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 冷めてしまったコーヒーを、僕は下げた。  閑に言付けてから新しいコーヒーを持ってくる頃、閑と吉澤様が話していた。 「何で、オープン前に呼んだのが僕だったの?」 「そんなの、舌がいいからだよ」 「……有名だからじゃ、なかったのか」  閑はきょとんとしていた。 「いや、俺曲がりなりにも本場でシェフやってたんだよ?  いるよ、有名な知り合いは他にも。出資者にもいるし」 「……じゃあ、僕のこと、買ってたんだ?」 「それなのに、うまいっつってたのになんか、ああいうさぁ!  そりゃ腹立ったよ」  閑の口調を聞いて大丈夫かなと吉澤様を見ると、特に怒っている様子はなさそうだった。 「俺、むしろ吉澤のことうらやましいのよ。 うちにも、手が遅くて料理人諦めたやついてさ、 でもめちゃくちゃ舌はいいし、ソムリエとしての技術は高いんだ。 八朔彩音っていうんだけど。 俺そういう方向の才能なかったから、 手が駄目になったら、料理に関わるの自体難しくなっちゃった。 サービスで皿持ったりも不安だし。経営も手探りだよ」  閑の手のことは、先日、スタッフにもようやく伝えた。  それでも、彼は僕にしたほど詳しい話はしなかった。  彼自身、まだ料理が出来なくなったことを、受け入れ切れてはいないのだ。 「…………そっか。そうだったんだ」  吉澤様は、一人何かを確かめるように呟いた。  この後、吉澤様が今までの一連の投稿の訂正と謝罪、そしてル・シエルについて誇張のないまっすぐな評論記事を書いて下さることになるのだが、このときの僕らはまだそれを知らない。  事件が起こって、予測さえできなかった。
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