サルタンタワーリングの鍵【Ⅰ】

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 だけど、着ているものがちょっとそれらしくない。  ソファーは革張りで、大きくフカフカしている。  思わずのめり込んだ彼女は、まるでだらしなく腰掛けたように見えた。 「どうぞ」  テーブルにコーヒーカップが置かれた。  香ばしい、いい匂いが漂う。 「おかまいなく」  身体を起こした彼女は、にっこり微笑んだ。  受付嬢が笑みを返す。  会社の顔だけあって、知的な美人だ。  スタイルもいい。  きっと、社長の好みにちがいない。  どんな恰好で会おうか。  足は斜めに揃えた方がいいか、組んだ方がキャリアウーマンらしいだろうか。  背後から、キュッキュッという革底の靴音がする。  来た――。  結局、彼女は斜めに足を揃えた。  組んでしまうと、後にひっくり返ってしまいそうだったのだ。 「お待たせしました」  姿を見せた男に、栗本麻雪は目を丸くした。  彼は左側のソファーに腰掛ける。  ダークグリーンの三つ揃いのスーツを着ていた。  てっきりおじさんが来ると思っていたのに、三十代の男性だった。 「あなたですか。ディスクについて話がしたいと言うのは――」  彼もちょっと驚いた様子だった。 「わたくしは社長さんと直接お話がしたいんですの」  彼が眼鏡を指で押し上げながら、ふっと笑う。  バカにされたような気がする。 「あなたのお名前は?」  あっ……。  ここで名刺とか差し出せたら良かった。  短大生の女子が名刺なんて持ってるはずがない。 「栗本麻雪です」 「いくつ?」 「十九歳です」  人に名前を聞いておいて、自分のことは何も話さないなんて失礼だ。 「わたしは……」  彼が手でさえぎる。  メタルフレームの眼鏡が、照明に反射してキラリと光った。 「いや、受付嬢が女性だと言ったもので、てっきり年配の人だと思ってしまったわけだ。それが、こんな可愛らしい女の子だったので、ちょっと、どうしようか戸惑ってしまったよ」  そんなお世辞を言ってもごまかされない。  なんか、ディスクを素直に渡すのが惜しい気がしてきた。  少し焦らすのも手かもしれない。  ひょっとしたら、産業スパイが奪ったディスクかもしれないし……。  そうなんだ。  反対に韮崎研究所の方がライバル会社から奪った可能性だってある。  藤倉電子工業と競うように新開発を発表している。  あの時、三人の紳士が男を追い掛けて走っていった。  奪われたディスクを取り戻そうとしていたのかもしれない。  麻雪はその場で立ち上がった。  疑いもせず、ここまで来たのは軽率だった。 「わたし、帰ります」  足を踏み出した時、彼が口を開いた。 「待った。きみは何か勘違いをしていないか」 「勘違い……?」  彼がポケットから長方形の白い紙を出す。  丁寧に両手に持って手渡された。 「韮崎システム開発研究所、所長、韮崎俊一郎。韮崎……?」  彼が照れたように笑った。 「所長さん。あなたが――社長なの!」 「まあ、座りたまえ」
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