#3

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 軽めの食事を終えて、店に戻ってからも試作と試食を続けた。 「これ、も少し塩きかせた方がええですか?」  閑はうーんと腕を組む。 「まずは方向性考えた方がいいよ。 アミューズ数点盛にするなら、相性とか流れも考えて味固めたいでしょ」 「そうですね、肉とか魚とか、調理法とか、できるだけ被らないように作らんとあかんし」 「確かにあんまり被ったらダメだけど、お前が自信もって出せることの方が大事だから、そこに縛られすぎないようにな」  そうは言っても同じ皿に乗るもののバランスは…と二人で話し込み始める。  ずっとちまちまと味見を続けたためか、食べ疲れを感じた僕は、調理台にもたれて水を飲んだ。  ――楽しそうだな。  閑は、楽しそうだ。それを良かったと思うし、嫌だとも思う。  嫌と言うか、悔しいと言えばいいのだろうか、自分でもよくわからない。  彼を直視するのが、正直辛かった。  その後の試食で、何品かアミューズの候補を決めた。片付けをする二人より先に、僕は店を後にした。  そのまま帰る気になれず、僕は二駅先の駅で降りると、小さな店ののれんをくぐった。 「いらっしゃい。……お、隼人君か」  坊主頭で、強面の男性が、顔に似合わない穏やかな声で迎え入れてくれる。  カウンターと二人掛けのテーブル二つ、奥に小上がりが一卓ある店は、平日ゆえかすいていた。  僕は店主に頭を下げて、カウンターに腰かけた。 「こんばんは。まき乃さんはいないんですね」  ここ、おんじゃくはまき乃さんの夫である清澄章太郎さん、通称ショウさんの営むお店だ。 「うん、平日は一人で回せるし、休みの日はきっちり休んで欲しいから。まきちゃん、頑張っちゃう人だしね」  見た目は怖いが、声も話し方も、性格も穏やかな人だ。 「でも、まきちゃんフレンチ好きだから、戻れてよかったよ」  まき乃さんは高級フレンチレストランのスーシェフを勤めた後、ショウさんと結婚してレストランを辞め、しばらくはこの店を二人で切り盛りしていたらしい。 「……その、別なお店でそれぞれ仕事するのって、大変じゃないですか」  尋ねるとショウさんは首を傾げた。 「まぁ、そうかなぁ。でも、無理に同じ店にいるよりいいよ。 お互いこの仕事が好きだし、自分の料理があるからね」  全く料理をしない僕でも、その言葉はなんとなくわかる。  「自分の料理」、まき乃さんの料理、遠也の料理、ケンシンの料理、ショウさんの料理、みんな違う。  そして、みんな、目に見えなくても色々なものを抱えながら、料理の仕事と関わっている。 「……えっと、とりあえず瓶ビールと、山芋のわさび漬けと、小松菜と油揚げの煮びたし下さい」  ショウさんは注文を繰り返して確認すると、すぐお通しとビールを出してくれる。  お通しはツナと切り干し大根をマヨネーズで和えたサラダで、歯ごたえのいい切り干し大根を食べながら、手酌のビールをごくごくと飲んだ。  お店の引き戸ががらりと開いて、そちらに気をとられて視線をやって、僕は固まってしまった。
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