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英国にとって、薔薇は特別な花の一つである。花の中の花として特別に愛されてきたものであり、古くはローマ時代から薬用や香料として幅広く利用されてきたことでも知られるという。
シェイクスピアの詩にも、薔薇は登場し歌われ、キリスト強の教えの中でも神秘的な表彰として扱われることが多いのだ。薔薇の五枚の花びらはキリストが負わされた五つの傷を象徴し、特に赤い薔薇などは殉教者の流した赤い血を表すとされているのである。白い薔薇も、純潔の歳暮の象徴として、清らかなものとして尊ばれるという。
ロザリーが知っている知識など、結局のところその程度であり。目の前の薔薇園に咲き誇る薔薇も、一体どれがどのような種類であるのかなど皆目見当がつかないのであるが(薔薇園の手入れは、チャールズとサディアスが自ら行っているのだという。メイドが手入れする必要がないのだ)、ただその鮮やかな色とかぐわしい香りが素晴らしいことだけはわかるのだ。
特に、ぐるりと入口でアーチを作る真っ赤な薔薇の、なんと麗しいことか。重なり合う花びらの整ったことといい、まるで燃える情熱のような色といい。花に関してにわか知識しかないロザリーであっても、思わず見惚れるほど美しいものであるのは間違いなかった。
――教えによれば、赤い血の色とされてはいるけれど。どちらかというと私には……燃え盛る強い炎の色に見えるわ。
チャールズに連れられていった先。思わずそのチャールズの存在さえも忘れて、薔薇に見入ってしまうのはどうかと自分でも思うけれど。
元より、ロザリーは花が好きなのだ。そこに虫がつかなければもっといいのに、という前提はあるものとしても。
「綺麗……」
「気に入ってくれたようで、何より。君は薔薇が好きなんだね」
「ええ、とっても!特に赤い薔薇が好きなのです。貴族のご家庭では、薔薇を育ててらっしゃる家も多いのですけれど……いつも、遠巻きにして眺めることしかできなかったので。いえ、だとしてもこのような見事な薔薇は他では見たことがありませんわ……!」
花びらの形も綺麗だし、なんといってもこの芳しい香りである。一体どれほど丁寧な手入れをすれば、これほどまでに見事な薔薇園が築けるというのか。
「喜んでくれて良かった。君が、何か悲しいことを思い出してしまったように見えたものだからね」
そして、そのチャールズは。薔薇園の彩をバックにして、尚生える美男子である。薔薇にそっと手を添えて笑う彼は、まるで一枚のよくできた絵画を見るかのよう。ああ、写真機の一つでもあれば、と思わずにはいられない。
「今の世の中は、貴族ではない者達にとってあまりにも生きづらいことだろう。命の重さは平等なはずなのに、貴族ではないというだけで見下され、踏みにじられる命がどれほど多いことか。僕も父上も母上もヒルダも、みんな今の階級社会に憂いを感じていて、なんとかしたいと思っているんだ」
「なんとか、ですか?」
「ああ。王族でもない僕達だけれど……その代わりに“力”は持っている。教会に認められた、唯一無二の“魔術師”としての力をね。カトリックの後ろ盾と、神にも認められた魔法の力。それがあれば、普通の国民にはできないこともきっと出来ると思うんだ。女王陛下が真に願う、自由と平等の社会の実現も、ね」
チャールズの眼は、まるで星をちりばめたようにキラキラと輝き、理想に燃えている。ああそうなのだ、とロザリーは理解した。彼らが何故、自分のような小娘のことも丁重にもてなしてくれるのか。それは、彼らが階級などに縛られず、人の命の重さを尊ぶことのできる人間達であるからだと。世の中の時勢や流行に囚われず、自分達が信じる道を行く強さ。――美しく、清らかであるはずだ。それほどまでの高い理想と志を持つ人たちが、麗しくないはずがないのである。
「いずれ、君を悲しませるような……差別的な貴族はいなくなる。どうか、それまで待っていてほしい。この薔薇のように、みんなが平等に咲き誇れる社会を、僕らはいずれ作ってみせる……!」
「……チャールズ様……!」
この人が、いつか悲しい世界を変えてくれるのかもしれない。祈るように手を組んで、ロザリーは頷いた。
「ええ、きっと……きっとチャールズ様なら、いずれできますわ。その理想を、実現することが」
胸の奥に芽生えた、バラの蕾のような淡い想い。それを、ロザリーはぎゅっと握りしめていた。
この人を、好きになってはいけないのだ。いくらこの人が平等と平和を願っていても。自分はけして、この人と釣り合う身分ではないのだから、と。
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