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会社の昼休み、皆が弁当を食べたり外へ飯を食いに行ったりする中、俺は部下を呼び出していた。
「いったいなんですか、御剣(みつるぎ)さん」
小只(おただ)の脂ぎった顔が歪む。それはこっちの台詞だ。俺はデスクの上に一冊の本を出す。その本にはピンクの髪をした女のイラストが描かれていた。
「あっ、それは・・・・・・御剣さん盗ったんですか」
「そんなわけないだろ。拾ったんだよ」
小只が手を伸ばし、本を取ろうとする。すぐに俺が取り上げると、唇を尖らせた。
「返してくださいよ。お昼の時間が減るんですけど」
「権利を主張するなら、まず義務を果たせ」
意味が分からないとばかりに、小只は首を傾げる。こいつ、バレてないと思っているのか。
「知ってるんだぞ、仕事中にこれ読んでるの。しかも、締め切りちょうどに仕事が終わるように調整していることも」
俺が突きつけると小只の顔から急に汗が噴き出すのが見えた。
「お言葉ですが、御剣さんも本読んでるときあるじゃないですか」
足掻くように俺の机の上を指差す。その先にはビジネス本を何冊か並んでいた。
「確かにな」
俺がビジネス本を確認すると小只がにやりと笑う。それで揚げ足を取ったつもりか。
「でも、俺は仕事終わってから読んでいる。それに読むことで知識を得ることができるんだ」
「つまり、ライトノベルは得るものがなにもないというんですか? ライトノベルも立派な文学ジャンルの一つです。読書離れしつつある若者たちにも親しまれるようになっています。しかも、テレビアニメ化などのメディアミックスの原作としても貢献しておりますし。ライトノベルは世界に誇れる日本の文化なんです!」
一通り言い終えると小只は鼻息を荒くしふんぞり返った。珍しく語る小只に社員の視線が集まる。俺は頭を掻き、小只の肩を掴んだ。
「あの、言いたいことは分かるんだが、そのライトノベルを馬鹿にしてるわけじゃねえから」
え、と小只が間抜けな声を漏らす。
「主人公が強かろうが女たちに囲まれようが、なにだっていいんだけど。仮に得られたものがあったとして、お前はそれを生かしているのか、って話」
「いや、普通に面白いから読んでるだけなんですけど」
「なら、空想に浸ってるだけでお前自身は満足だってことだな」
そうじゃないですか、とヘラヘラと笑うデブ。俺が胸ぐらを掴むと、社員たちもざわついた。掴まれた本人も蛇に睨まれた蛙だった。
「だったら周りに迷惑かけんじゃねぇ。少し手伝えば残業なしで帰れるんだ。今度読んだら、今まで読んでた時間分働かせるからな」
手を離すと大袈裟に咳き込む。だが、どちらが悪いかなんて一目瞭然だ。
「アンタはいつもそうだ。仕事できないと皆に晒しやがって。だから、やる気も下がっていくんだよ。弱い立場の気持ちを分かっていない」
小只がわめき散らすのを無視してジャケットを着ると、オフィスから出て行く。 妄想に浸ることしかできない能力がない奴の気持ちなんて分かりたくもない。
外に出るために階段を下りようとしたそのとき、俺は階段から落ちた。一歩踏み出す前に誰かに足を持ち上げられたのか、正面には天井が見える。天井は遠くなっていくのに、未だ床や階段にはぶつからない。もっと高いところから落ちているようだった。恐怖のあまり、目を閉じた。ジェットコースターを反対に乗っている気分だ。その速度が上がっていき、抜ける風の音も激しくなる。
その中で微かに声もする。
「・・・ム・・・サム」
自分の肉体すら置いていかれそうなとき、応えている暇はない。早く地面でもどこでもいいからぶつかってくれ。
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