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お店を回すすごさや、サービスの技術の高さへの憧れはもちろんあった。
それを難なく出来るようになったら、あるいはお客様にサービスが良かったと感謝されたりしたら、この仕事がすごく楽しくなるのだろうと思っていた。
でも、違った。
出来上がった料理を運んで食べてもらうという、シンプルな行動の中にも、喜びはあるのだ。
閑の料理を運んで、それに気づいた。
みんな、料理を食べに来ている。
だから、僕がすべきことは、まず、間違えずに、遅れずに料理を運ぶことだ。
たったそれだけのことでも、料理に力があれば、喜んでもらえる。
おいしいものをおいしいままに、正しく届ける。
お客様に気を配るのと同じくらい、料理にも気を配る。
サービスはお客様にばかり目を向けるものだと思っていたけれど、料理にも同じだけの気持ちを向けることが大事なのだ。
料理人が出す料理をおいしいと信じて、お客様に届けること、そのおいしさを絶対に損ねないで届けること。
気がついたことを、何度も心の中で反芻(はんすう)しながらその日の仕事をこなした。
「ハヤト、そろそろ」
マダムに言われて僕は頷いた。
年齢的に夜遅くまで働けないので、僕らはラストオーダーの頃には帰ることになる。
それでも、この店の閉店時間は比較的早い。マダムが妊娠してから、時間を早めたのだそうだ。
僕らがもっと働けたら、と以前零したら、ヒロさんには「お前らが仮に翌朝まで働けたとしても、俺は今の時間に店を閉めて家でシュザンヌと過ごす」と言われた。
踵を返そうとした僕の肩に、マダムがそっと触れた。
「今日、お皿運びましたね」
何か駄目だったかもしれないと居住まいを正すと、マダムはフッと笑った。
「Perfait」
パルフェ。
了解、とか、承知しました、と言うようなときにもマダムが使っていた言葉だ。
以前、気になって尋ねた意味は確か、完璧。
僕は、嬉しさで一度だけぎゅっと目を閉じてから、マダムに軽く頭を下げた。
「Je vous remercie(ありがとうございます)」
覚束ない発音で僕が言うと、マダムは今度は声を立てて笑い、お疲れ様と言ってくれた。
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