ブラックコーヒー

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 誰かに言いたい。言いたいけれど、言えない。一番の親友は、ライバルだから。彼女の方が先に良太郎と知り合って、恋に落ちていたのだ。こんな、抜け駆けをしたことを知られたら、嫌われてしまうだろう。  部屋に戻り、もう数えきれない程聴いたデモテープをカセットデッキに入れて、再生ボタンを押す。  流れてきたのは、少しハードロック寄りのロックンロール。  良太郎のバンド、フロストバイトだ。彼が担当しているのはギターヴォーカル。そのギターが上手いものなのか、そのヴォーカルが正確なのかは、由里にはわからない。テクニック的なことはわからないけれど、ただ、その歌とギターが好きだ。無条件に。  彼の低い声が、胸を震わせる。低くて、とても心地良い声。しっとりと優しくて、それでいて力強くて。  好きな人がバンドマンで良かった、と思う。こうして、いつでも彼の声を聴くことができる。  テープと一緒にすっかり覚えてしまった歌を口遊みながら、学校帰りにこっそりと平田駅前のショッピングセンターに立ち寄って買い物をして来た袋の中を覗く。  バレンタインの特設催事場を何周もして、散々悩んで選んだチョコレート。  初めて、人に渡すチョコレートだ。  25歳の彼は由里よりずっと大人だから、子どもっぽいものを渡したら笑われるだろう。そう思うと、どれもこれも物足りない物に映る。  小一時間考えた結果は、ウィスキーボンボンだ。制服姿でこれを買おうとすれば咎められるのではないか、と躊躇したが、レジに向かうと呆気なくそれは手に入った。  彼が酒を呑むことは知っている。ライブハウスで、缶ビールを片手にしていた。  だから、これも喜んでくれるはず。  本当は、それに何の確信もない。でも、そう信じないと渡す勇気が出ない気がする。  チョコレートが嫌いだったら? 甘いものが好きじゃなかったら? ビール呑むからってウィスキーはありなの? これ随分安っぽくない? 子どものお小遣いじゃあね。  ネガティブな自分があれこれと問いかけて来るけれど、必死に首を振って払い除ける。  大丈夫、良ちゃんは優しいから。ちゃんともらってくれるはず。  デモテープのカセットケースに入っている、手作りのコピーで作られたレーベルを見る。フロストバイトの名の通り、派手なピンク色の色画用紙。ワープロで打ち出したタイトル。完全に荒れて、顔もはっきり分からないメンバー写真。
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