1話 悪夢

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1話 悪夢

『ねぇ、貫志(かんじ)さん』 病院のベッドに座る中学生くらいの女の子が僕に話しかけてくる。 肩まであるセミロングで少し明るめの髪が、窓から差す夕日を反射して光っている。 『わたし将来、貫志さんみたいな人と結婚したいな〜』 『僕みたいな人なんかいくらでもいるよ?』 そこは普通イケメン俳優の名前とかを出すんじゃないだろうか。なぜ僕なのだろう。 『そんなことないよ。貫志さんみたいに人に寄り添えて色んなこと考えられる人なんてわたし見たことないもん』 笑顔で楽しそうに僕のことを褒めてくる。 普通に照れるなこれ。 『だって、みんなわたしの病気のことを知ると、気を遣って近づいてこないんだよ?』 でも時々その笑顔に影がさすこともあった。 『わかった? 貫志さんはすごい人なの。だからね、わたしは将来、貫志さんみたいな人と結婚したい!』 『…そっか』 『そのためにまずは病気を治して、高校や大学に入って、素敵な人とお付き合いできるようになりたいな〜』 こんな風に、僕に夢を語ってくれたこともあったっけ。 ※ 『うーん……?』 『どうしたの? 朱里(じゅり)ちゃん?』 『貫志さん、今日のご飯何か変わったものでも入ってる?』 『いや、そんなことないはずだけど?』 『ハンバーグの味がしないの。ソースの匂いもしてこないし…』 ※ 『貫志さん、すごく熱い……うまく息ができない…』 『すぐにICUの確保を!』 周りにいるナースに僕は指示を飛ばした。 そして、すぐにストレッチャーで朱里ちゃんを病室から運び出していった。 ICUに運んでいる最中、だんだん朱里ちゃんの呼吸が弱まっていくのを感じた。 『貫志さん、助けて……たす、け、て………』 ※ 「〜〜〜〜〜ッ!!!」 僕はベッドから飛び起きた。 全身に嫌な汗をかいている。 呼吸が荒い。 心臓も痛いくらいに脈打っている。 「スゥー、ハァー、スゥー、ハァー」 深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。 辺りを見回してみる。ここは病院じゃない、見慣れた我が家の自室だ。 時計を見るとまだ日が昇る前の午前4時を指し示していた。さすがにまだ朝の身支度を始めるには早い時間だ。 一通り状況が掴めたところで、僕は大きなため息をついた。 「またあの夢だ……」 今から数年前、まだ2020年代に入って間もない頃、世界は未知の新型ウイルスによる未曾有(みぞう)の危機に晒された。 ウイルスは瞬く間に世界中へと蔓延し、大規模なパンデミックを引き起こした。 僕たちが住む日本も例外ではなかった。 当時、僕-安藤 貫志(あんどうかんじ)-は都内の病院に勤め、その未知の感染症の対応に追われる日々を過ごしていた。 多くの患者達を診ていく中で、救われた人もいれば、手の施しようがなく亡くなっていった人もいた。 今日、夢に出た少女-安藤 朱里(あんどうじゅり)-もそんな未知のウイルスによる感染症で犠牲になった人の1人だった。 同じ安藤という名前だが別に血の繋がりはない。 たまたま苗字が同じだった。ただそれだけ。 でも、そんな偶然が彼女と仲良くなるきっかけになった。 彼女が僕のいる病院にやってきたのは、ウイルスが流行する少し前の頃だった。 彼女には元々持病があり、僕が診ることになったのが彼女と知り合ったきっかけだった。 「先生もわたしと同じ安藤って名前なんですか?」 「そうだよ」 「わたしは朱里っていうの。先生は?」 「僕は貫志。安藤貫志だよ」 「じゃあ貫志さんって呼んでもいい? わたしのことも朱里って呼んでいいからね?」 「うん、じゃあ朱里ちゃんだね」 「はい! これからよろしくお願いします貫志さん!」 朱里ちゃんとの初めての会話はこんな感じだったことを覚えている。 隣では朱里ちゃんの母親が「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げていた。 それからは週に1回程度、朱里ちゃんは病院に通ってきた。 そして、来るたびに1週間で学校であったことなどを楽しそうに、時には不満そうに話してくれた。 僕はそれらの話を彼女と一緒に喜んだり、時には一緒に怒ったりした。 そんな日々は決して悪いものではなかった。 気づけば朱里ちゃんは僕によく懐いてくれるようになり、僕も彼女のことをよく可愛がるようになっていた。 別に朱里ちゃんに対して恋愛感情があったとかそういう話ではない。 どこか妹ができたような気分になっていたんだと思う。 ある日、朱里ちゃんの持病が悪化して一時的に入院することになった。 僕に将来の夢の話をしてくれたのも、この時のことだった。 そして、未知の新型ウイルスが世界に蔓延し始めたのも同時期のことであった。 それから程なくして、ウイルスの感染者が日本でも発見され、僕のいる病院でも感染者が発生した。 瞬く間に院内感染が広がり、その魔の手は朱里ちゃんをも容赦なく襲った。 元々持病のあった朱里ちゃんは、感染症による重症化のリスクが高く、病状は悪化の一途をたどり続けた。 そして、ほとんど手の施す余地がないまま 彼女はこの世を去った。 数年後の現在、ウイルスは終息した。 世界中の人にとって未知のウイルスとの戦いは悪夢のような日々だった。 いや、悪夢だけで済んだのならまだマシなのかもしれない。 僕にとってはそれ以上に、生きる意味そのものを奪われたようなものなのだから。
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