はどうでしたか?」  茶を用意しながらそう聞いてくるイーリットは、心配半分、好奇心半分といった顔だ。  私はソファーにぐってりと横になりながら、ため息をつく。 「どうもこうも無い。あの毒舌野郎。まさに、エッカットの弟だ」  やけくそになった私が頬杖をついてそう言うと、イーリットが苦笑いしながら、私の前に青い模様の入ったティーカップを置いた。私はそのティーカップを持ち上げ、それに息を吹きかける。ムッとする湯気が立ち上った。 「そうだったんですね。私はあまりテブレヒト様のことは知りませんが、人当たりの良い方など聞いていたんですけど...」 「そう言えば、外で会っときはまさに人当たりの良さそうな嫌味ったらしい奴だったな。だが、あれは煮ても焼いても食えない野郎だ」 「寧ろ、お嬢様に好意的に思われる人間ってどんな人なのか気になってきました…」  呆れたように眉尻を落とすイーリットを私は鼻で笑った。はじめから人を好意的に見る人間など信用できない。それなら全員に疑ってかかっているやつのほうがマシである。  そんなことを思いながらも口入れた茶の甘い香りが鼻を通り抜ける。花咲くようなその香りに、私は目を細めた。 「さて、飲み終わりましたらもうお休みくださいませ、お嬢様」  イーリットの言葉に私は頷き、飲み終わったティーカップをソーサーに戻した。  瞼が重い。そろそろベットに入ろう。  窓から入り込む宵の闇。  私はベットに入り込み、体を横たえる。  こうして騒がしい毎日がまた、過ぎて行こうとしていた。 ◇◇◇  それから私はテブレヒトの地獄のトレーニングをこなし、魔法の鍛錬をしながら日々を忙しく過ごしていた。  そんなある日の朝、執務室に入るとエッカットが不健康そうな顔にシワを寄せ私の前に一通の手紙を差し出す。赤いロウで封がしてあっただろうそれは、既に封が開いている。エッカットが開けたのだろう。  私はそのロウの上に押し付けれた家紋に視線を落とす。そこには叡智を示す賢者の家紋。このロイツ王国で最も今現在力を持つとされる、ベンダー家のものだ。 「ベンダー家からの手紙ですか」  私の脳裏にコルネリアの顔が浮かぶ。  そういえば先日の来訪の帰り際に私に屋敷に来るようにと誘っていた。と言うことは、これはその招待状だろう。  まさかこれだけ早く招待状が来るとは思ってはいなかったが、第一王子の情報が引き出せるのであれば歓迎したい。 「そうだ。ベンダー邸への招待状だな。  とは言っても、領地の屋敷ではなく、王都の方の屋敷への招待状だ。差出人の名前を見てみろ」  片手でもった鈍く光るペーパーナイフの刃を指でなぞりながら、エッカットはそう言った。私はその言葉に従い、手紙の裏側を見る。  高級そうな紙の上には、ローマン・ベンダーとの文字。  ローマン・ベンダー、現ベンダー公爵の名前だ。エッカットの姉であるコルネリアの夫であり、殺された第一夫人の弟に当たる人物。つまり、第一王子の叔父にあたる現貴族の中では最も発言権があるといっても過言ではない男  私は生唾を飲み込み、エッカットの方を見る。 「つまり、ベンダー公爵夫人からではなく、ベンダー公爵家として私を招待しているということですか」 「そうだ、つまり呼ばれているのはレオノーラとしてのお前ではない。森導く者(ティプナス)の魔人であり、私に雇われた傭兵としてのお前だ。  元々はお前を学習塔に送り込む計画は私が提案したものだが、その際にベンダー公爵家からの同意と協力を得ている。  よって、卿はお前の来年の仕事をご存知だ。お前が今回の任務をこなすのにたる実力を持っているか、図るつもりでいることは間違いない」  エッカットの濁りきったグレーの瞳がこちらに向く。  なるほど、私が第一王子の側近になるということは、コルネリアだけだはなく、第一王子の後援者であるベンダー家全体が一枚噛んでいるようだ。  それも、この第一夫人が殺されている現状を顧みれば、仕方のないことだと言わざる負えない。もしもここで第一王子が亡くなれば、政権はひっくり返る。そうなればブリューゲル家が最も大きな力を持つことになるだろう。  だからこそ、ベンダー家はエッカットの提案に乗ったのだ。  問題はエッカットがどれほどの信頼をベンダー家から得ているのかという部分だ。  取り合ず、ルヒデコット侯爵家としては長年ベンダー家の派閥に属してきたなりの信用を得ているはずである。それは、エッカットの姉であるコルネリアが嫁いでいる事からも分かることだ。  しかし、エッカット個人が信頼を得ているかは、疑問が残る。  エッカットの第四王子への固執という異質な行動。  相反する行動と言うよりは、全くの異分子。第一王子を守ることと、第四王子に対しての呪いに関係性があまりにも希薄なのだ。  このエッカットの不審な点について気が付かれているならば、今回の訪問は私にとってかなり深刻な問題を孕んでいる。  私が「わかりました」と答えると、エッカットは肩をすくめる。 「時期は今年の冬前だな。  ついでに、来年の下見も兼ねて一週間ほど王都を見ておくといい。王都に行ったことは?」 「軽く通り抜けた程度しか」 「そうか、なら色々と見て回ってこい。土地勘が無ければ、仕事に差し支える」 「分かりました」  王都、このロイツ王国の国王がいる、首都イヌブルクのことである。このルンベルクを南西に降りた先にあり、あらゆる物の中心地と言える場所だ。  私は里の仕事で数回訪れたことはあったが、一週間も滞在するのは初めてである。 「それと、ベンダー家には第一王子と同い年の息子がいる。勿論、お前の正体についても把握済みだ。来年はお前と共に殿下を守ると共に、協力し合うことになるだろう。交流を深めておけ。  話は以上だ」  15歳の息子か、そう言えばコルネリアが息子を紹介したいと言っていたが、そういう意味であったのかと納得する。ベンダー家の息子であり、同い年ということは、第一王子との面識がある可能性が高い。王宮内の情報を聞き出す絶好の機会だ。  私は唇を軽く舐める。 「承知いたしました。では、失礼します」  私はそう言い扉の外へと出た。  そして長く息を吐き出す。  まさかこのタイミングで王都へ行くきっかけを得るとは思わなかったが、来年の前に下調べできることはかなりありがたい。気になる点も多いが、うまくいけば有意義な旅になるだろう。  何にせよ、秋にあまり時間が取れないのであれば、早くテブレヒトに化ける事ができるようにならなくてはいけない。何しろテブレヒトは秋にここを発つと言っていたのだから。  そして、私は王都のことをブツブツ考えながら、ヨセフと共に自室へ帰るのだった。    
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