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「だから、僕達は考えた。人の闇も光も共に知る存在に……人々の意思を委ねて導いて貰うのが最も適切だ、と。偉大なる王、ベルゼブル。悪魔として数えられてはいるけれど、元は慈愛の神として崇められた存在だ。僕達はいくら魔術師といえど人間。大悪魔や神そのものを召喚することはできない。けれど、その意思を宿す者を呼び出すことはできる。人の闇も光も知る彼ならば、きっと人々の闇を食い、この国に平和を齎す新たな支配者になってくれるはずだ、とね」
「そうだ、その意思を宿す使者というのが、これだな」
サディアスが、先ほど息子が使ったシャーレを持ってきて、ロザリーにも見える位置に掲げた。己の便を見せられるなんて、と思って目を背けようとして気づく。その中に、白くまるまると太った虫が、もぞもぞと蠢いていることに。
「蠅と、その幼虫である蛆。我らはこれを使って人を試す。……人を導く意思を宿せる選ばれし者と……蛆を増やす餌となる者に」
餌。まさか、とロザリーは目を見開く。
「そうとも、君のことだ。といっても、君を招いた時から餌にするつもりだったわけではないさ。茶菓子と紅茶、食事に蠅の卵を混ぜて摂取させるまでは、そのどちらになるのかなんてわからないのだから。……人の腹の中で返った幼虫は二つに一つの選択をする。人の脳に寄生するか……そのまま、腸を下るかだ。蛆が脳に寄生することを選んだ者こそ、この世界を導くに相応しい者。その者は、偉大な王の声を聞くことができるようになる。その意思に則り、世界を導く役目を担うべき存在ということだ」
「けれど、選ばれし者はそう多くはないんだよね。残念ながら大半の場合、蛆は人の腸をどんどん下っていってしまい、脳に行く道を選ばない。宿主を、導き手ではなくただの餌として選んでしまう。……餌とされた人間は、やがて腸をまんべんなく覆うほど蛆に寄生されることになり、食べた消化物や排泄物を軒並み食われていくことになるんだ」
「そう。それが蛆の餌というわけだね。それが足らなくなると、食欲旺盛な蛆は飢えてしまって……宿主の腸を喰らうようになる。そうなったら、最終的には宿主は腸を全部生きたまま食われてしまって死んでしまう、というわけなんだ」
ぐわんぐわんと、耳鳴りが煩い。彼らが言っている言葉が、わかるようでわからない。わかりたくない。
つまり、彼らは無事なのは――彼らが選ばれた者であったから、ということ?彼らもまた脳に蛆を飼っていて、それに思考を誘導されているということ?
――まさか、使用人の中で……ジャンとヨハンナだけ、生き残っている、のも……?
「母さんは、少し適合が弱かったみたいなんだ。脳がやられてしまってね、導き手としての仕事を担うのが難しくなると判断されたんだろう。徐々に蛆が、腹の中に戻ってきてしまっているらしいんだ。悲しいけれど、長くは持たないんだろうね」
残念だよ、と。まるで料理にちょっと失敗しました、とでも言うような口調で首を振るチャールズ。
「腹痛と下痢、嘔吐は。蛆が宿主を“餌”に選んだ証拠さ。蛆は食欲旺盛だ。大量の食料を与えてやらないと、すぐ宿主の腸を食ってダメにしてしまう。流石に、いくら僕らが貴族であっても、そう何度も新しい宿主を与えてやることはできないからね。君には、もう少し頑張って餌をやっていて貰わないといけない。栄養満点の蜂蜜スープはたんまり作ってある。これをたくさん食べて、君にはもっともっとお腹の中に消化物を作っていってもらわないといけない。チューブの先は毎日しっかり取り替えてあげるから、頑張るんだよロザリー」
まさか、まさか、まさか。
ロザリーは目の前が真っ暗になった。まさか自分は、今から死ぬまでずっと――このテーブルに縛り付けられたまだというのか?この無駄に甘い栄養をチューブで流し込まれ続け、蛆に餌を与え続けるためだけに?この、恐ろしいほどの腹の痛みに耐え、排泄物を垂れ流しにしながら?
――い、嫌!嫌、嫌、嫌!そんなの嫌よ、嫌、嫌ああ!
ロザリーは泣きながら、一生懸命身体を揺らして訴えた。しかし、声はもう出せない。身体も動かせない。そしてチャールズ達は――自分達がしていることを当然の正義と信じて、その場で微笑み続けるばかりである。
まるで、ロザリーだけがおかしくなったかのように。
世界は何一つ、間違っていないとでも言うかのように。
「君は、腸が食われるまでにちゃんと救出できたから……きっとまだ間に合う。うまくいけば、このまま一ヶ月くらいは生き延びることができるかもしれないね」
チャールズの声は、優しい。その頭の中に、おぞましい蛆を飼っているとは思えぬほどに。
「頑張ってね、この国の未来のために、たくさん偉大な使者を増やしてね。大丈夫さ、君ならできるよ」
希望はもはや、何処にも見えなかった。自分は一体何を間違えてしまったのだろう、とロザリーは思う。
思い描いた理想も希望も、あっという間に砕け散って見えなくなってしまった。
まるでこの国の恐ろしい未来を、暗示してでもいるかのように。
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