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「あいさつ、しないで帰るのか?」  僕はしばらく黙り込んだ。  ケンシンは古式ゆかしいヤンキーなので、挨拶に厳しい。 「……邪魔したら悪いかなって」  そうごまかした。  今、厨房では閑と遠也がムニュ・デギュスタシオンのメインの試作をしている。 「そうか。なんか最近、隼人と閑、気まずそうに見えたからよ」  チラリと厨房側のドアに視線を向けたケンシンの声は先ほどより小さい。  よほど大きな声でなければ聞こえないが、気になったのだろう。 「コースのこととか、普段なら閑がお前に話振るだろ。 サービス面重視してるし、隼人も自分で意見言うだろうし。 だから、何かあったのかと思ってな」 「まぁあいついい加減だし、腹立つときもあるよ」  否定するのも変な気がして、そういう言葉でごまかす。 「……そうだな。けど、何かもめてんなら早めに折れてやれよ」 「なんで僕が」  慌てた声が出てしまう。  ケンシンは、もめたんだなという顔をした。 「お前ら、フランスでルームシェアしてたし、 日本にいるときからの知り合いだったんだろ。 多分、お前のこと店に誘うの、 めちゃくちゃ勇気のいることだったと思うんだよ」  冗談めかして笑おうとして、乾いた嫌な笑いが漏れた。  思わず出てしまった本心と一緒に、嫌な言葉まで口にしてしまった。 「僕なら、言うこと聞くと思ったから誘ったんだろ」  閑がいる場所なら喜んでついてくると思ったに違いない。  僕は実際そうだったのだから。  いくら気にしていないふりをしても、閑には物欲しそうに見えていたのかもしれないと思うと、自己嫌悪でおかしくなりそうだった。  ――だから、閑はあの日ここで髪に触れたんだ。  最近は、業務上のこと以外は話さず、二人になることも避けていた。  そうしないと、自分が惨めでどうしようもなかった。 「……隼人、お前、この店辞めないよな?」 「この時期に放り出すわけ無いだろ」 「…………それならいいけどよ。 何か悩んだりとか、そういうのあったら言えよ」  そう言うと、ケンシンは裏口のドアを出て行った。  突っ込まれなくてよかった。  この時期に放り出すわけ無い。  完全に軌道に乗るまでは、ここにいるつもりだった。  でも、それ以降もずっと、ここに居続けられる自信はなかった。 「じゃ、お疲れ」 「うん」  ケンシンを見送って、僕はロッカーにもたれるように額をつけた。
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