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その後すぐに、閑は消えた。
フランスでのことは、思い出すたびに今も当時と同じ痛みを僕の中に呼び起こす。
フランスでの言葉も、きっと最後だという感傷が言わせたのだろう。
僕が部下の指導でいつもより長く家を空ける日に、閑は一人荷物とともに出て行っていた。
好きだと言ってから、数日もたたないうちのことだった。
置き手紙一つ無く、携帯は通じなかった。
職場でオーナーから、既に閑と話し合って次のシェフも決めてあると言われたとき、僕はやっと、自分が閑に捨てられたのだと自覚した。
スタッフはざわついた。もちろん、急に彼が辞めた理由を尋ねる人もいた。
オーナーは、彼の意向で言えない、ただ、誰かに落ち度があったわけではなく、経営上の問題もないと説明した。
僕は、そのとき、死にたくなるほど後悔した。
閑は、きっと右手を壊したのだ。
それ以外に、理由が思いつかなかった。
日本からの雑誌の取材で、店の写真を撮らない訳がない。きっと通院していたのだ。家で料理をしなくなったのも、腕を休ませるためだ。
どうして、閑がコルクを開けるだけで顔を歪めていた時に、引きずってでも病院に連れて行かなかった。
それよりもっと前に気がつかなかった。
何よりも、なんで、もう少し彼に追いつけたらちゃんと話そうなんて思ったんだ。
呆れられても、嫌われても、彼を説得すべきだった。
僕は、言い争いたくないなんてくだらない理由で、閑と対等でないのが嫌だという理由で、本当にすべきことを先延ばしにしたんだ。
後悔ばかりが、絶え間なく押し寄せてきた。
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