サルタンタワーリングの鍵【Ⅰ】

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 言われなくとも、麻雪は力なくソファーの上に崩れ落ちた。  社長というものは、もっと恰幅がよくて貫録のある年配の人だと先入観があった。  これじゃあ、青年実業家ではないか。  社員が二千人以上いる有名企業の社長が、こんな若い人だなんて思わなかった。 「早速だが、ディスクのことを話してもらおうか」 「何のことでしょう」  彼女の記憶はすっぽりとそこだけ抜けてしまった。  それだけ、すごいショックを感じていた。 「それはないだろう。きみがわたしを呼んだんだぞ」 「ああ、そうだったわね」  大きなガラス窓の向こうに黒い影がチラッと見えた。  誰かがこちらをうかがっている。  黒い乗用車が通り過ぎて行き、歩道にサングラスを掛けたスーツ姿の男が立っていた。  麻雪はちょっとギクリとして、コーヒーに手を伸ばす。  まさか、追っ手ではないだろう。  たまたま、そこに立っているだけだ。  でも、こっちを見張っているような気がする。  いいや、そんなこと妄想に過ぎない。 「どうしたんだ。手が震えているぞ」  彼が不思議そうに訊ねた。 「緊張しているんです」  彼女はコーヒーをこぼさないよう、両手に持って飲んだ。 「ほう、緊張しているようには見えないな」  チラリと横目で外を見た彼女は、そこに誰もいないのを確認した。 「失礼します」  そばに来たのは、紫のスーツを着込んだ美女だった。  セミロングの髪が、小さくカールされて、清楚な印象を与える。  足はピンと真っすぐに揃えて立っていた。 「所長。緊急のお電話が入っています」 「わかった。栗本麻雪さん、でしたね。ここでしばらくお待ちください。すぐに戻ってまいります」  二人は肩を並べてホールを歩いていく。  麻雪は振り返って見た。  連れだって歩く二人は、一見、恋人同士のように見えた。  そんな仕草をしているわけでもないのに、雰囲気が似合っている。 「ねえ、あの所長さんはいくつなの?」  彼女は受付嬢に近寄って訊ねた。 「三十二歳ですわ」  十九歳の麻雪には、ちょっと遠い存在だ。 「あの女の人は?」 「秘書の松波利恵子さん」 「ふうーん」  麻雪は二人が消えていったメタリック調のドアをじっと見つめた。  まるでスペース映画の防犯ドアのような冷たい感じの扉だった。  いくらコンピューター関係の会社でも、ビルまでメタリックにしなくてもいいと思う。  近代的だけど、部外者を遮断する排他的なビルだ。 「わたし、帰るって所長さんに言っておいて。ディスクのことはまたの機会にお話しましょう」 「それは困ります。所長に逃げないよう見張っててくれ……と…」  受付嬢は後悔するように、両手で口元を押さえた。  逃げないように見張る――。  麻雪はギョッとして、顔を引きつらせた。  何気ないフリをしていて、彼の頭の中では策を練り込んでいる。  強引にディスクを取り上げないだけ紳士的なのかもしれない。  ここから出よう。  このビルから、出ていくんだ。  彼女は一気に駆け出して行った。  キャリアウーマンどころじゃない。  いたずらを見つけられた子供が、逃げていく姿にそっくりだった。  自動ドアを駆け抜けて歩道に出た。  キキキーッ、とタイヤの軋む音がした。 「きゃああああ!」  真っ黒い乗用車が走り去っていく。  窓には黒いフィルターが貼ってあって、中の様子が全然見えなかった。
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