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新たな施設、新たな生活
施設から出て母親と妹2人の4人での新生活が始まった
まず僕たちの暮らす家だが、前に帰っていた家ではなかった
母子寮という、母子支援の為の施設だった
(また施設かよ?w)
まぁ、施設とは言っても柵で囲われたボロいアパートで、何故か薄緑色一色で不気味な建物だったな~
部屋は1DKで壁にはひび割れがあったり、風呂トイレは共同で共用部に大部屋が有ったりで、プライバシー全開な作りだった
家電も全く無しで、クーラーすら備わってなかった
(施設では2人部屋ですら冷暖房完備だったのにな~)
他にも入所者は居て数世帯はいたかな~
(同級生の女子もいたよw)
夜は門限があって22時には門が施錠されたりと、女手一つだと何かと不便で言ってしまえば時代錯誤な感じだったな
家賃、水道料金は無料で2、3年が入所期限だったかな~
職員の話だと、この間に離婚等から立ち直りながら一般の生活が出来る様に、生活基盤を整えるのが目的の施設らしい
とは言いつつも、今時駐車場も無いから結構キツいと思ったけどねw
因みに米軍基地からの支援も有って、1、2ヶ月に一回は食料品(消費期限ギリギリの米国製品)の寄付やら、季節ごとの行事への招待(クリスマスやイースターとか)もあったな~
・・・まぁ、アメリカのお菓子は人を選んでたけどw
そんな感じの、今までの施設とはまた違った施設が次の家だった
庭には桑の木やビワの木、渋柿の木が生えてて、芋も栽培されてて思わず「戦前かっ?」と突っ込みそうだったけどw
で、母親は知り合いの飲食関係で働き始め、僕達は新しい学校に入学した
これからは普通の家族みたいに何食べたいや何が欲しいとか、一緒に遊んでや寝ようとか今まで出来なかった色んな事が出来るんだろうな~
好きな時間にゲームやったりお菓子食べたり、好きなTV見たり好きに寝たりと自由が待ってるだろうな~
面倒だった「当番」とか「休日草刈り」とかやらないで良いし、米も毎日24合炊いたりしなくて良いだろうな~
そんな「理想」な生活が送れると一切疑わずに母親を信頼しきっていた
まぁ、「普通」の家族でもこんな生活は中々無いだろうし、母子家庭というハンデが有るなら尚更無理だろうな
その時はまだ子供で分からなかったし、これから起こる数々の問題も予想出来なかった
この時から地獄の生活へと一歩足を踏み出したのだった
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