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遠也の腕も治り、いつもの厨房が戻ってきた。
十二月になって、日に日に寒さは厳しくなっていくけれど、すっきりとした気持ちで仕事をしていた。
「予約してないんですが」
急にお店に現れたのは、吉澤様だった。席は空いていた。吉澤様は食事に集中したいお客様だと思い、奥まった席にお通しする。
前回のムニュ・デギュスタシオンでは、閑と口をきくこともなくすぐに帰られた。その後SNSで何かを言ったこともない。
「ワインではなく、スティルを」
「かしこまりました」
ガス無しのミネラルウォーターを注文したあとは、静かに一人でコースを食べ進めていた。
遅い時間からのディナーのお客様を通し、吉澤様のサーブを並行していく。
プティフールとコーヒーをサーブした時だった。
「……SNSの件は、すみませんでした」
「…………そのお言葉だけで、十分です」
テーブルの上に置かれた手が、握りしめられる。
「でも、やっぱり僕は、オーナーとしてのあいつが許せないんです」
彩音と目が合うと、彼女は頷いた。他のテーブルのサーブを代わるため、厨房へと歩いて行く。
「僕の家は事業をやってて、裕福だったんですよ」
吉澤様が訥々と話し出す。
最初にお会いしたときのような、芝居がかった口調ではなかった。
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