天才

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天才

 今朝、俺が人生に苦悩している時に、ババアがうるさくしてきたのでブチキレた。 「それじゃあ、お母さん、お仕事行ってくるから、お昼はテーブルの上のカレーをチンして食べてね。聞こえてるの? 成夫ちゃん」  階下から二階の俺の部屋に向かって叫ぶババアに俺はさらに大きな声で怒鳴り返す。 「うるせー糞ババア。俺が人生の重要問題に取り組んでいる時に下らねー話題で思考をかき乱すんじゃねー! 俺がかかずらう哲学的テーマに比べれば、テメーの作ったカレーライスなんて糞便に等しいんだよ。うんこだ! まあ食べるけどさ……」  そうしてババアを威嚇するために床をドンドンと踏み鳴らし、PCデスクをバンバンと叩いてやる。  するとババアはうろたえて、 「ちょっと、成夫ちゃん何をしているの? そんな大きな音を立てたらご近所さんに迷惑でしょ」  なんてほざいてやがったが、やがて時間に追われて、いそいそと家を出て行った。  そうしてババアをパートに送り出すと、俺は再びパソコンのモニターを見つめて大きなため息を吐くのだった。  そこには俺の苦悩の源である某有名小説投稿サイトのマイページが表示されていた。                   俺の名前は、罠美成夫(わなびなるお)。37歳。無職。  将来の夢はライトノベル作家だ。  俺はその野望の布石として、この小説投稿サイトに、しこしこと作品を連載していた。  俺の苦悩とは他でもない、その小説がまったく評価されないことだった。  ポイントや感想がつかないばかりか、PVすらロクに増えない。  その現状に俺は焦り、苛立っていたのだ。                   評価されない理由は、分かりきっている。  つまり俺は早すぎた天才なのだ。  俺には確かに才能がある。とにかく文才がヤベーのであるが、しかし社会の方はまだ俺の作品を享受出来るほどに成熟していないというわけなのである。  俺がいま執筆している『転生したら今より酷かった』は、一見するとテンプレートの異世界転生ものであるが、読み進めていくうちにその哲学的なテーマや、痛烈な風刺が理解できる仕掛けになっている。  それは、娯楽作品というよりは一種の文学であり、読む者にこの苦悩に満ちた「生」を原液のまま飲み干すことを要求する。 テンプレラノベで現実逃避をしているキモオタどもには劇薬ともいえる内容である。 受け入れられないのも無理はない。  いや奴等の知能では理解することすら不可能なのだろう。                   俺は小さいころから物語が好きで、いつかは自分でも書いてみたい、それを自分の仕事にしたいと思っていた。  当初の計画では、今ごろはとっくにプロとしてデビューして、悠々自適な印税生活を送りながら、ファンの女の子を片っ端から食いまくっているはずだったのに。  大衆がおバカさんなばかりに俺のピュアな夢は脆くも崩れ去ったのだ。  畜生、社会め!  もういっそ、路上で通り魔でもしてやろうか!                  脳細胞が怒りの情念に乗っ取られると、もう何も考えられなくなる。  そんなとき俺は考えるのをやめ、酒を飲んで不安と現実を思考から追い出すことにしていた。  強めの酒ストロングゼロをあおると、俺の鋭敏な頭脳は、一瞬で漂白される。  理性はなりをひそめ、動物的な欲望が膨らんでくる。  要するに食欲である。  俺は今、切実に酒のつまみが欲しかった。  何かないかと、机の引き出しを漁ると、そこに未開封のスルメイカが入っているのに気がついた。  それは、コンビニのおつまみコーナーで売っているような袋の中にまるまる一匹スルメイカが入っている代物だった。 「あれ、こんなのいつ買ったっけ?」  ともあれ俺はラッキーに思い、その袋を破る。獣欲のままにぶち破る。 しかし、そのとき(ひじ)がストロングゼロの缶に当たってしまった。  缶が倒れ、ストロングゼロがスルメイカにぶっかけられる。  次の瞬間、突如としてスルメから煙が立ち上った。それは細かい粒子からなる霧状の煙で、なんとなくバルサンのそれに似ていた。吸い込むと喉が焼け付くように痛んだ。  慌てて窓を開ける。淀んだ部屋の空気と一緒に毒煙が公共へと排出された。  そうして煙幕が晴れた部屋を振り返ると、薄れ行く煙の向こうに意外なものが見えた。  そこに居たのは一人の少女だったのだ。                      その少女は、俺の部屋の真ん中にちょこんと座って、上目遣いに俺を見つめていた。 彼女の周りでは煙に(いぶ)し出されたゴキブリ達が、腹を上にしてもがいている  少女は、 一見中学生のように見えた。  年頃がそうだというだけでなく、しっかりと紺色のセーラ服とスカートを身にまとっていたからだ。  その顔は、とてもかわいらしい。  艶やかな黒髪を三つ編みにしたその姿は、田舎の純朴な女学生といった風情である。 「君は一体?」  恐る恐る問いかける俺に少女はハキハキとした声で答えた。 「お初にお目にかかります。私の名前はアトリー。二億年後の未来で地球を支配しているイカの一匹ですわ」 「イカ?」 「はい」 「未来から来たって?」 「その通りです」  俺が問い質すと、アトリーと名のる少女はきっぱりと肯定した。                    彼女が語る身の上があまりに荒唐無稽(こうとうむけい)だったので、俺はなんだか腹が立ってきた。  「未来から来た」はまだ許せる。  なるほど謎の煙と共に突如として出現した少女がただ者でないことは認めざるを得ないだろう。  しかし、いくらなんでも「自分はイカだ」は酷いではないか。 「えっと、アトリーさんだっけ? 君のどこにイカの要素があるんだ?」  三つ編みの女学生風美少女に俺は当然の疑問をぶつけてみた。  すると彼女はいかにも心外だという風にこう言った。 「あら嫌だわ。先生ほどのお方でも時代の制約からは自由でないのね。二億年後の世界では今よりも多様性が尊重されるのですよ」 「多様性?」 「イカっぽいイカも居れば、私のような人っぽいイカもいるということです。だからどんなに臭くて気持ち悪くてもイカっぽいイカを差別してはいけないのです」 「えっと、それじゃあ、その人っぽいイカの君はなんで現代にやって来たんだい?」 「それは、もちろん貴方をチヤホヤするためです」 「俺を?」
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