4号車

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4号車

狭い通路を匍匐前進で引き返しました。 手足がガタガタ踊り出してなかなか前に進めません。 荷物が全部席に置いたままなのでそこに一端は戻るしかありません。 前から五列めの三列シートの奥。 もう、そこが自分の鍵のかかる自宅です。 懐かしい自宅。安全な自宅。 忘れろ。忘れろ。 漸く肘掛に掴まり身をもたげました。 え? 「おじちゃん!あそんでーあそんでー!!」 黒髪のおかっぱ少女が紺の浴衣に黄色い帯でぴょんぴょん飛び跳ねていました。 次々、妙な事が起こる。 もうくらくらです。 子供について知識が全くなく一体何歳位なのかも判りません。 「何してるの?」 どっかり通路側の席に身を沈めて息を整えます。ハンカチはさっき使ってぐしょぐしょなのでティッシュで額の汗を拭きました。ボロボロ紙が零れて参ります。 「あそんでーあそんでー」 「そっか。迷子かあ」 「これかわいい?」 浴衣にしては珍しいのでしょう。赤い薔薇模様です。 「うん、かわいい。かわいい」 実際少女は大きなフランス人形ぽい美しい子です。 「うそ!!おじちゃん、うそついてる!うそつき!うそつきーっ!!」 信じられないほど大きな声で騒ぎ出しました。確かに何も考えないでかわいいと言ったのですが本当に分かったでしょうか。 キーキー猿みたいに叫んでぴょんぴょん飛びます。 「うそってどうして判るの?ほんとに褒めてるよ」 「じゃあ。どれくらい?」 「100点満点の100点」 「わかんないーっ。おやつにたとえたらナニ?どれくらい?」 「そうだなあ」 ああ面倒です。もうここまでで消費カロリーが増しましです。 「海苔煎餅だよ」 ぷうとほっぺを膨らまして「そんなのきらい」 「ああ、そうだね。苺がのったショートケーキだった」 わあああい……今度はきゃきゃと笑って飛んでます。 これはもう車掌に何とかしてもらわないと。 「名前は?」 ぴたりと動きを止めて「あそんでーあそんでーそしたらおしえてもいいよ」 上から目線かよ。 「何して遊ぶの。何にもないよ」 「かくれんぼ!かくれんぼ!」 はあ。 この車内でか。 「いいよ。おじさんが鬼になるから。君隠れなよ。眼をつむって20数えるから。さあ、走れ」 ぱたぱたぱた…… カシュ― 前の自動ドアを通って走ってゆきました。 え? ぱたぱた………そうだった。あの子裸足だった。 座敷童かよ。いや新幹線童か。 勿論、鬼ごっこなど無視です。 不意に、この新幹線そのものが忌まわしくなって来ました。 背筋がゾクゾクし出したのです。 新聞は畳んで、 辺りの客をつくづく眺めます。 あの葬式帰りの黒ずくめ集団はもういないのです。 あれから一駅にも停車していません。 全員が前の車両に移動した?? あの棺桶が通れば気づきます。 じゃあ、後ろへ? あの連中が蠢きだしたら絶対気づくでしょう。 消えたんです。 消滅です。 だからあれは悪い白昼夢だったんです。 そうでも思わないと叫びそうになります。 そうです。 夢だったんです。 全部。
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