#10

2/11
前へ
/132ページ
次へ
   *****  閑はシェフとして、とても順調に進んでいた。  開店後すぐの、経営が軌道に乗るかどうかという張り詰めた時期を越えると、その店は観光客だけではなく、地元の人にも愛された。  外国人でありながら好意的に受け入れられたのは、彼のキャラクターによる所も大きいだろう。  若い東洋人シェフが作る、クラシックなフレンチは、彼が外から来た人間であるからこそ余計フランスらしく、良さがわかりやすく、誰が食べてもわかるおいしさになっている。  そんな風に評する人もいた。 「別にどこ出身でも同じキュイジニエ(料理人)なのになー」  と、それっぽいことをいいながらも、嬉しかったのか閑は何度もその記事を読み返していた。  お互いに多忙なのは変わりなかったし、仕事のことでは時々諍いもあった。  それでも、一つだけ、変わったことがある。 「おめでとう」  この店のパティシエの二番手になったケンシンが、僕の肩をバシッと叩いた。 「おめでとう、ハヤト!」 「ついにハヤトが昇進かー」 「遅すぎたくらいじゃない?」  僕は祝いの言葉に、笑顔が隠しきれない。  僕はシェフ・ド・ランからメートル・ドテルに変わる。  この店のディレクトールから、僕の昇進と、これからのサービスチームの変更が言い渡され、後は普段の予約確認などに移っていく。  ミーティングの終わりに、閑が僕の側にやってきて手を出した。  囁かれたのは日本語。 「おめでとう、隼人。すげぇ嬉しい」 「ありがとう。……お待たせ」  ぐっと握手をする。  思わず強く握ってしまったが、閑があまり握り返してこないのを感じて、はしゃぎすぎたかと手を離す。  隣には立てないまでも、ようやく閑の背中が近づいたことに、僕は嬉しくてたまらなかった。  閑は明るい目で、笑顔を見せる。今度はフランス語で言った。 「頼りにしてるよ」 「任せて下さい、シェフ」  ちょっと気取って言ってみせると、閑も周囲も笑ってくれた。  閑の目が輝いている。  みんなが笑ってくれてよかった。ちょっとでもしんみりした空気になったら、涙ぐんでしまいそうだった。  その日は、前の店に残っているサービススタッフの仲間たちからも昇進を祝うメッセージが届いた。
/132ページ

最初のコメントを投稿しよう!

264人が本棚に入れています
本棚に追加