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そんな調子で、初夏にさしかかった頃のことだった。
「舞子さん、明日休みだよね。俺の家来ない?」
その頃にはもう下の名前で呼び合うようになっていた。
思いがけない提案に、さすがに私も慌てた。
「えっ、だめよ。親御さんに見つかったら」
「だいじょーぶ。うち、親外国にいるし。中学生の弟しかいないからさ」
「ええっ」
それこそ問題だ。自分の兄がどう見ても年上の、それも学校の先生と付き合っているなんて知られたら。
「それも問題なし。あいつガキっぽくなくて物わかり良いし。どんな相手と付き合おうが、俺のことには深く干渉してこないよ」
そう言い切ったときの皮肉げな笑みが、心にひっかかった。
弟の昌國くんは孝國くんとそっくりの声をしていた。見た目は彼のほうが比較的男らしくきりりとした顔立ちで、何より目つきが険しい。孝國くんが笑うと日向ぼっこ中の猫みたいに見えるのに対し、昌國くんは苦笑レベルの笑みしか見せなかった。無愛想で警戒心が強い印象を受けたけれど、まだすれていないというか、純粋そうな少年だと思った。孝國くんとはまったく違う。
彼に引き合わされたその日、私がより注意深く見ていたのは孝國くんのほうだった。
彼は“演じて”いた。
「どうだった? 昌國は」
次の日の放課後、二人きりの保健室でそう尋ねてこられたとき、推測は確信へと変わった。
この時間帯、ここに生徒はめったに来ない。設計ミスとしか思えないやたら入り組んだつくりの校舎の端っこ、辺境にあるというのが大きな理由だけれど、村崎孝國が保健室に入り浸っているらしいという噂が生徒たちの間でまことしやかにささやかれ始めたのも原因だろう。初日の三人にはあれから一度も遭遇していないし。
そんなわけで遠慮なくベッドの上に並んで寝転がり、うつぶせになった私は孝國くんのほうに顔だけ向けて問うた。
「本当は、昌國くんのことが羨ましくて仕方がなくて、大嫌いなのでしょう?」
疑問符こそつけたけれど、それはほとんど確認に近かった。
寝そべった孝國くんの顔から表情が消える。役名を失った人形は口を動かすのさえぎこちない。
「どうして、わかるの」
「だって、私たちは同じだもの」
私も無機質な声で答えた。
「そう」
ギシ、とベッドが軋む。私の上に覆いかぶさるようにして、ニセモノの恋人は甘く囁いた。
「ねえ、ひとつ実験してみない?」
私に断る理由なんてなかった。
ヒトのことがわかれば、もっと演技がしやすくなる。
私たちは冷酷な観測者。
哀れな被験体は、村崎昌國。
いずれは終わりを告げる夢。そこにはめ込まれた砂時計の砂が、音もなく流れ落ちはじめた。
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