265人が本棚に入れています
本棚に追加
/132ページ
吉澤様は更に一切れ口に運んだ後、赤ワインを飲み干して、満足げなため息をついた。
「思ってたよりは、ちゃんとやってるみたいだね」
「うまいだろ? ほら、インスタとツイッターで褒めて、ほら」
「……うるさいな」
吉澤様はオーナーから視線を逸らし、ソムリエールに目配せする。彼女は空のグラスにデカンタから赤ワインを注ぐ。
うちのソムリエールは、料理に完璧に合うワインを提供するのがモットーだが、かなり柔軟なタイプだ。
お客様の中には値段という価値を味の中に含める方もいれば、予算を割きたくない方もいる。より料理に合うものをと望む方もいれば、ワイン自体の品質や製法を重視する方もいる。
食事とともにワインを楽しむときに、何をもって最上とするかは人によって違う。うちのソムリエールは、お客様がワインに何を求めているかを察するのが巧(うま)かった。
ここまでで、皿は全てきれいになり、コースはいよいよ一品目のデザートに移る。
厨房内の出来上がった料理を置くカウンターにはまだ何もない。
「アヴァンデセール出来た?」
「ちょっと待て……よし」
荒っぽい口調のパティシエが作ったとは思えない、美しく繊細なデザートがカウンターに置かれた。
数種のベリーを生のまま、洋酒を加えたシロップに絡めたもので、グラスに繊細な飴細工が飾られている。
「かっけぇ」
自分の作ったデザートに、小声でパティシエが呟いた。
かっこいいというより美しいデザートだ。
シェフもパティシエの言葉が聞こえたらしく、鼻で笑う。
「何笑ってんだコラ」
見た目通りのヤンキーっぽいパティシエが凄んでみせるが、シェフは気圧されるそぶりもない。
「悪いなんて言うてませんやん。むしろええと思いますよ。
若い子が何でもかんでもかわいい言うみたいな感じで」
パティシエがその言い方に青筋を立てる。言い争いになる前に口を挟んだ。
「アヴァンデセールは少量だから、すぐ次のグランデセールになるよ。アイスの温度管理厳しいだろ!」
それだけ言い置いて厨房を出る。お客様に提供する瞬間に食べ頃になるよう、冷凍庫から出してすぐでは硬いアイスを、少し空気に触れさせて柔らかさを調整する必要がある。
料理とデザートの相性は悪くないのに、シェフとパティシエの仲はすこぶる悪い。
この店で一番若年ながらも不遜なシェフが、直情型のパティシエを煽って喧嘩になる。そして最年長のコミが二人を一喝して終わり、が開店準備に追われる中で決まった流れになりつつある。
小さいポーションのデザートなので吉澤様はすぐに食べ終わり、オーナーと会話していた。
厨房に戻り次のデザートを運ぶ。
チョコレートのムースと、スパイス入りのアイスだ。抑えた刺激で、コースから浮かないように仕上げられている。レストランのコース一筋にパティシエの仕事を続けてきただけあって、メニューに合わせる手腕はあった。
裏側で起こる出来事はお客様のいるホールには一つも漏れ出さず、出てくるのは美しい料理だけだ。
そして、サービススタッフだけが、その間を行き来する。
最初のコメントを投稿しよう!