サルタンタワーリングの鍵【Ⅰ】

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 敵をあざむくために、わざと警戒心を持たせないよう、年寄りを差し向けたのかもしれない。 「バカげてるわ……」  彼女はボソッと呟いた。  順番がきて、タクシーに乗り込む。 「韮崎研究所までお願いします」  運転手は返事もせずに発進する。  ひょっとして、この運転手がワナかもしれない。  見知らぬ所に連れ込まれて、海に沈められるのだけはイヤだ。  道路はそんなに混雑してはいなかった。  いつもなら渋滞で、身動きも出来ないほどなのに、スムーズに動いている。  これならすぐに到着するだろう。  早く手渡して、こんなバカげたことは忘れてしまおう。  なのに、タクシーは大通りから外れて左に曲がった。 「運転手さん! 道が違うわ」  彼女は大きな声を出して身を乗り出した。 「違っちゃいないよ。こっちでいいんだ」  ちがう――。  ここで曲がるんじゃないんだ。 「お願い、降ろして」  麻雪は座席の背を掴んで叫んだ。 「どうしたんですか、お嬢さん。あの大通りの先は工事をしていて車線が狭くなってるんです。こっちからの方がずっと近道ですよ」  運転手は笑いながら答えた。  唖然とした彼女は、妙に恥ずかしくなって、両手に顔をうずめた。  ひどい妄想にかかっている。  命を狙われているなんて、この平和な日本であるわけがないじゃない。 「着きましたよ」  彼の声に麻雪ははっとして、逃げるようにタクシーを降りた。  運転手がまだこちらを見て笑っている。  変な娘だと思ったにちがいない。  韮崎ビルは、天に向かって一直線にそびえ建っていた。  見上げれば、最上階が雲に隠れて見えないような気がした。  おそらく、あそこに社長室があるのかもしれない。  自動ドアが開き、一歩、中に足を踏み入れた時、彼女は茫然と立ち尽くした。  二階までの吹き抜けは、広々としていて自分が小人のように見える。  一階はだだっ広く、テーブルとソファーが、ガラス張りの前に整然と置かれてあるだけだった。  大きなシャンデリアが、ドアの前にいる受付嬢の真上でキラキラと光っている。  もしも、あのシャンデリアが落ちてきたら、受付嬢はぺしゃんこだ。  いや……。  妄想がまだ頭から離れない。 「あの、社長さんにお目に掛かりたいんですけど――」 「お約束がおありですか」  相手が少女でも、受付嬢の対応は微笑みながら慇懃だった。  たぶん、社長の教育が行き届いているのだろう。 「約束はしてないの」 「所長はお忙しい方で、お約束のない方とはお会いにならないですわ」  なんだか、憧れてしまう。  こんな言葉遣い、一度でいいから使ってみたい。 「そうね、こう伝えてもらえれば、きっと会って下さると思います」  麻雪はすました顔をして言った。  暗殺者は妄想だったけど、商取引をするキャリアウーマンになりすますのも、けっこう楽しいかもしれない。 「メモリーディスクについて、お話があるの」 「お待ちください」  受付嬢は内線電話を掛け始めた。  社長はどんな人物だろう。  ロマンスグレーの老紳士だろうか。  それとも、尊大ぶって、腹の突き出たおじさんだろうか。  きっと、毎日生肉を喰らって、ぶくぶくと太っているのかもしれない。 「所長がお会いになるそうです。あちらでお待ちください」  彼女は背筋をピンと伸ばし、受付嬢が手で誘うソファーへ歩いていく。  わざとヒールの踵をコツコツと鳴らし、キャリアウーマンらしく装った。
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