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「私は怒ったし、ヒロは殴ったわ」  そう言った後で、マダムは嫌な気分をごまかすように、一口、二口とラペを口に運ぶ。 「ずっと、ずっと、ヒロはノドカのこと褒めてたから。 やっぱり雇ってよかった。不合格だったんだけどな、 って、嬉しそうに言うの」  ヒロさんが、押しかけてきた閑にテストを受けさせて、不合格だったが雇うことにしたという話は聞いていた。 「ヒロがね、あいつは舌とか技術がいいんじゃない、勘がいいんだ、って言うの。 勘がいいから、何が大事かすぐわかる、だから伸びるのがすごく速いって」  嬉し気に言っていたマダムの顔が徐々に曇った。 「ずっと、雑誌の記事とか、ヒロは取っておいてたのよ。 でも、何にも言わないで、ノドカは」 「……今まで閑も色々、大変だったんだと思います」 「だったら話せばよかったじゃない!  私たちはノドカを心配してたし、ハヤトはもっとそうだった。 でも、ノドカはずっと黙って、連絡しないで、 いきなりふらっと来て『お店やります』おかしいでしょ?」  マダムのフォークを握る手は、白っぽくなるほど力が込められていて、わずかに震えている。  マダムもヒロさんも、閑のことを自分のことのように心配していた。  だからこそ、彼がなにも言わなかったことが悲しくて怒っている。 「……でも、ノドカがちゃんとするって言うから、私もヒロも許して、 全部ちゃんとしたら、一度私たちを呼びなさいって言ったの。 それなのに結局、お店はお客さん来ないし、私たちのことも呼ばない」 「すぐ、持ち直して、お二人をご招待できると思います。 閑も、シェフも、スタッフみんな頑張っているので。 ……僕も、まだ、あのお店で頑張ろうと思っています」  そこからは、とても静かで、少し重い空気の食事が続いた。  帰り際、駅までマダムを送ると、別れ際に彼女は僕の頬にそっと触れた。 「体に気をつけてね。何かあったらいつでも連絡して」 「ありがとうございます、マダム」  手を振って別れると、一つ風が吹いた。  それが意外なほど冷たくて、また当たり前のように変わる季節に置いて行かれそうで、僕はそっと腕をさすった。
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