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 営業を終えて部屋に帰る。  閑の帰宅はまだだ。  前の店のグランシェフも、ビストロの店主だったヒロさんも、まず自分が誰よりも働くタイプのシェフだった。  閑も同じだ。二人に倣(なら)ってそうしているというよりも、自分の気質に合ったシェフを選んで働いてきたのだろう。  今日は一杯飲んでから眠りたいと、冷蔵庫を開ける。  即座に閉めた。  シャンパンと、琺瑯(ほうろう)の保存容器がいくつか積まれていた。  じわじわと、顔が熱くなってきた。  気づかなかった。今朝はカフェで朝食をとって、そのまま職場に行ったので冷蔵庫には触れていない。  昨日の夜は顔を合わせていないが、閑が夜帰宅してから作ったのだろうか。  以前はよく僕の朝食を作っておいてくれたり、休日も閑が食事を作ったりしていたが、最近は忙しさのためか、閑が家で料理をすることはほとんどなくなっていた。  僕としては、忙しいなら家では休んで欲しかったので、閑が家での料理をしないことに異存はなかったが、今日僕を祝うために料理をしてくれたことは、単純に嬉しかった。  僕はシャワーを浴びて身だしなみを整え、本を読みながら閑の帰りを待った。  鍵の開く音がしたとき、思わず立ち上がってしまう。 「……ただいま」  ドアに向かって立ち尽くした僕を不思議そうに見てから、閑が入ってくる。 「おかえり、お疲れ様」 「今日は意外と余裕あったから、営業中は楽だった」  でも遅かったな、と思って明日の予約を思い返す。 「明日は忙しくなりそうだけどね」 「そー、それで仕込みが大変でしたよ」  ぎゅっと僕に抱きついてきた閑の背中を、ぽんぽんと叩いてやる。 「大変だったな」  体を離して、閑が疲れが残る顔で優しく笑った。 「隼人、おめでとう」  僕は自分から閑に抱きつく。 「ありがとう。……やっと、ここまで来た」  閑は僕を抱き返して僕に頬ずりして「ふふふふ」と静かに笑っている。 「久しぶりにご飯作ったから、食べよ」  僕が気づいていなかったふりをして驚くと、閑は笑って「冷蔵庫の中見たでしょー」と両手で僕の頬を挟む。  こんな風に穏やかに一緒にいられるのは久しぶりだ。
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