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「隼人、ちょっと」
何だろうと思いつつ、閑について事務室に入った。
「……どしたの」
意外なほど真剣な面持ちの閑に、違和感を感じながらそう尋ねた。
「うん。…………これ、結構、賭けなんだ」
「……そうだね」
新しいメニュー、新しい企画、そのためには確実に大量の試作が必要になる。
料理も、サービスも、始まって間もないこのレストランで、僕らに企画とその準備を乗り切る力があるのかは、正直未知数だ。
「お客様が来ない今だからこそ、この企画をやれると思ったんだろ?」
閑は苦笑して頷いた。
今の、来ないお客様を待ち続ける辛い状況より、厨房の皆はよほど張り合いがあるはずだ。
「それにさ、これをうまくやれたら、遠也はかなり伸びると思う」
閑の言葉に僕は笑顔を作って頷いた。
「今はまだ、ドリル解いてる段階なんだよ、あいつ。
自分に何が出来て何が出来ないか確かめながら、得意なことを伸ばしたり、苦手を埋めてる最中なんだ。
……遠也は、ここ超えて、もう一皮むけたら、絶対すごいシェフになる」
まただ。無邪気なほどの、遠也への期待。
それを感じるたびに、胸に嫌な感情が満ちる。
「彩音にもサービス頑張ってもらわなきゃいけないけど、やっぱり、お前の負担がかなり増える。
でも、あいつは必ずいいシェフになる。
お前に、これからも支えていって欲しいんだ」
僕の肩に、閑の右手が置かれる。
その手首には、昔ははめていなかった腕時計が光っていた。
「いいシェフには、いいメートル・ドテルが絶対必要だからさ。
遠也のこと、頼む」
その言葉に、僕は頷けなかった。その言葉が間違っていると思ったからじゃない。
僕のシェフはたった一人だけだ。
――お前が、一番わかってるんじゃないのか。なぁ、閑。
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