辺境の空は今日も晴れ 番外編 榊原四郎左衛門正宗傳

2/17
前へ
/17ページ
次へ
凡例 『』内はヒノモト語 辺境の空は今日も晴れ 番外編 榊原四郎左衛門正宗傳 【壱】 フラブ暦2260年六月、風の女神ウィンズの月である。ランカスター公国の首都である城都や、海浜好楽地のトーレルでは、早くも息抜きだ、バカンスだ、と浮かれ始める頃である。 日本(ヒノモト)の暦では、天永六年(皇紀2672年)五月になる。 ラウアー山脈が左に聳える大森林に沿って続く古びた街道を北へ向かう男がいた。長着に袴、草鞋履きに陣羽織を着け、腰には二m(ノース)ほどの反りの強い大刀を差している。 彼の名は榊原(サカキバラ)四郎(シロウ)左衛門(ザエモン)正宗(マサムネ)。彼は、二ヶ月ほど前にヒノモトからやって来たのだが、今は人目を逃がれるように旧街道を辿っている。 「何故、この様な事になってしまったのだ?」 正宗は、この二ヶ月で伸び放題になった髭の間から苦々しく呟いた。 X 天永六年二月のある日、一部近隣の諸国とのみ交易を行う「鎖国政策」を執行中のヒノモトに、ラフヌス共和国連邦の一国、ベソ共和国に所属する漁船が漂着した。乗組員十名ほどの船だったが、生き残ったのは一名のみであった。その異国の漁師を救けたのが、遠州(エンシュウ)濱松(ハママツ)藩に生まれ、今は武蔵国(ムサシノクニ)江戸崎(エドザキ)藩主、畠山(ハタケヤマ)茂実(シゲザネ)公に仕える正宗であった。 そのベソの男―タルアンと名乗った―は、しばらく畠山公の屋敷で養生をしていたが、その間畠山公が身振り手振りで話をしているうちに、彼の「異国の話」を聞かせようと、将軍に謁見させる事を思いついた。 タルアンの体調が快復した三月の中頃、江戸崎藩の老中・片岡(カタオカ)と共に正宗は彼を伴って江戸へ赴き、将軍に拝謁した。 時の将軍 織田(オダ)信成(ノブナリ)はタルアンと彼の話をいたく気に入り、タルアンをベソに送り帰すと共に、彼(か)の国を見聞する為の使節団を編成した。団長は将軍の老中の一人、景山(カゲヤマ)時継(トキツグ)、そして副団長に正宗が任じられ、二十人の人員が集められた。 四月には海が荒れる、との事で、僅か半月の準備期間の後、使節団は福岡(フクオカ)の港を出た。 順風に恵まれ、二週間足らずでベソに到着した使節団は、べソ国王から国賓待遇を受けた。 「ベソの国は漁業を生業としており、それほど豊かな国では無い。折角なら、ナガントの活気ある街を見るのが良かろう」 ベソ王からの提案で、ナガントへの遠征団が組織された。海は荒れているので、陸路での移動となった。 ナガントへは、タンタルス共和国の領地を抜ける事になる。が、街道節は非武装地帯として、自由に通行出来る、という暗黙の協定があったので、遠征団は街道を外れないように旅を始めた。だがその途中で、遠征団はタンタルスの傭兵部隊に襲われた。 ゴルビ山地を越えた、ベソ-タンタルス国境のアダスタ砂漠北端で敵部隊と接触した。戦力的には正宗達が敵を圧倒していたのだが、突如謎の攻撃を受け、遠征団は総崩れとなった。 団長の景山を始め使節団の仲間も次々と倒されて行く中、正宗は辛くも逃げ延び、森の中へ飛び込むと、「ナガントは北にある」という情報を信じ、とにかく北へ向かったのである。 X
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加