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#6
七年前、23歳の僕は、フランスで働いていた。
誰もいない夜中のホールは、賑わっていた名残が残っていて却ってさみしい。
「ハヤト、今日はもう帰っていい」
白髪交じりの眼鏡をかけた男性が僕を見た。
一日中同じだけ、いや僕よりも働いていたはずのその人は、服どころか、髪一筋の乱れさえない。
「はい、ムッシュ」
このディレクトール(支配人)は部下にも厨房にも厳しいことで有名だ。普段は無表情で、近寄りがたい雰囲気がある。
だが、
「……今日、マチアスのミスをフォローしただろう。よくやった」
そう言って微笑んだ表情は柔らかく、声も優しい。
褒められたことに胸からぶわっと昂揚が吹き上がる。
「ありがとうございます」と大きな声で言って、頭を下げると「日本式の角度で頭を下げるとこちらでは奇異に見える」と一転厳しい声に戻る。
でも目だけはまだ緩んでいて、僕は嬉しい気持ちのまま店を後にした。
ディレクトールは、きっちりとしたサービスを重んじる人でありながら、笑顔が自然で柔らかく、ユーモアもあり、人を惹きつける人だった。
僕自身、あの人に笑顔を向けられると無条件に嬉しくなってしまう。
昔彼がメートル・ドテルとしてこの店に移ったとき、前の店のお客様が彼を追ってこの店の常連となったそうだ。
こちらでは、優秀なメートルであれば珍しいことではないそうだが、やはりすごいと思う。
褒めてもらったことと、明日は休みだという開放感から機嫌良く家路を急ぐ。
ここはパリではないが都会で、長期の休みにはたくさんの人々が訪れる。
今はハイシーズンではないのでまだましだが、バカンス中は「目が回るくらい」という言葉でさえ生やさしいほど忙しくなる。
古くて住む人数に比して狭い部屋に帰ると、すぐにバスルームに入って、時間をかけてシャワーを浴びる。
寝間着に着替えてソファにもたれて息を吐くとようやくほっとした。
目を伏せて今日の仕事の流れを思い返す。日課を終えて目を開ける。
時計をちらりと見る。もう遅い時間だが、まだ自分のベッドルームには行かずスマホをチェックする。
妹たちと母からの近況、マダムが百合ちゃんやビストロの写真を送ってくれていた。
部屋では極力フランス語を使わない、仕事に必要なニュースや情報は、外にいるときに得るようにしていた。
色々な人がいると思うけれど、僕の場合は、こうして身近な人と連絡を取ることが、むしろ足場をしっかりと固めてくれていた。
愛国心なんて呼べるものは持っていないけれど、この狭い部屋の中だけは自分の故郷だと思うと、異国の地でも頑張れた。
――あいつにとっても、そうであればいいけど。
ちょうどそのとき、ドアが開いた。僕はあえて目を伏せて、考え事のふりをする。
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