桜夢の共演者。

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 時間は進み、生徒たちには夏休みが近づいてきた。 「ねーねー、舞子ちゃん。あたし今度カレシと海行くんだけどぉ。がっつりビキニって引かれるかなあ?」  そんな相談をされ、私は椅子をくるりと回転させて相手のほうを見た。授業をさぼっては保健室にやってきて、ネイルの手入れに勤しんでいる子だ。今日も口を尖らせ、爪にピンクのマニキュアを丁寧に塗っている。よく自分にはなんの取り柄もないと自虐しているけれど、細かい作業を見ていればわかる。この子は手先が驚くほど器用だ。 「んー、どうかしらね。でも、川村さんが彼のために一生懸命選んだってわかったらきっと彼、喜ぶと思うわよ?」  川村さんはぱっと顔をあげ、はにかんだ。悪ぶっているけど、健気で素直な子だ。 「えへへ、わかっちゃう? とびっきりかわいーの選んだんだ! よしっ、頑張っちゃうよー、あたし!」 「海、楽しんできてね」 「うんっ。舞子ちゃんは遊びに行かないの~? カレシさんと」  保健室の常連になっている川村さんを含めた数人の生徒のなかでは、私はどこかのお金持ちの男性と付き合っていることになっているようだ。孝國くんとの関係をカモフラージュするために、誤解は解かずにいる。  はじめの頃は慣れないことが多く右往左往していたけれど、ようやくこの仕事にも慣れてきた。私はどうやらうまく「保健室の先生」を演じきれているようで、生徒とも良好な関係を築けているとみていいだろう。 「私は夏休みもお盆以外はここにおりますー」 「午前中だけでしょ? もったいなーい。せっかくの夏なんだから海とかさっ」  海、か。まわりの女の子たちから睨まれた、高校の臨海学校での記憶がちらつく。 「私ももう年だもの。日焼けが怖いのよ」 「うっそだー。あたしたちとほとんど変わんないじゃん」 「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」 「お世辞じゃないのにー」とふくれっ面で彼女が出て行ったあと。私は窓の外、雄大な夏空を見上げた。 「そろそろね」  実験が、はじまる。 「先生、そろそろって?」  カーテンの向こうから届いたか細い声に、私はおっとと口に手をあてた。 「夏休みのことよ。そうだ、井上さんは夏休みの予定は?」  カーテンがゆるゆると開かれ、顔を出した女の子はこれまたゆるゆると首を横に振り、一言。 「ない、です」 「若いうちに遊んでおいたほうがいいわよー?」  大きなたれ目がちの瞳を二、三回瞬かせ、 「わたし、すぐへばっちゃうし。夏はだめなんです」 「それ、春にも似たようなこと言ってたわよね?」  低血圧で体の弱い井上さんは、保健室の本当の意味での常連だ。今日も体育の授業中、プールサイドで見学中にめまいを起こして孝國くんに運ばれてきた。彼とは同じクラスなのだ。 「春は、空気がざわざわ、するから。夏は、暑くて空気が、怒るから。秋は、空気がしくしく、泣いてるから。冬は、空気がわたしを拒絶する、から。わたしは、いつだってこんななんです。わたし、ダメダメ、ですね」  ふしぎな子だ。まわりとは違う世界に生きているような、ふわふわとしてつかみどころのない子。 「先生、恋人、いるんですか?」  そして、私に恋人がいるとは思っていないようす。  いつも通りはぐらかしにかかる。 「どうかしらねー。井上さんは? 好きな人とかいるの?」 「……」  沈黙。  あら? と思って顔を向けると、カーテンに半ば隠れた井上さんの顔はカーテンの暗がりの中でもわかるくらい、赤くなっていた。 「ないしょ、です」  こういうところを見ると、やっぱりこの子もふつうの女の子なんだな、と思う。私には真似できない。演じるしかない反応、表情。  とりあえずそれ以上の追及はやめることにした。 「そろそろホームルームが終わるんじゃない?」 「はい……」  タイミングよく、終業のチャイムがスピーカーから鳴り響く。 「あっ」 「担任の先生には言いに行くのよ?」 「はい。……ありがとうございました」 「気をつけて帰ってね」  ぺこりと律儀にお辞儀をして出ていく彼女を送り出してから数分後、偽りの恋人はやってくる。 「井上とすれちがったけど。まだここにいたんだ」  気づいていなかったのね、と呆れる。彼の性質はわかってきたつもりだけれど、自分が保健室まで運んだ相手の心配をまるでしていなかったようだ。無関心というか、薄情というか。  残酷、だ。
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