9.アテンの末裔

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 僕はヘムラとカムロの医療記録簿の重要な部分を素早くメモした。そしてすぐに、二人の近くに複数の関係者とみられる記録を発見した。  ハムス・カーのメモは正確だった。オムスから運ばれた重症者は九人いた。  僕はその人物名と病気の症状、治療経過の概要を書き写した。テッド・ウインの見立て通り九人のうち八人は二年以内に死亡していた。僕は医学の専門家ではないが、記録を読む限り、どうやら血液の異常が手に負えなくなったようにみえた。白血球の数が尋常ではなかった。  そして、目指す一人の名前が目に入ってきた。キラ・アテン。女性だった。職業は…。 <王立科学大学考古学教室助手>  僕の大先輩ではないか。  キラ・アテンは他の患者と同様、入院当初に血液の不調があったようだが、半年ほどで症状が回復したとある。しかし、全快後も死ぬまで療養所に閉じ込められた、ヘムラとカムロと同じように。没したのはアメン王二十八期。今から四十六期前のことになる。  資料室に残されていたのは純粋に医療記録のみで、オムス事件の存在を匂わすような記述は一切なかった。だからこそ廃棄されずに残っていたのだろう。だが、アテンは僕にとって重要な人物なので、医療記録簿を細部まで完璧に書き写した。  驚くべきことに、キラ・アテンという女性は、療養所内で結婚し、出産までしていた。医療記録簿には妊娠から出産までの詳細も記載されていた。他の八人より長生きしたこともあり、キラの記録簿はかなり分量が多く、メモするのに、小一時間を費やした。
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