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目を伏せても、ソファの隣に腰掛けたのがわかる。
すっと目を開けると、明るい目が僕を見ていた。
「ただいま」
「……お帰り、閑」
閑が視線だけ俯けてふー、とため息を吐いた。
「今日さー、NG食材あるお客さんいたじゃん。
素材に合わせてソースもちょっと味変えるんだけど、
今日いつものでやりそうになってシェフにめっちゃ怒られた」
「お疲れ。でも、間に合ったんだろ?」
「間に合わせましたよ」
「休み明けのまかない、閑が当番だっけ」
「うん」
閑の出世は早く、若くして肉料理担当になっていた。
僕はまだドゥミ・シェフ・ド・ランという、コミとシェフの中間で、まだ直接お客様に料理を運ぶこともなく、給仕をするシェフ・ド・ランの補佐とコミのまとめの仕事をしていた。
「今度は何作るの?」
「……んー。お好み焼きは前にケンシンが作ったしなぁー」
最近パティシエ部門のコミとして働き始めたケンシンとは、同じ日本人で年が近いこともあり、一緒に食事に行ったり親しくしていた。
「今日は、アーティチョーク揚げたのに、
トマトのショートパスタでしょー?」
今日のまかない担当はイタリア出身で、地元の郷土料理だ。
総料理長のジャン・デュパン氏はどこか浮世離れした人で、優しいが少し風変わりだった。
彼の作る料理はクラシックだったが、調理スタッフは外国人や移民を多く雇い、まかないでは自分のルーツに関わりのある料理を作らせた。
できるだけ庶民的なもの、あるいは流行のものという縛りもあった。
総料理長が作る料理は素晴らしくおいしいが、ずっと昔からある、南フランスの郷土に根ざした料理だ。
「なんで、クラシックな料理作る人なのに、
まかないは攻めてるんだろうね」
と呟くと、閑が得意げな顔になる。
「違うよ、隼人くーん」
「うざいな、そのキャラ」
「グランシェフは、いっつも確かめてんだよ。
あの人最新の調理法とか流行の料理とか、本当はすげー詳しいんだぜ?
そんで、まかないの時も、
世界のいろんな人が今食べてるもの確かめて、
その上でクラシック作ってんの。超かっこいいよね」
そうなのか、と思った。僕は閑ほど総料理長と接する立場ではなかったけれど、ここまで意図を汲んでいるのは、近くにいるからだけではないだろう。
「あと、多分まかないで自分の故郷の料理作らせるのは、
俺らにも確かめさせてるんだよ、
自分の根っこにある料理と、クラシックなフレンチとの間の
……距離? とかそういうの。
俺たちもグランシェフもウィンウィンのまかないってこと」
ふーと息をついて「まかない明日考える」と呟いた。
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