第1章 ブラック勤務

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第1章 ブラック勤務

壁に掛かる時計をちらり。 定時の六時まであと五分。 そわそわと周りを少しずつ片付けはじめる。 いつもはあっという間に過ぎてしまうのに、今日はたった五分がなかなか進まない。 けれど私は鼻歌でも出そうなくらい上機嫌だ。 なんといっても今日は、あいつがいない。 命じられた仕事も終わらせた。 今日こそは定時で帰れるはず。 さらにそれを見越して、彼氏の武(たけし)とデートの約束をしている。 あと三分、二分、一分……。 ――ポン。 六時になったと同時にシャットダウンをクリックしようとしたら、まるで見ていたかのようなタイミングでポップアップが上がった。 思わず、マウスを持つ手がぎくりと止まる。 ……これは、気づかなかったことにしてもいいですかね……? マウスを握っている手が、じっとりと汗を掻いてくる。 そろりそろりと矢印を再びシャットダウンに持っていこうとした途端。 ――チロリロリン。 机の上に置いてある、携帯が通知音を立てた。 「……はぁーっ」 がっくりとあたまが落ちる。 携帯を確認したら、あいつからNYAINが入っていた。 【急ぎの発注書送ったから、今日中に発注かけて。 朝一で発送してもらうように打ち合わせ済み】 【データの方はそれで、早急に資料作って。 明日朝一の商談に使うから】 「……はぁぁぁぁぁぁーっ」 地の底にまで響きそうなため息が落ちる。 これは、既読無視にしてもいいですか。 いいですよね。 ……って、できたらいいのに。 仕方なく、武とのトーク画面を開く。 【残業、入った。 ごめん】 ちょうど武も見ていたのか、すぐに既読になった。 一拍おいてポン、とメッセージが上がる。 【残業? はいはい、わかった】 【ごめん、この埋め合わせは必ずするから】 今度は既読になったものの、いくら待っても新しいメッセージは送られてこない。 はぁーっとまた陰気なため息をつき、お気に入りの三毛猫スタンドに携帯を戻す。 「泊まりで出張の今日くらい、早く帰らせてよ……」 メールを開き、送られてきたデータを確認する。 軽く、二、三時間はかかりそうだ。 「武だってさ……」 前は残業でデートキャンセルになったときは怒っていた。 そりゃ仕事なんだからそんなに怒んなくたってなんて思っていたのも事実。 でもそれだけ怒るってことは武も楽しみにしていてくれたってことだよね? でも怒らなくなったってことは……私に、関心がなくなったから? あたまを振って考えを追い出す。 そんなことはあるはずがない。 きっと、考えすぎ、だ。 うだうだやっていたって仕事が終わるわけでもない。 パン、と思いっきり頬を叩き、私は猛然とキーを打ちはじめた。
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