<6・Nightmare>

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 ***  恐ろしい夢、だとは思っていた。  しかし今まではただ、それだけであったのだ。何故ならばロザリーの夢に登場するのはあくまで “既に死んでいる見知らぬ他人”の遺体に過ぎなかったのだから。  しかし、昨晩見た夢は違っていた。同じくらいの年の少女が、あのようにしてもがき苦しみながら死んでいったのである。それも、明らかに病ではない、誰かの手によってだ。 ――悪魔……蠅……。  今まで見てきた夢には、まるで何かの象徴であるように遺体と蠅がセットで出てくる。人は死ねば腐るし、結果蠅が集るのはなんらおかしなことではないと思っていたが。もしかしたら、それにも象徴的な意味があったということなのだろうか。  悪魔と蠅、で思い浮かぶ存在は一つしかない。聖書にも登場する悪魔の一つ、ベルゼブルだ。旧約聖書『列王記』に登場する、ペリシテ人の町であるエクロンの神バアル・ゼブルが元々の存在であったはずである。別名、蠅の王――糞の王、なんて身も蓋もない名前もあるのは純粋に蠅のイメージがそのようなものであるからゆえか。  確かマタイによる福音書にはこのような記述があったはずだ。律法者がイエスに対し、「悪霊の頭であるベルゼブルの力を借りて悪霊に取りつかれた人を救っているに違いない」と非難するのである。これに対してイエスは反論。「悪霊が、仲間である同じ悪霊と争うはずはない、自分は聖霊によって悪霊を追い出しているのだ」と言ったと。  悪霊と悪魔は、実質自分達の考えでは同列として位置づけられている。より凶悪なものを悪魔と呼ぶ傾向にあるというだけだ。基本的に、人に害を成す死者は全て“悪魔”の同類として解釈されるのである。英国だけではなく、恐らくキリスト教圏の多くの国では似たような考えを持たれることが多いだろう。  要するに。ベルゼブルとは、悪魔の中でも最上級の悪魔として恐れられる存在である、ということ。夢の中で彼女が恐れていた悪魔とは、ベルゼブルのことだと考えるのが自然である。かの悪魔の使いこそ“蠅”であるのだから。 ――でも、この家で何故そのような夢を見るの?エルガート家は、教会に認められた魔法を研究する一族であるはず。むしろとても神聖で、神の加護に守られた聖なるお屋敷だと考える方が自然なのに……。  こうなってくると、どうしても気になってしまう。  彼女が目指していたあの書庫には、一体何があるのかということを。そして。そもそもの話、何故今このお屋敷にはメイドが自分を含めて二人しかいないのか、ということを。 「あ、ロザリー!」  朝食が終わり、庭を箒で掃いていた時。パタパタと駆け寄って来たのは、あのチャールズである。 「良かった、とても具合が悪いと言うから心配していて……ずっと探していたんだよ。大丈夫だった?少しは薬が効いてくるといいのだけれど」 「あ、いえ……大丈夫です、チャールズ様。そんな、私のことなんでお気になさらなくてもよろしいのに……」  この青年と話そうとすると、頬が熱くなって眼を合わせることが難しくなってしまう。見目麗しい貴族の青年、それも年が近いともなれば、メイドの小娘が憧れてしまうのも無理からぬことではあるだろう。  そう、憧れまでで止めておかなければならないのだ、とロザリーは知っている。自分はメイド、彼は貴族の長子、けして結ばれることなどないのだから、と。 「そ、その。……一つ、お尋ねしたいことがあるんですけど、よろしいでしょうか」  だが、今日はドキドキしてばかりもいられない。仕事中だが、そんなこと彼は気にしないだろう。それより今は――どうしても引っかかっていることを、尋ねておく方が先決である。 「どうしてもずっと、気になっていたことがあって。その……私の前任のメイドさんは、どうしてやめてしまわれたんでしょうか……」  その質問をした瞬間。チャールズのキラキラした笑顔が一瞬――影を落としたがごとく消えたように、見えたのだ。
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