崩壊の始まり

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崩壊の始まり

取り敢えず、まずは新たな学校に慣れるのが第一だな 小4の3学期という中途半端な時期、しかも高学年になってくると各自グループも出来ていて、少しでも変だと思われるとイジメや仲間外れにされるかも知れない まぁ当時はそこまで考える事は無かったし、隠し事とか嘘は付かない素直な性格だからか施設に居た、と言う世間一般からすると腫れ物な話題でも平気で話してたな~ (因みに今でも聞かれれば話すくらいアホだw) あと自慢にはならないけど、施設の頃は学校でガキ大将とかと喧嘩したりでそれなりに自信が有ったり、運動勉強どちらもそれなりに出来てたからな~w まぁ、そんな感じで初日から開けっぴろげに接していったな~ (若干引かれてた感あるけどw) それもあってか、一月もしない内に友達も出来て遊びに行ったりしたりと、学校生活は問題なかったな~ 問題は寮生活だ 母親は飲食店で働き始めたが、まぁマトモに稼げていない上に家事もおざなりになっていた 始めの1、2週間は掃除洗濯炊事と全てやった上で仕事に行っていたけど、一月もすると全て放置で仕事に行った後も家に居る時間が少なくなっていた それどころか学校で必要な物(体育着や給食費)の支払いを伝えると、「今お金が無い」という言葉が出てくる様になった 家事に関しても、小遣いをあげるからと言って月3000円(僕は)で当番制での家事をする様に言われた 長女は食事係、二女は部屋掃除、僕は食器洗いや洗濯等、殆どの家事を分担してやるようになった 施設でやっていた事もあって、別に出来ないと言う訳では無いけどはっきり言って残念だった な~ そもそも施設を出たら親が何でもやってくれて、僕らはこれまでの分いっぱい甘えたりして楽しい生活を送れる、と期待していたのに金が無いやら疲れているからとか・・・ その頃は片親と両親の居る家庭の違いは分からなかったし、世間から見て貧しい世帯に当たる事も気付かなかった ましてや中卒の女が3人の子供を養う事には、何個も掛け持ちして仕事したりしないと到底無理、という事も分からなかった それに加えて家事に子供の相手まで、と考えると相当に厳しかったんだろうな~ 当時としてはそこまで考えず、まぁ大変だって言ってるしな~と素直に思ったし、やらないと小遣いが貰えないと言うのも有り、渋々ながらも家事を分担してやるようにした 端からみると笑えるよな~ 小4が、「今日、掃除で忙しいからすぐ帰るね!」って言って一目散に家に帰るとか、小2がスーパーで野菜買ってくるとかあり得ないでしょ?w で、親は暗くなってからしか帰ってこないし、帰ってきても「疲れた」やら「眠い」だで学校の様子を聞いたりもしない 「父親に会いたい!」、と言っても「遠い所に居るから」とマトモに取り合わない 次第に「金が無い」が当たり前になっていき、毎月の様に担任から催促を伝える様に言われる事が増えていった この頃からもう、崩壊は始まっていたんだろうな・・・
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