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サルタンタワーリングの鍵【Ⅰ】
栗本麻雪(くりもとまゆき)はうつむいて歩いていた。
あ~あ……。
きっと不合格だ。
確かに大会社の募集だったとはいえ、まさか、バイトの応募者があんなにいるとは思わなかった。
きっと五十人位はいたかもしれない。
筆記試験まであって、就職活動じゃないって。
藤倉電子工業――。
コンピューター関係では大手企業だ。
店舗の店員さん募集だったけど、今から働いておけば、来年の就職に有利かと思ったけど、面接でトチってしまった。
口籠って言いたいことが言えなかった。
彼女はバッグを長く持ち、今にも引きづりそうにしていた。
真っ赤なコートを着て、真っ黒いタイツをはいている彼女は、本当に身体も心も寒々としていた。
こんな目立つ服を着てくるんじゃなかった。
栗本麻雪は何度も何度も溜め息をつきながら、とぼとぼ駅に向かって歩いていた。
タッ、タッ、タッ、と誰かが走ってくる足音が後ろから聞こえた。
突然、麻雪は軽い衝撃を感じてよろめいた。
「すみません」
男がおどおどしたように謝る。
何度も後ろを振り返り、まるで警察に追われている犯罪者のように見えた。
「あの……」
「な、なんですか」
彼は普通の濃紺のスーツ姿で、普通のサラリーマンみたいだった。
でも、ちょっと挙動不審だった。
言いがかりをつけられたら逃げてしまおう。
今にも走り出しそうにしている麻雪に、男は囁いた。
「これを、韮崎研究所の社長に渡してくれ。頼む、必ず渡してくれ」
麻雪の手を握り、その中に何かを託した。
「そんな、困ります。韮崎なんて知らないもの……ちょっと!」
男は一度振り返り、駆け出して行く。
スパイ映画を観ているような瞬間だった。
まさか、これを持っていたために、命を狙われて暗殺されてしまう、なんてことはないだろう。
そんな大切なものを通りすがりの少女に渡すはずないか。
麻雪は手の平をゆっくりと開いた。
そこには、小型のメモリーディスクがあった。
なんの変哲もないディスク。
ただ、普通のよりも小さいというだけ。
でも、この中にはきっと膨大な情報が入っているに違いない。
韮崎システム開発研究所。
その名を聞けば誰でも知っている。
もちろん、彼女も本社がどこにあるか知っていた。
西新宿のど真ん中に、三十階建てのビルがタワーのように建っていた。
地上のハデさは表向きで、実は地下に大きな研究施設があると聞く。
コンピューターのシステム開発を手掛け、これまで数多くのハード、ソフトを発表している。
ディスクを見つめていた彼女は、バッグにしまい込み、駅に向かって走り出した。
その彼女を三人のスーツ姿の紳士が追い抜いていく。
ああ、本当にスパイ映画のようだった。
彼女は山手線に乗り、新宿駅で降りた。
ちょっと後ろを振り返る。
誰かが追って来ているかもしれない。
あの時、手渡すのを見ていた人がいた。
なんて、想像すると少し興奮してくる。
あの男かもしれない、それとも、あの女性がつけてきているかもしれない。
疑えば、みんなスパイのような気がしてくる。
タクシー乗り場に並んだ彼女は、スーッと後ろに来た人にドキリとした。
何気なく振り向いて見れば、白髪の老婆だった。
両手には重そうな荷物を持っている。
田舎から出てきて、息子夫婦を訪ねる。
そんな出で立ちだった。
いや、老婆だからといって、侮ってはいけない。
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