ブラックコーヒー

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 おしゃれは苦手。  それでも、自分の手持ちの中では精一杯可愛い服を選んで、髪をとかして。  もうちょっと、ブローの練習をしておけば良かった。前髪を少しくるんと巻ければ、それなりにカッコがつくのに  3日前、思い切って電話をかけた。  家族に聞かれないかとハラハラしながら。何故かいけないことをしているようで、知られてはいけない気がした。  そして、電話の向こうでは誰が受話器を取るのか。ドキドキして呼吸が苦しい。 「はい、塚田ですー」  妙に気のいい中年男性の声。これが、彼の父親なのだろうか。大人っぽくてクールな彼とは随分イメージが違う。 「あっ、あの、滝川と申しますけれども!」  緊張の余り、声が上ずる。 「はい」  彼の名前を音に変えるのに、少し気合いが必要だ。少し息を吸い込み、思い切って口にする。 「…良太郎さんっ」 「はい」 「…は、いらっしゃいますか」  どうにか最初のハードルを乗り越えた。体の中で篭っていた空気をそっと吐き出す。 「あー、はいはい、待っとってなー」  父親は、あっさりとそう答えて受話器を置いたようだ。遠くから、廊下を歩く音や、彼を呼ぶ声がぼんやりと聞こえる。  足音が近付いてきて、受話器が息を吹き返した。 「由里ちゃん? どうしたん」 「ごっ、ごめんね! 良ちゃん!」  彼は、9歳も下の由里がこう呼ぶのを許してくれている。  それは、由里だけではなく、誰にでもなのだけれど。  だから、由里は特別ではない。 「うん、ええよ。何かあった?」 「あの、あの、ね」  一番の用件。思い切って電話までかけたのだ。言わずに切る訳にはいかない。 「渡したいものがあるんやけど、日曜日、会えやんかな? 良ちゃんヒマ?」  言ってしまってから、「ヒマ?」という聞き方は失礼だったかと冷や汗をかく。 「ええよ」  彼はその渡したい物が何かを追求することなく、さらりと承諾した。前のめりになっていた由里が、拍子抜けする程あっさりと。 「そんじゃ、夕方…4時頃迎えに行くわ」 「えっ、えっ、そんなんええよ! 私が行く」 「ええって」  彼が、車で迎えに来てくれる。それだけで天にも昇る心持ちだ。 「どこまで行ったらええ?」 「えっと…」  自宅からすぐのバス停を説明すると、彼はわかったと返す。 「ほんな、日曜日な」  そして、無駄話をすることもなく、電話は切られた。
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