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「なんで俺がシェフやねん!
誰でもよかったんちゃうん。
前の店で俺がどんな扱いやったか知ってるでしょ」
「大事な店任せる相手が、誰でもいいわけねぇだろ」
「俺が一番足引っ張ってるやないですか!
最初の吉澤言う客かて、味のことは言うてへんかったけど、
それでも、俺の料理がもっと旨かったら、
あんなこと言わせんで済んだかもしれん。
……ムニュ・デギュスタシオンより、
ケンシンさんのコースの方が人気やった。
まき乃さんかて、俺よりキャリアも腕もある」
遠也の声は震えていた。
「遠也、二人に腕があんのは確かだよ。
それでも、俺はお前をシェフにしたいと思った。
先月、お客さんがお前に向けた拍手、覚えてるでしょ。
経営してるのは俺だけど、
お客さんにとって、ル・シエルはお前の店なんだ」
聞き取れるギリギリの声、僕はドアの向こうに聞こえないように、裏口のドアへ近づいた。最後に遠也の声が所々漏れ聞こえた。
「……俺の店ちゃう。あんたの店でもない。
……のための店やん。
俺は、早く、……の本当のシェフになりたいんです」
「……お前は、ちゃんとこの店のシェフだよ。
だから、まず体大事にしろ。
とにかく今日は帰れ。嫌だっつっても店から閉め出すからな」
逃げるように裏口のドアを閉めた、外の冷たい空気を吸って、ゆっくり吐く。
吐く息が震えていた。
閑がフランスから消えたあの日で止まっているのは、僕だけだ。
彼にとって今大切なのは、この店とシェフだ。
僕の未練がましさが、閑にあんな行動をとらせてしまうなら、そのたびにまた僕の閑への想いが募るなら、もう、離れたほうがいい。
この店を軌道に乗せて、新しいスタッフを育てたら、僕はこの店を辞めよう。
僕ももう、新しい人生を歩こう。
――サービスは、僕の一生の仕事だ。
それに出会えたのも、改めて気づいたのも、閑と出会ったからだ。
もうそれだけで十分じゃないか。
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