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厨房に戻ると、急かし続けていた肉料理と、先ほど頼んだスープを、遠也がちょうど僕の目の前に出した。
「……スープ」
「早すぎましたか?」
「いいや、完璧」
忙しさでいつもよりハイになっているのか、遠也が珍しく「ははっ」と笑った。
デザートの頃には、ずっと皿を洗い、その隙に自分の仕事を進めていたケンシンも忙しくなり、必要な返事以外ほぼ喋らず、ひたすら作業をしていた。
息が上がりそうだ、顔がこわばりそうだ、でも、お客様にちゃんと笑顔を向けられる。
落ち着いて食事を楽しむお客様を見ていると、自然と僕も落ち着けた。
――楽しい。
一つ、また一つと、テーブルの食事がコーヒーや紅茶で締めくくられていく。
一人のお客様が、僕に視線を向けた。
側に行くと、男性のお客様が告げた。
「あの、おいしかったです。
よければ、シェフの方を呼んできてくれませんか」
僕は笑顔で「かしこまりました」と答えた。
シェフを呼んできてくれと言われたのは初めてで、遠也はぎこちない挙動でホールに出てきた。
すると、拍手の音がパラパラと聞こえ、徐々に大きくなり、残っていたお客様たち全員の拍手になった。
遠也はコック帽を取ると、猫背気味に頭を下げる。
遠也の頬や耳が紅潮していた。
「……あの、今日は、お越しいただいてありがとうございました」
遠也を呼んだお客様と少し話し、彼は厨房に戻る。
イベント色の強いディナーで、きっと周りの空気に流されて拍手したお客様もいただろうけれど、遠也に拍手をして下さったお客様がいるのは本当のことだ。
僕らの、苦労も伴う仕事が、こんな風にお客様に喜んでもらえると、本当に嬉しい。
ムニュ・デギュスタシオンのディナーは、成功した。
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