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 吉澤様は更に一切れ口に運んだ後、赤ワインを飲み干して、満足げなため息をついた。 「思ってたよりは、ちゃんとやってるみたいだね」 「うまいだろ? ほら、インスタとツイッターで褒めて、ほら」 「……うるさいな」  吉澤様はオーナーから視線を逸らし、ソムリエールに目配せする。彼女は空のグラスにデカンタから赤ワインを注ぐ。  うちのソムリエールは、料理に完璧に合うワインを提供するのがモットーだが、かなり柔軟なタイプだ。  お客様の中には値段という価値を味の中に含める方もいれば、予算を割きたくない方もいる。より料理に合うものをと望む方もいれば、ワイン自体の品質や製法を重視する方もいる。  食事とともにワインを楽しむときに、何をもって最上とするかは人によって違う。うちのソムリエールは、お客様がワインに何を求めているかを察するのが巧(うま)かった。  ここまでで、皿は全てきれいになり、コースはいよいよ一品目のデザートに移る。  厨房内の出来上がった料理を置くカウンターにはまだ何もない。 「アヴァンデセール出来た?」 「ちょっと待て……よし」  荒っぽい口調のパティシエが作ったとは思えない、美しく繊細なデザートがカウンターに置かれた。  数種のベリーを生のまま、洋酒を加えたシロップに絡めたもので、グラスに繊細な飴細工が飾られている。 「かっけぇ」  自分の作ったデザートに、小声でパティシエが呟いた。  かっこいいというより美しいデザートだ。  シェフもパティシエの言葉が聞こえたらしく、鼻で笑う。 「何笑ってんだコラ」  見た目通りのヤンキーっぽいパティシエが凄んでみせるが、シェフは気圧されるそぶりもない。 「悪いなんて言うてませんやん。むしろええと思いますよ。 若い子が何でもかんでもかわいい言うみたいな感じで」  パティシエがその言い方に青筋を立てる。言い争いになる前に口を挟んだ。 「アヴァンデセールは少量だから、すぐ次のグランデセールになるよ。アイスの温度管理厳しいだろ!」  それだけ言い置いて厨房を出る。お客様に提供する瞬間に食べ頃になるよう、冷凍庫から出してすぐでは硬いアイスを、少し空気に触れさせて柔らかさを調整する必要がある。  料理とデザートの相性は悪くないのに、シェフとパティシエの仲はすこぶる悪い。  この店で一番若年ながらも不遜なシェフが、直情型のパティシエを煽って喧嘩になる。そして最年長のコミが二人を一喝して終わり、が開店準備に追われる中で決まった流れになりつつある。  小さいポーションのデザートなので吉澤様はすぐに食べ終わり、オーナーと会話していた。  厨房に戻り次のデザートを運ぶ。  チョコレートのムースと、スパイス入りのアイスだ。抑えた刺激で、コースから浮かないように仕上げられている。レストランのコース一筋にパティシエの仕事を続けてきただけあって、メニューに合わせる手腕はあった。  裏側で起こる出来事はお客様のいるホールには一つも漏れ出さず、出てくるのは美しい料理だけだ。  そして、サービススタッフだけが、その間を行き来する。
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