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「何で、俺やったんですかね。
いや、選ばれたんはありがたいと思てますけど、
何で、閑さん、自分でせえへんのですか?」
「え」
その言葉に驚いて遠也を見ると、遠也が僕を見返した。
「だって、あの人料理人でしょ」
あたりの音が一瞬遠くなって、鼓動が強くなる。
「……本人から聞いたの?」
尋ね返した声は、みっともなく掠れていた。
「違いますけど、まき乃さんも、ケンシン、さんも、
閑さんが厨房に来て、コースこうしよとか話すとき……なんて言うか、
オーナーの話やから聞くっていうより、完全に同業として話聞いてますし、
単純に、話してたらわかります」
じっと僕を見る遠也の視線に、僕の目は泳いだ。
「本人が言ったことじゃないなら、僕からは言えない」
「なんで料理やめたんですか」
僕は黙り込んで俯いた。
「あじの干物と、肉豆腐とご飯セットね。卵焼き、もう少し待って。
……温かいうちに食べてね」
ショウさんが言い添えてくれて、遠也は黙り込んだ。
僕は味のわからなくなった小鉢を、事務的に口に運んで、ビールで流し込んだ。
味がわからないのに、ビールの酔いは、しっかりと体に残った。
僕はショウさんに会計を頼み、支払いを済ませると、ふらつく足で店を出ようとした。
「隼人さん」
背後の遠也の声を無視して、僕は店を出て後ろ手に戸を閉めた。
急ぐように駅を目指す。
これ以上思い出させないでくれ。
頼むから、もうこれ以上、思い出させないでくれ。
閑が料理人だったことを。
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