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第三章 王女
「城から出るつもりではいたけど、こんなところまで来ることはちょっと想定外だわ」
ドロテアが周囲の建物を見渡して言った。アメルも頷く。
「すごい……質素なところですね。私、初めて来ました」
二人が来たのは城下町といえば城下町だが、王城のすぐ近くの賑わった街ではなかった。城下町の闇とも呼ばれる、身分の低い者達が暮らしている場所、所謂貧民街だ。建物は今にも崩れそうなものが多く、鼻が歪むような匂いがそこら中を漂っている。
道端にあぐらをかいて座っていた男が、ドロテアとアメルに気づいて顔をあげ、二人の服装を見て睨んできた。アメルが睨み返した。
「早く行きましょう」
アメルの言葉にドロテアはため息をついた。
「あなた、威嚇し返してどうするのよ」
しかしアメルの言葉通り少し歩く速度を早める。地味で動きやすいものを選んできたとはいえ、二人の服装は明らかに裕福に見えてしまうのだろう。貧民街に長居するのは危険すぎる。
「ミシュカが常連だったっていうお店、本当にこの辺りにあるの?王城で働く娘が、わざわざこんなところの飲食店に頻繁に来るのかしら」
「まあ、あの少年、えっと、名前なんでしたっけ。彼も、ミシュカさんの趣味は変だから行かない方が良いかも、と言ってましたね」
「いよいよ本当に怪しいわ、ミシュカ・ロジュノスト 。こんなとこで何してたのかしら、ワクワクするわね、アメル!」
アメルはドロテアの笑顔を見て苦笑した。
「随分楽しそうですね。人が攫われていて、彼女達がどんな目にあってるかもわからないのに」
「あら、別に良いじゃない。彼女達は私の知り合いじゃないし、私にとってはただの暇つぶし、冒険の盛り上げ役よ。そもそも私は人に共感できるほど優しい人間じゃないわ」
ドロテアの返答にアメルはため息をつきたくなった。昔からこうだ、この王女様は。いつも情熱的なように見えて、どこか人に執着がない。自分さえ楽しければ良く、逆に言えば自分が楽しくなければ何も積極的にやろうとしない。表にはなかなか出さないが。
そして自分の楽しみを妨げる可能性のあるものは全力で排除する。よく今まで私はクビにならなかったものだ。
いや、自分は彼女の楽しみをあまり妨げていないな、と気づく。
結局、ドロテア様には甘いのだ。
アメルは昔から王族の使用人として働いているので、ドロテアとはかなり長い付き合いだ。しかし、ドロテアは、ずっと一緒にいたアメルにもあまり甘えず、ひたすら言葉遣いにも態度に気を使って気丈に振舞うことが癖になっている。
それでも、王女とは言え、彼女もただの十六歳の少女だ。せめて自分と一緒にいる時だけでも好きにしてほしい、というのがいつでもアメルの願いだった。
ドロテアは身分上、子供時代を存分に楽しんでいない。彼女の冒険好きや自己中心的な性格もそこ辺りの事情からきている、とアメルは勝手に思っている。だからアメルは、この王女に強く物言いができないでいるのだ。
でもだからこそ、中途半端にドロテア様の道を塞ごうとする自分はいつも彼女にからかわれ、翻弄されている。
自分は、ドロテア様にとってただの暇つぶし以上の存在にはなれていない。
アメルは笑顔のままのドロテアを後ろから眺めて、さっきつきたくなったため息をついた。もっとぶつかった方が良いのかな、と少し弱気になる。
すると、突然鼠の群れが二人の目の前を横断した。二人の表情が凍りつく。
スッと、ドロテアがアメルの後ろに隠れ、その背中を押す。
「ほ、本当に急ぎましょう」
「は、はい。そうしましょう」
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