サルタンタワーリングの鍵【Ⅰ】

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 ただ、何本ものアンテナが揺れていた。 「大丈夫か!」  麻雪は茫然として、歩道に座り込んだままだった。  誰かが轢き殺そうとした。  いいや、実は驚いた瞬間、自分でつまづいて転んだんだ。  でも、もしかしたら、韮崎俊一郎の仕業かもしれない。  早くディスクを渡さなければ、殺すぞ、と威しをかけた。  緊急の電話なんて真っ赤なうそで、部下に命じてやらせたのかもしれない。 「ケガしなかったか」  声を掛けてくれたのは、まさに韮崎俊一郎(にらざきしゅんいちろう)だった。  手を差し延べて、心配そうな顔をしている。  彼女はその手を借りて立ち上がった。 「シャネルの二千円もしたタイツが、破けたわ」  膝のところが大きく破れて穴が開いていた。  黒いからよけいに目立つ穴だった。 「あっはは……」  受けている。  そんなにおかしいのだろうか。  確かにみっともないけど、大笑いすることないと思う。  田舎から出てきて、仕送りでやりくりしている苦学生で、ほんの少しの贅沢が一日で破れたんだ。 「失敬。そのままでは帰れないだろう」  つまり、ディスクを取り戻すまで、帰さないつもりなのだろうか。 「わたしが家まで送ろう。車を回して来るから、ホールで待っていたまえ」  車……。  親切を装って、海に沈められるのだけはイヤだ。  東京に出てきて、そんな惨めな死に方だけはしたくない。 「んん? どうしたんだ」  栗本麻雪はハッとしたように立ちすくんだ。  どうかしている。  このディスクを手にしてから、少しおかしくなってるんだ。  推理小説の読み過ぎだろうか。  バカげた妄想にとりつかれて、気が変になっているんだ。  どうして殺されなくちゃいけないのか。  彼はただディスクを渡してくれないか、と言えばそれで済むんだ。  わざわざ人殺しになる必要なんて一つもない。  奪おうと思えば、力ずくで容易に手に入るんだ。 「ごめんなさい」 「不思議な娘だ。もっとも、最初からきみはおかしかった。似合わない言葉遣いをして、足を組んだり揃えたりしていたな」  麻雪はカーッと顔を真っ赤にさせてうつむいた。  彼はずっと見ていたんだ。  見上げた彼は笑っていたけど、軽蔑ではなくて優しく見守るような瞳をしていた。  眼鏡の奥の瞳は、純真な少年と威厳のある所長と、二つを兼ね備えて光ってる。 「ああ、そんなに見つめられると照れてしまうな」  そう言った彼は自信に溢れていた。  もう一度、自動ドアを入っていった。  受付嬢がほっとしたような表情をした。  このビルは一種の要塞なのかもしれない。  すべてがコンビューター仕掛けで、思い通りに動かすことができる。  もしも、ここにロボットが登場したとしても、ちっとも違和感がないだろう。  ふと見た受付嬢の上にあるシャンデリア。  動いているような気がする。  小刻みに揺れ始めた。 「きゃっ! 地震」 「心配することはない。このビルは耐震設計になっているから、マグニチュード8が来ても、おそらく、このビルだけはしっかりと建っているだろう」  受付の女性が、テーブルの下に隠れる。  ビルが崩れなくても、あそこだけ、一番の被害があるだろう。  辺りが瓦礫の山と化して、もしも、このメタリック調のビルだけがそびえていたら、ちょっと不気味かもしれない。  突如、地下から轟音とともににょっきり生えてきた要塞のように見えることだろう。 「もう、おさまったようだ」
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