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その晩の営業で、僕はわずかに驚いていた。
ビジネス利用のお客様のお連れ様が、見覚えのあるお客様だったのだ。
笑顔でわずかに会釈をするが、向こうは覚えていらっしゃらないようだった。
無理もない。僕がホテルのラウンジに勤めていた頃のお客様だ。
地方からお仕事に見えているのか、時折そのホテルに宿泊し、ラウンジで仕事の話し合いをされていることも、一人でコーヒーを飲まれていることもあった。
数年で十回にも満たなかったから、年に数回サービスをしただけのウェイターを覚えていないのは普通のことだ。
サービスの合間にさっとホール全体を見渡す。
ご夫婦でお越しのテーブルの、ご婦人が空のグラスに目をやった。ワイングラスはまだ満たされているが、水のグラスが空になっている。
すぐに側に行って水をつぎ足す。
「ありがとう」
少し驚いてから、微笑んで下さった。
あまりお酒に強くないのだろう、頬が少し赤い。
僕は礼をして下がり、彩音にお酒に強くないお客様であること、お水を飲むペースが速いことを耳打ちする。
キッチンに行って、各テーブルの進みを伝えて、出来上がった料理を運ぶ。
奥まった席にご案内したビジネス利用のお二人は、和やかな顔で会話をしていた。
三度目のご利用のお客様は、彩音と楽しげに会話を交わしていて、うまく会話の糸口をつかめたようでほっとした。
食事が進み、一組、また一組と食事を終えて帰って行く。
新たに迎えたお客様もいるが、僕は、奥の席でデザートを食べているビジネス利用とおぼしきテーブルが気になっていた。
ホストのお客様は二度目のご来店、そして、ゲストのお客様は、前の職場でのお客様だった。
食べ終えて一息ついたお客様の皿を下げる。
食後酒ではなく、紅茶とコーヒーのご注文だった。
食後のプティフールとコーヒーをお出しする時に、特に意識してそうしたわけではなかった。
ホストのお客様は紅茶にミルクと白い角砂糖、ゲストのお客様はブラウンシュガーの角砂糖を四つ乗せた小皿を置く。
うちの店はブラウンシュガーと白砂糖の両方が入ったシュガーポッドをサーブするが、シュガーポッドからブラウンシュガーだけを四つもより分けて取り出すのが、面倒だろうと思ったのだ。
まずゲストがおや、という顔をした。
ミルクはホストのお客様のみにサーブされている。だが皿の砂糖を見て満足げな息をつくと、ブラウンシュガーを四つコーヒーに入れて混ぜる。
ゲストがふと僕を見て、「あぁっ」と言った。
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